鹿子絞りは、小形の白い丸形がまばらに散ったような絞り柄になります。
鹿子絞りの名前の由来としては、鹿は生後2年くらいの間、敵から見つからないようなカモフラージュのため栗色の体の表面に白い斑点が多くできることから、それに似た絞り柄として名付けられました。
古く、鹿子絞りは、「結帛(ゆいはた)」、「纈(ゆはた)」、「目結(めゆい)」、「目染(めぞめ)」ともいわれていました。
鹿子絞りの中でも、疋田鹿子(総疋田)は布面に隙間なく散らしたもので、京極絞りは比較的絞り柄の間隔が広いもの、小粒を連続させた一目(人目)などがあります。
疋田鹿子(総疋田)
江戸時代後期に流行し、全体を鹿子絞りにしたものは、疋田鹿子や総疋田、総鹿子などと呼ばれ、江戸時代中期ごろには、もっとも華美で高級な女物衣服として用いられていました。
そのため、江戸時代には奢侈禁止令の対象にもなっていました。
制作には、すべて指先でひと粒ごと布をつまみあげて、糸で堅く括っていきます。
大体、布目に対して45度に粒が並び、布一尺幅(37.88cm)に45個くらい絞るのが標準とされていました。