日本における刺繍の歴史。奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、それぞれの時代における刺繍の特徴。


針と糸があれば、布を自由に装飾できる刺繍は、世界中で古くから行われてきました。

中国では、殷代(紀元前17世紀〜紀元前1046年)の青銅器に付着していた絹にひし形の文様が刺繍された例が見つかっています。

日本においては、中国から発達した刺繍の影響を受けながらも、織りや染めと混ざりあいながら、日本的な美しさが数多く生まれてきました。

日本における刺繍の歴史

日本でいつ頃から刺繍が行わわれるようになったのかは、明らかではありません。

古くは、4世紀後半の古墳から出土した革製の盾に、三角形やひし形などを装飾目的として刺繍したものがあります。

7世紀ごろになり、中国や朝鮮半島の進んだ文化を取り入れていく中で、刺繍も欠かせない装飾技術となりました。

飛鳥・奈良時代の刺繍

仏教が大陸から伝わり、※造寺造仏(ぞうじぞうぶつ)が盛んになってきた飛鳥時代(592年〜710年)から奈良時代(710年〜784年)の時期には、仏の世界を荘厳にするために刺繍が用いられました。

※造寺造仏(ぞうじぞうぶつ)・・・寺院を建て、仏像や仏具を作ること

中国の王朝であった隋や唐から伝わった刺繍を手本にし、仏教文化の中で刺繍の歴史が進歩したのです。

『日本書紀』や『法隆寺資材帳』などの記録からは、7〜8世紀の間に寺院において巨大な※繍仏(しゅうぶつ)や※荘厳具(そうごんぐ)が制作されていたことがわかります。

繍仏(しゅうぶつ)・・・刺繍で仏教的主題を表現したもの
荘厳具(そうごんぐ)・・・仏像、仏堂などを装飾することを「荘厳」といい、そのために用いるものが荘厳具と呼ばれる

日本最古の刺繍遺品として知られている「天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)」は、聖徳太子の死を悼んで622年に制作されたとされます。

平安時代の刺繍

平安時代(794年〜1185年)になると、刺繍は公家の装飾に積極的に取り入れられていきます。

『紫式部日記』や『栄華物語』には、おしゃれの手段として、女性たちの装束に綺麗な刺繍が行なわれた様子が記述されており、鎌倉時代中期に書かれた『餝抄(かざりしょう)』によれば、男性も※平緒に唐鳥、唐花、千鳥、梅、雉(きじ)、鶴、松等の刺繍を施すことがあったようです。

※平緒・・・太刀の帯として腰に結び、一部を束帯の前方に垂らして飾りとしたもの

鎌倉時代の刺繍

鎌倉時代(1185年頃 〜1333年)は、武家が主導権を握る世の中となりました。

装飾としてのきらびやかな刺繍は、日常的な衣類にふさわしくないとされていたため、この時代の衣類において、遺品は見当たらないようです。

一方、浄土思想(阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え)が民衆に浸透するにともない、刺繍で仏教的主題を表現した繍仏(しゅうぶつ)が盛んに制作されました。

室町から桃山時代の刺繍

室町から桃山時代にかけて、「小袖(こそで)」が社会の中心的な衣服になってくると、色や形、サイズも思うがままに調節できる刺繍が有効な装飾手段として、小袖を彩りました。

特に刺繍に影響を与えたのが、金箔(きんぱく)や銀箔(ぎんぱく)を摺る※摺箔(すりはく)であり、刺繍と摺箔の二つの技法が結びついて「繍箔」(ぬいはく)という華やかな世界がうまれました。

※摺箔(すりはく)・・・型紙を用いて糊を生地に置き、その上に金箔や銀箔を貼りつけることによって、織物を装飾する技法

江戸時代の刺繍

華やかな桃山文化ののち、刺繍はさまざまな文様がある割には落ち着いたような雰囲気が漂うといったような新しい美の世界へと移っていきます。

江戸時代中期の刺繍の名作として、奈良の興福院(こんぷいん)に伝わる掛袱紗(かけふくさ)があります。5代目将軍の徳川綱吉が側室に贈った掛袱紗は、「福貴」という文字が宝舟や酒壺などの縁起の良い模様とともに刺繍されています。

元禄の時代(1688年〜1704年)から褒めたたえられた友禅染では、色を出しにくい紅や金を刺繍によって補うことによって彩りを与え、立体感のある模様が生まれました。

歌舞伎衣装や祭りの山車の装飾にも、立体感を強調した刺繍が行われるようになるのも、江戸時代の後期における特色です。

参考文献:『日本の刺繍 (京都書院美術双書―日本の染織7)


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