青縞と呼ばれる藍染された布は、埼玉県の北東部に位置する加須市や羽生市を中心に盛んに織られていた生地です。
青縞と呼ばれる理由としては、綿糸を藍染し、染め上がった糸を織ると、染めムラが独特の縞模様に見えることからその名前があります。
青縞は、仕事着である股引や脚絆、足袋などに使用され、江戸時代は主に農家の副業として、明治以降は織物をつくる事業家(機業家)によって、生産、発展してきました。 続きを読む
青縞と呼ばれる藍染された布は、埼玉県の北東部に位置する加須市や羽生市を中心に盛んに織られていた生地です。
青縞と呼ばれる理由としては、綿糸を藍染し、染め上がった糸を織ると、染めムラが独特の縞模様に見えることからその名前があります。
青縞は、仕事着である股引や脚絆、足袋などに使用され、江戸時代は主に農家の副業として、明治以降は織物をつくる事業家(機業家)によって、生産、発展してきました。 続きを読む
人類は、古くから自然の植物から色を獲得して、自ら身にまとう布に対して染色をおこってきました。
古代の人々が、まずは目の前にある、色のついた土や植物から色を獲得してきたというのは容易に想像ができます。
ただ、古代に始まった染色は色をつけるためだけのものではありませんでした。
もともとは、自分の身を守るための薬用効果を求めてはじまったとされているのです。
日本の古代の人々は、草木が成長し、花が咲き、果実が実るのは、草木に宿る精霊(木霊)の力と信じ、草木で衣服を染め浸けていました。
染色の起源は、草木の葉っぱや花などを擦りつけて染める「摺染」でした。日本の染色技術が飛躍的に発展するのは、4世紀ごろに草花から染料を抽出し、これを染め液として、浸して染める「浸染」の技術が中国から伝わってきてからです。
辻が花は、室町時代(1336年〜1573年)から安土桃山時代(1573年〜1603年)にかけて流行した文様染めで、日本の染め物を代表するものであり、絞り染めの頂点ともいえます。
「辻が花」とは、室町から安土桃山時代の小袖や胴服などにみられる縫い絞りを中心に、描絵や色差し、摺箔、刺繍などを加えて独特の模様を表す染色技法を主に表しています。
室町時代末期から江戸時代初期にかけてごく短いあいだにのみ製作が行われていたため「幻の辻が花」といわれることもあるほどです。 続きを読む
シルクの起源は、紀元前2650年前、古代中国の神話伝説時代の8人の帝王の一人で黄帝の妃である、西稜が繭から糸をとり出すことを考え、貴人などのそばに仕える女性たちに養蚕と製糸の技術を教えたことから始まったとされています。
殷代安陽期(紀元前1200〜1050年)に出土した甲骨文字の中に「蚕」「桑」「絹」「糸」に関する文字が見られることから、遅くとも殷王朝時代の中国では、(紀元前1600年頃〜紀元前1046年まで続いた中国最古の王朝)すでに養蚕が行われていたと考えられているのです。 続きを読む
四季のうつろい、地理的、歴史的、文化的背景などさまざまな影響を受け、日本の伝統色とされている色の名前は、非常に多くの種類があります。
数々の色の中でも、藍色、紅色、紫色の3つの色は歴史や色の豊富さなど、日本人にとってとりわけ関わりの深かった色とも言えます。
古来、日本人は、色彩や色の表現について特別な感情や独自の感性を持っていました。
古代の人々は、草木にも霊があると考え、草木の霊は特に木霊と呼ばれ、一番身近に存在する和霊とされていたのです。
本記事は、日本人の色彩と染色における歴史の流れと、伝統的な色や色名についてです。 続きを読む
シルクの素材を扱う上で、「家蚕」、「野蚕」という言葉に出会います。
野生であったものを人工的に繁殖させたり、品種改良しながら飼育された蛾が「家蚕」と呼ばれます。
野生に生息していたり、野生に近い状態のマユをつくる昆虫類を「野生絹糸虫」と総称し、その中で特に実用的なマユをつくる品種を「野蚕」と呼んでいます。 続きを読む
綿は、さまざまな用途で使われています。
その特徴としては、肌や手に触れる用途に強く、その肌触りの良さは言わずもがな、繊維の中でも優れたものがあります。
肌に触れる下着やインナー、タオルなど実用的に使える場面は数知れません。
他の素材と比較すると、強度に関しては化学繊維のポリエステルやナイロンより劣り、シワになりやすかったり縮みやすいという特徴もあります。 続きを読む
江戸時代後期から明治、大正、昭和の時代にかけて、庶民の間でとりわけ親しまれた織物に絣があります。
絣とは、経糸か緯糸のどちらか、あるいは経糸と緯糸の一定部分を、糸や布などで括ったり木の板で挟むことによって防染して染めた糸を使用し、織り文様を表現したものです。
織物の組織としては、絣は平織りと繻子織りにみられます。
井桁絣,型染と併用した経緯絣