藍色」カテゴリーアーカイブ

愛染明王とは。愛染明王が藍染・染色業者に信仰されるようになった理由

古くから、職人と呼ばれる手工業者たちは、守護をしてくれる神仏をまつっていました。

同業者同士で信仰のための組織である「こう」を結成する場合も、数多くありました。

こう」においては、神仏の信仰だけでなく、同業者同士、技術の向上や保護を目的に活動したり、互いの結束を強める役割もありました。

染色職人、とりわけ藍染に関わる人々は、仏教の愛染明王あいぜんみょうおうを信仰し、同業者が集って、「愛染講あいぜんこう」を結成していました。

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染色・草木染めにおけるインド藍。インド藍の種類や歴史、染色方法について

インド藍(学名 Indigofera suffruticosa)は、熱帯地方に分布するマメ科コマツナギ属の藍色素を持つ植物から抽出した染料の名前でもあり、植物の名称でもあります。

日本の本土で古くから栽培されてきたタデアイ(くさの藍)に対して、木藍きあいと呼ばれたりもしました。

Starr 061201-1766 Indigofera suffruticosa

インド藍,Indigofera suffruticosa,Forest & Kim Starr, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons,Link

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蓼藍,タデアイ

京の水藍。幻の京藍の歴史と栽培方法

藍染の原料となる藍の栽培は、古くは日本中で行われていました。

京都においては「京の水藍みずあい」という言葉が江戸時代の文献に残っており、色合いがあざやかで品質が高かったとされ、水藍の色は京浅葱きょうあさぎとたたえられていました。

水藍とは、その名前だけあって、水稲すいとうのように水を張って田んぼで栽培された藍のことです。

水藍は、京藍、東寺藍、ちょぼ藍(田んぼのことを、その土地の言葉で「ちょぼじ」と言ったことから)などと呼ばれていました。

Persicaria tinctoria bergianska

蓼藍,タデアイ,Persicaria tinctoria bergianska,Udo Schröter, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons,Link

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蓼藍,タデアイ

青縞(あおじま)と呼ばれる藍染された布。埼玉における藍の栽培と藍染について

青縞あおじまと呼ばれる藍染された布は、埼玉県の北東部に位置する加須かぞ市や羽生はにゅう市を中心に盛んに織られていた生地です。

青縞あおじまと呼ばれる理由としては、綿糸めんしを藍染し、染め上がった糸を織ると、染めムラが独特の縞模様に見えることからその名前があります。

青縞あおじまは、仕事着である野良着のらぎ股引ももひき脚絆きゃはん足袋たびなどに使用され、江戸時代は主に農家の副業として青縞あおじまが生産されていました。

天明てんめい年間(1781年〜1789年)に北埼玉郡騎西町きさいまち付近(現在の加須かぞ市)で農家の副業として織られたことから、この土地の名前に由来し私市縞きさいじまと呼ばれたようです。

明治以降は織物をつくる事業家(機業家きぎょうか)によって、生産、発展してきました。

元々は、天然藍のみが使用されていましたが、明治30年(1897年)頃からは、化学藍(インディゴピュア)が使用され始めました。
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染色・草木染めにおける山藍(ヤマアイ)。謎に包まれてきた山藍の特徴や分布、歴史について

山藍(学名 Mercurialis leiocarpa) は、トウダイグサ科、ヤマアイ属の植物で、群をなして生い茂ります。

学名のMercurialis leiocarpaは、江戸時代の弘化こうか2年(1845年)にドイツ人のシーボルトが日本古来の資料をもとにして命名し、Mercurialisは、ギリシャ神話の女神である「マーキュリー」からとったもので、leiocarpaは「平滑な果実」の意味であるとされています。

トウダイクサ科の植物は有用なものが多く、パラゴムノキやマニホットゴムなど樹液から天然ゴムが採れたり、タピオカの原料になるキャッサバ、種子からひまし油が採れるトウゴマなど様々あります。 続きを読む

藍染された布や糸から、石灰と水飴を使って顔料化する「飴出し法」

江戸時代に描かれた浮世絵には、さまざまな色が使われていましたが、藍色もその中にありました。

青の色をつくるのに露草や藍が使われていましたが、植物由来の色であるために、日に焼けて変色しやすかったり等、版画向きでなかったのは想像に難しくありません。 続きを読む