平織り、綾織り、朱子織りなどの異なる組織や、異なる色糸を組み合わせることによってできる織物の総称として、紋織りという言葉が使われます。
紋織りのなかのラペット織り、ドビー織り、ジャガード織りについて紹介します。
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平織り、綾織り、朱子織りなどの異なる組織や、異なる色糸を組み合わせることによってできる織物の総称として、紋織りという言葉が使われます。
紋織りのなかのラペット織り、ドビー織り、ジャガード織りについて紹介します。
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沖縄における絣織物(琉球絣)には、独特な幾何学文様があります。
線で構成したこれらの絣柄は、18世紀後半の御絵図帳で高度に完成したと考えられます。
「御絵図帳」とは、琉球王国における首里王府の絵師たちによってまとめられた絣の図案集です。
「御絵図帳」とは、琉球絣が貴重な貿易商品だった時代、王国に収める貢納布を織らせるために模様や染色などを細かく指定したものです。 続きを読む
江戸時代後期から明治、大正、昭和の時代にかけて、庶民の間でとりわけ親しまれた織物に絣があります。
絣とは、経糸か緯糸のどちらか、あるいは経糸と緯糸の一定部分を、糸や布などで括ったり木の板で挟むことによって防染して染めた糸を使用し、織り文様を表現したものです。
織物の組織としては、絣は平織りと繻子織りにみられます。
井桁絣,型染と併用した経緯絣
今では伝説として語り継がれていますが、現在のバングラデシュの首都ダッカでは、高度な技術によってつくられたダッカ・モスリンという伝説の綿織物がありました。
現存するものは、ロンドンのヴィクトリア・アルバート博物館で保存されているようです。
バングラディッシュは、インドから独立した国なので、イギリスが植民地統治をしている以前は、インドの綿業の中心地であり、その生産量や染色技術においてももっとも世界で進んでいたと言われます。
当時はもちろん機械がなく手工業だったので、糸は手紡ぎされていましたが、その糸が非常に細く、それを使用して非常に薄い綿織物を織っていました。
インドで手紡ぎをイメージすると、ガンジーが糸車を回している有名な写真を思い起こしますが、当時細い糸を紡ぐときも、早朝に霧の立ち込める川のほとりで糸車を回し、指先に油をつけながら紡いだといわれています。
早朝の霧、そして川の近くで湿気っぽい場所が、糸を紡ぐのに適していたのです。 続きを読む
裂き織りとは、もともと着古された着物であったり、使い込まれた布を細かく裂いた「裂き布」を緯糸に織り込んだ平織りの織物のことです。
織物は、経糸と緯糸が互いに交差しあってできる布ですが、織り込もうと思えば、大抵どのようなものでも緯糸として使用できます。
例えば、和紙やイネ科の多年草である葭、ヤシ科のツル性植物である籐、木の皮などを糸にして緯糸に織り込んでいる織物などさまざまあります。
経糸に藤糸を用いた裂き織(中央),漱石の猫, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons,Link
経糸に藤糸を用いた裂き織,漱石の猫, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons,Link
裂き織りは、日本だけではなく、スウェーデンやアメリカ、スペインなど海外でも行われていました。
日本における裂き織りの起源はよく分かっていませんが、その分布が東北地方や佐渡、能登、丹後、隠岐(島根県隠岐諸島)、中国地方の山地などにみられ、主に日本海側沿岸の地域を中心としているのが特徴的です。
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丹波布と呼ばれ、親しまれている織物があります。
丹波布とは、現在の兵庫県氷上郡青垣町佐治地方を中心に、幕末から明治中頃にかけてのみ盛んに織られました。
木綿を主体に、緯糸に絹糸を織り込んだもので、産地の佐治では「縞貫」と呼ばれ、他の織物とは区別されながら発達していきました。 続きを読む
特色ある染織品を、名物裂と呼ぶことがあります。
名物裂は、鎌倉時代から江戸時代初期にかけて主に中国やインド、ベルシャや東南アジアから渡来した絹織物の呼び名のひとつです。
名物裂と名付けられ、尊重されるようになる織物との関係が深いのが「茶の湯」です。 続きを読む
江戸時代後期に、町人の間で好まれた文様が縞です。
縞は英語でstripe(ストライプ)ですが、柄を表現するのには、シンプルであるがゆえに、色糸、柄の大小や間隔の組み合わせによって無限大の表現方法があると言えます。 続きを読む