投稿者「iroai.jp」のアーカイブ

銀杏文(いちょうもん),伊勢型紙

デザインにおける銀杏文(いちょうもん)

銀杏(イチョウ)は、樹齢1,000年を超えるものもあり、延命長寿の象徴として知られます。

その他にも、葉が全て落ちても次の春には芽吹く生命力から繁栄や家の安泰を意味したり、耐火性があることから、「火伏せの木」として寺社で重宝されたため防火の象徴ともされていました。

そんな銀杏(イチョウ)の葉をモチーフに文様化(模様化)した銀杏文いちょうもんは、古くから染織のデザインに用いられてきました。 続きを読む

清水裂(きよみずぎれ)

名物裂(めいぶつぎれ)とは?名物裂の種類や特徴(金襴、緞子、間道、錦、繻珍、風通、金羅、金紗、印金、天鵞絨、モール、更紗)

特色ある染織品を、「名物裂めいぶつぎれ」と呼ぶことがあります。

名物裂めいぶつぎれと名付けられ、尊重されるようになる織物との関係が深いのが「茶の湯」です。 続きを読む

扇文(おうぎもん),中型染め

デザインにおける扇文(おうぎもん)。扇円文・扇散し文・地紙文について

おうぎは、儀式の際や夏の暑さに対してすずむために用いられる道具です。

平安時代前期に日本で生まれ、笏(しゃく)から変化して生まれたとする説がありますが、はっきりとはしていません。

おうぎは人々に用いられた道具として模様化(文様化もんようか)され、扇文おうぎもんとしてさまざまな形で表現されてきました。
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七宝文(しっぽうもん),伊勢型紙

デザインにおける七宝文(しっぽうもん)・七宝繋文(しっぽうつなぎもん)

七宝文しっぽうもんは、同じ半径の円を円周の4分の1ずつ重ねて表現していく連続模様です。

四方連続模様なので、「四方」から転じて、仏教の七宝しっぽう(金・銀・瑠璃るり玻璃はり硨磲しゃこ珊瑚さんご瑪瑙めのう」の名前がつきました。

七宝文しっぽうもんを上下左右に規則正しく、連続させたことを強調して「七宝繋文しっぽうつなぎもん」と呼んだりします。 続きを読む

三崩し,算崩し,模様(文様)

デザインにおける算崩し文(さんくずしもん)。「一崩し」「三崩し」「二崩し」「四崩し」

算崩さんくずしは、「算木さんぎ崩し」の意味で、「算木さんぎ」とは、中国数学や和算の計算道具として用いられた細長い木の棒です。

Sangi (算木): Japanese-style counting rods on a checkerboard.

算木(さんぎ),Jccsvq, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons,Link

算木さんぎはタテ、ヨコに置いて数を表現しますが、算木を崩したような様子が美しい柄にみえることから「算木崩さんぎくずし」、「算崩さんくずし(三崩し)」などと名付けられました。

網代あじろ(草や竹、木材などを材料に縦緯、あるいは斜めに交互に編んだもの)に似ているため、「網代組あじろぐみ」や「網代文様あじろもんよう」などともいわれます。 続きを読む

千鳥文(ちどりもん),よろけ縞と青海波文,伊勢型紙

デザインにおける千鳥(ちどり)・千鳥文(ちどりもん)

河海のほどりに生息するチドリ(千鳥ちどり)は、海浜や川辺の風景の一部として古くから人々から親しまれてきました。

歌にも詠まれ、「春恋う鳥」、「友にはぐれた鳥」として心細い心境、あわれ深い境地などが表現されました。

千鳥を文様化(模様化)した千鳥文ちどりもんにも、このような詩情が関係しました。 続きを読む

江戸小紋

三纈(さんけち)とは?纐纈(こうけち)、夾纈(きょうけち)、臈纈(ろうけち)の染色技法について

古くから、「三纈さんけち」と呼ばれる染色技法があります。

上代じょうだい三纈さんけち」「天平てんぴょう三纈さんけち」などと称し、三纈さんけちの染色技法が、奈良時代には(710年〜794年)今の中国からすでに伝わっていました。 続きを読む

科布(しなふ)(榀布)

科布(しなふ)とは?科布(榀布)の生産工程について

原始古代布といわれるものの一つに、科布しなふ(榀布)があります。

科布しなふ(しなぬの)は、東北地方の各地で昭和初期ごろまで盛んに織られていました。

藤蔓ふじつるで作る藤布ふじぬのくづつるで作る葛布くずふなどと同じように、科布しなふは1000年以上の歴史をもつ織物といわれています。 続きを読む

紙布(しふ)

紙で織られた紙布(しふ)。紙布(しふ)の製造方法や種類について

紙布しふは、江戸時代頃から、全国の紙の産地で織られていたようで、特に有名だったのが宮城県の白石しろいし市です。

白石しろいしは、仙台の仙台藩せんだいはん伊達藩だてはん)の統治下にあった城下町です。

この地方では、東北という寒い地域でもあったため木綿の栽培に適さず、藩の財政上の理由から綿の買い入れも禁止されていました。
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