一般的に「慶長小袖」と呼ばれている衣類は、主に黒・紅・白の※綸子地、または黒・紅・白の三色に染め分けられた生地に※摺箔で柄をつくり、刺繍と鹿子絞りで模様を表しています。
※綸子・・・経糸、緯糸に生糸をつかって織りあげた繻子織りの一種で、後染め用の生地になる
※摺箔・・・型紙を用いて糊を生地に置き、その上に金箔や銀箔を貼りつけることによって、織物を装飾する技法
文献の記述などから、庶民ではなく主に上層武家階級を対象として慶長(1596年〜1615年)の終わりごろから元和(1615年〜1624年)・寛政期(1789年〜1801年)にかけて制作されたと推定されています。
慶長小袖の特徴
小袖は、現在の「きもの」の原型にあたるものです。その名の通り、袖口が狭く詰まった仕立てになっています。
起源は、平安時代中頃に庶民の日常着や宮廷における男女の下着からと言われています。
鎌倉時代から室町時代において武家が台頭してくるにつれて、服装の簡略化が進み、上層階級に下着として用いられていた小袖はだんだんと上着として使われて、庶民の小袖も上質化してきました。
その後、政治、文化の転換点である応仁の乱(1467年〜1477年)を境に、各階層共通の衣装の形式として小袖が完成したのです。

熨斗藤模様小袖 写真引用:小袖 (京都書院美術双書―日本の染織)
慶長小袖の特徴は、生地に安土桃山時代の※練緯に変わって、綸子が多く用いられるようになったことです。
※練緯・・・経糸を生糸にし、練り糸を緯糸ととして織った絹織物
安土桃山時代の小袖が整然と均整の取れた構成で、縫い絞りや刺繍、摺箔などを使用した文様染めが中心です。
一方、慶長小袖は染め分けによって直線や曲線の交差した複雑で、抽象的な模様になっています摺箔による地模様の上から刺繍を施すことによって、層が重なっている様な模様も特徴的です。
色彩は安土桃山時代が明るくいきいきした印象であることに対し、暗くて重い印象があります。
その後、寛文(1661年〜1673年)の頃には一般の人々にも小袖が身近になってきます。
【参考文献】『小袖 (京都書院美術双書―日本の染織)』