綿(cotton)は、さまざまな用途で使われています。
肌に触れる下着やインナー、タオルなど実用的に使える場面は数知れません。
綿の特徴としては、その肌ざわりの良さは言うまでもありませんが、他の繊維と比較しても綿は万能な繊維として知られています。
化学繊維のポリエステル(polyester)やナイロン(nylon)よりは、糸そのものの強度は劣り、シワになりやすかったり縮みやすいという特徴もあります。 続きを読む
綿(cotton)は、さまざまな用途で使われています。
肌に触れる下着やインナー、タオルなど実用的に使える場面は数知れません。
綿の特徴としては、その肌ざわりの良さは言うまでもありませんが、他の繊維と比較しても綿は万能な繊維として知られています。
化学繊維のポリエステル(polyester)やナイロン(nylon)よりは、糸そのものの強度は劣り、シワになりやすかったり縮みやすいという特徴もあります。 続きを読む
木綿は、16世紀には国内での栽培が広まり出し、17世紀初頭ごろには飛躍的に発展していきました。
庶民の日常的な衣服となり、江戸時代の経済と政治において、一貫して重要な役割を果たしていました。しかし、明治維新を経て、殖産興業政策のもとで、決定的な打撃を受けることになります。
殖産興業政策とは、明治政府が西洋諸国に対抗し、機械制工業、鉄道網整備、資本主義育成により国家の近代化を推進したさまざまな政策のことを指します。
明治政府は、産業の近代化を「輸出振興」「輸入防遏」という国家のスローガンを掲げ、輸出輸入の両面から綿業は、中核的戦略産業として位置づけられました。
外国の質の高い綿糸・綿布に負けないようにと、綿業の近代化は国家的な課題とされていたのです。 続きを読む
木綿の原産地は、インドと言われています。
インドのパンジャブ地方は、古くから織物の技術の世界的な源であり、ヒマラヤを源流としインド洋に注ぐインダス川流域の文化とともに世界中へ広がっていきました。
紀元前1世紀頃の古代ローマでは、人々はすでに綿の布を身にまとっていたようです。 続きを読む
インドにおけるキャリコ(calico)と呼ばれた平織りの綿織物が、17世紀終わり頃からヨーロッパに伝わり、人々を魅了しました。
インド西南部の港市であるカリカット(現在は、コージコード)から主に輸入されていたことから、キャリコやキャラコと呼ばれるようになり、素材的には日本でいう金巾に近く、平織りで織られ、軽くてしなやかさがあるのが特徴的でした。
カーテンやシーツ、そして肌着等にも適していたそうです。
もともと、ヨーロッパには綿花の栽培と綿工業がなかったので、インドからやってきた綿織物が、人気を博すのは必然でした。
人々に愛されたキャリコですが、歴史をたどってみると、イギリスの産業革命とその背景にあった悲しい歴史がみえてきます。
更紗の断片 (インド)、18 世紀後半,Cooper Hewitt, Smithsonian Design Museum, Public domain, via Wikimedia Commons,Link
江戸時代に流通した主な商品は、米を抜きにして考えると、木綿・菜種・干鰯・酒・材木・藍などが上位を占めました。
江戸時代以前、木綿が大陸からやってきて広がっていくまでは、日本においてイラクサ科の多年草木である苧麻(学名 Boehmeria nivea var. nipononivea)を原料にした布が一般的に生産されていましたが、戦国時代から江戸初期にかけて、木綿が爆発的な普及したとされます。
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今では伝説として語り継がれていますが、現在のバングラデシュの首都ダッカでは、高度な技術によってつくられたダッカ・モスリンという伝説の綿織物がありました。
現存するものは、ロンドンのヴィクトリア・アルバート博物館で保存されているようです。
バングラディッシュは、インドから独立した国なので、イギリスが植民地統治をしている以前は、インドの綿業の中心地であり、その生産量や染色技術においてももっとも世界で進んでいたと言われます。
当時はもちろん機械がなく手工業だったので、糸は手紡ぎされていましたが、その糸が非常に細く、それを使用して非常に薄い綿織物を織っていました。
インドで手紡ぎをイメージすると、ガンジーが糸車を回している有名な写真を思い起こしますが、当時細い糸を紡ぐときも、早朝に霧の立ち込める川のほとりで糸車を回し、指先に油をつけながら紡いだといわれています。
早朝の霧、そして川の近くで湿気っぽい場所が、糸を紡ぐのに適していたのです。 続きを読む
明治8年、イギリスの科学者であるアトキンソンが来日した際、日本人の暮らしの中に、青色が溢れていることを知りました。1875年、いまから約150年前です。
全国の至る所で見られる藍染の布を表現して、「ジャパンブルー」と最初に呼んだのが彼だとされます。
日本中の庶民にとって大切にされてきた、藍染の衣類。藍染が日本に広がった理由として、木綿とのつながりは切っても切り離せない歴史がありました。 続きを読む
綿花はアオイ科のワタ属・ゴシピウム属に入り、20種類ほどの品種が残っています。
繊維をつくらない種類もありますが、繊維をつくるワタ属は、大きく以下の4つに分類できます。 続きを読む
綿花は、種類によって採れる繊維の長さが違います。
大きくわけると、エジプト綿やスーダン綿の系統は超長繊維綿で、アメリカ綿に代表されるアンプラント綿は中長繊維綿、アジア在来種のデシ綿は短繊維綿に分類できます。
綿の繊維の長さは、糸にするときにその糸の細さに大きく関係してきます。 続きを読む
綿花はアオイ科のワタ属に属し、品種は20種類ほどが野生種として残っています。繊維をつくらない種類もありますが、繊維をつくるワタ属は、大きく以下の4つに分類することができます。
①arboreum(アルボレウム)②herbaceum(ヘルバケウム)③barbadense(バルバデンセ)④hirsutum(ヒルスツム)
①arboreum(アルボレウム)②herbaceum(ヘルバケウム)は、インド、パキスタンのあたりや中東方面が原産地とみられています。
①arboreum(アルボレウム)は、インドから世界中に世界中に広がり、古く日本で栽培されていた綿花はアルボレウムであったと推定されます。
③barbadense(バルバデンセ)④hirsutum(ヒルスツム)は、中米や南米北部などのアメリカ大陸が発祥と言われます。
①arboreum(アルボレウム)②herbaceum(ヘルバケウム)の染色体が13個、③barbadense(バルバデンセ)④hirsutum(ヒルスツム)は26個であるため、染色体の数が違う品種同士の交配はできません。 続きを読む