日本の古代、飛鳥・奈良・平安時代の色彩と特徴。草木の木霊に祈りを捧げ、身を守るために自然の色を得る。

今から1000年以上も前の日本では、現在のように科学が進歩しておらず、人間の理解を超えた現象というものは極めて多かったことでしょう。

当時の人々は、不可思議な現象は、人間以上の力をもつ何者かの成せる業と考えられ、自己に危害があると考えたときには救いを求めて祈りを行い、無事に過ごせたり、良いことがあれば感謝の祈りをおこなっていたとされます。

つまり、当時に人々にとっては、いわば「祈ること」は、最高の「科学」であったとも言えます。 続きを読む

紫根で染められた日本古代の色彩である紫色。深紫・深紫・中紫・紫・黒紫・深滅紫・中滅紫について。

日本古代の色彩は、薬草と考えられる草木で、草木の中に存在する木霊(こだま)に祈りつつ染付けがされていました。

飛鳥時代(592年〜710年)、奈良時代(710年〜794年)平安時代(794年〜1185年)の色彩の代表的なものに紫色があります。

紫根染めされた色の総称として「紫」が多く使われていましたが、呼び名は単に「紫」とひとくくりではありませんでした。

深紫(こきいろ)・黒紫(ふかむらさき・くろむらさき)・浅紫(うすいろ・あさきむらさき)中紫(なかのむらさき)・紫・深滅紫(ふかきめつし・ふかけしむらさき)・中滅紫(なかのめつし・なかのけしむらさき)・浅滅紫(あさきけし・あさきけしむらさき)など、さまざまな名前で表現されたのです。

それぞれの紫色の色彩について、取り上げます。 続きを読む

染色・草木染めをやる上で大切な心構え『染色の口伝』

本書は、古代の人々の心の遺産とも言うべき日本民族本来の、色彩と染を研究し、現在の多くの人々に、古代から伝承されて来た色彩の実態についての理解を得ようとするために執筆したものである。

前田雨城氏の著書、『日本古代の色彩と染』のまえがきには、上記の言葉があります。

この本は、なかなか安く出回っていないのですが、前田氏の集めてきた知識と実際の経験からの得た色について学べ、日本の古代における染色やその歴史について興味のある方にとっては読む価値が十二分にある本と言えます。 続きを読む

木材パルプと酢酸からつくるアセテート繊維。

レーヨンを化学的に改良したものに、アセテート繊維があります。

レーヨンの主原料である木材パルプに、合成薬品の酢酸(さくさん)を化学的に作用させてつくった半合成繊維です。

植物繊維と合成繊維の両方の性質を併せ持っているアセテート繊維の特徴は、シルクのような光沢感とやわらかい感触に加えて、染色における発色の良さなどが挙げられます。 続きを読む

化学繊維の糸はどのように作られているのか。代表的な3種類の紡糸方法、湿式紡糸、乾式紡糸、溶融紡糸。

化学繊維を製造するためには、まず最初に原料から鎖状の高分子を溶剤に溶解するか、加熱して水あめのようなドロドロの状態にします。

鎖状の高分子は、原料のセルロースを反応させ改質したり、石油や天然ガスなどの繊維と無縁の原料から合成したりして作ります。

そしてドロドロの高分子を、ノズルといわれる口金(くちがね)の穴から押し出して固めて繊維にする「紡糸」の工程が必要になります。

化学繊維の糸をつくるための紡糸方法は、大きく分けて①湿式紡糸、②乾式紡糸、③溶融紡糸の3種類あります。

他にも、液晶紡糸法、ゲル紡糸法、エマルジョン紡糸法などさまざまな化学繊維の紡糸方法がありますが、今回は上記の基本的な3種類について紹介します。 続きを読む

なぜ色が見えるのか?人が色を認識する仕組みや、色光や蛍光、加法混色と減法混色について理解する。

私たちが色が感じることができるのは、私たちの目に色を見分ける仕組みがあるためです。

人間の色彩感覚は、光が眼の網膜に達して視細胞を刺激して、その刺激が視神経から大脳の視覚中枢に伝えられることによって引き起こされます。

つまり、光自体には色はなく、人間の目と脳によって色彩を感じることができるのです。

目の網膜には、色を見分ける細胞と、明るさと暗さだけを見分ける二種類の細胞があります。色を見分ける細胞には、赤色・緑色・青色を感じるものの三種類あります。

赤色・緑色・青色の三原色が混ざり合うことで、この世のなかに存在しているほぼ全ての色を作り出すことができます。 続きを読む

顔料と染料の違いとは。特徴と性質を理解することが日々の生活に役に立つ。

顔料と染料という言葉がありますが、その意味の違いはどのようなものでしょうか。

顔料という言葉は一般的に定着していますが、実は、何度も変化を繰り返しながら今のようになっていった歴史があります。

日本において、顔料という言葉を意味する古い表現として、「彩色」「彩色物」「彩色料」などが挙げられます。『日本書紀』 では、「彩色(しみのもののいろ)」という言葉が出てきます。

顔料という言葉のルーツは中国にあるとされますが、中国は支那の古い名称では、丹青(たんせい)、または青黄といったものがあります。

938年頃、平安時代中期に作られた辞書である倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)では、染料は「染色具」と呼ばれ、顔料のことは「圖繪具(ずえぐ)」と呼ばれていました。 続きを読む

象徴人類学と色彩。ンデンブ人にとって赤色・白色・黒色が象徴的に意味すること。

人類学における色彩の象徴性に関する研究は、1960年以降に、象徴人類学の盛り上がりにともなって世界各地の民族を対象に研究が行われるようになりました。

象徴人類学とは、人間はさまざまな現象を人為的に区別し、意味のあるカテゴリーに分けている(象徴づける)ことで世界を把握しているというように、現象を象徴によって読み解こうとする新しい方向性を人類学に示したのです。

色彩の象徴性についての研究で有名なのが、ヴィクター・ターナーによるザンビア北西部州のンデンブ人の色彩象徴に関するものです。 続きを読む

弥生時代から古墳時代までの色彩。装飾古墳に使われた顔料について。

日本においては、水稲農耕が始まる弥生時代(紀元前10世紀頃〜紀元後3世紀中頃)以前に用いられた顔料は基本的には赤と黒の2色でした。

原料の赤はベンガラや朱、黒はマンガンの酸化物などです。

「弥生時代」という名称は、1884年に東京都弥生町(やよいちょう)遺跡で見つかった1つの縄文土器とは異なる壷の発見がきっかけとなりました。この土器は縄文土器と異なる「弥生土器」として認識されるようになりました。

弥生時代に続く、日本の歴史の時代区分のひとつである古墳時代、5世紀〜6世紀になると北部九州などを中心にたくさんの装飾古墳(そうしょくこふん)がつくられます。 続きを読む