武士、侍(サムライ)はどのような衣服を着ていたのか?武士の装いの歴史。

武士、侍はどのような衣服を着ていたのか?

その歴史は、律令制の崩壊を象徴する承平天慶(しょうへいてんぎょう)の乱(931年〜947年)が起こった平安時代中期から、慶応3年(1867年)大政奉還によって武士の公服として着用されてきた上下(かみしも)が撤廃されるまでの約10世紀にわたります。 続きを読む

オーガンジー加工とは? Organdie finish

オーガンジー(organdy、organdie)は、経糸、緯糸に細糸を使用した平織などの、透け感のある硬めの薄地織物です。

もともとは綿織物ですが、レーヨン、シルク、アセテート、ナイロン、ポリエステル繊維にも用います。

綿布は、パーチメント加工により透明度が高く、硬い風合いとなります。綿が溶ける寸前の濃度の硫酸に布を漬けて、水洗いをし、さらに※マーセル化処理をします。

さらに硬くするためには、糊料(こりょう)・樹脂加工剤を付けて乾燥した後、光沢を出すためにカレンダー加工をして仕上げます。

※マーセル化・・・強アルカリの苛性ソーダ(水酸化ナトリウム溶液)を含んだもので、繊維を加工すること。縮みを防ぎつつ処理することで、繊維が引き締められ、滑らかにするために絹のような光沢と感触を生じ、強さも増します。

関連記事:リップル加工とは?シルケット加工とマーセリゼーション。綿繊維の収縮を利用して、生地を加工する方法。

撥水加工(はっすいかこう)、撥油加工(はつゆかこう)とは?

撥水加工は、繊維に水をはじく性質を与える加工のことです。

科学的処理加工によって、撥水剤を結合し付着することで、繊維の性能を変えています。

ジルコニウムやチタン化合物とパラフィンエマルジョンの系統は、ジルコニウムやチタンが繊維とのなじみを良くし、アルミニウム系よりも耐久性のある撥水性が得られます。

綿やレーヨンの水酸基と化学結合して、耐久性のある撥水剤として、ICIのVelan PFやDu pont(デュポン社)のZalan APは、脂肪酸アミドのピリジニウム塩であり、しみ込ませてから乾燥させ、熱処理を150℃〜180℃で3分〜5分行います。その後、ソーピングが必要です。 続きを読む

能装束の種類や特徴、意味について。

能装束は、日本の伝統芸能の能演に着用される衣装の総称です。

老松(おいまつ)が描かれた木の板を鏡板(かがみいた)と言いますが、鏡板を背景とする簡素な舞台の上で、なおかつ最小限の動きで演じられる能にとって、衣装は非常に重要な意味を持っています。

能装束は、単に着飾るための衣装ではなく、役柄の身分や年齢、性格、そして心情を語る大切な要素となっているのです。

横浜能楽堂 舞台正面

引用:横浜能楽堂 舞台正面.jpg via Wikimedia Commons

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オパール加工とは? Opal finish

オパール加工とは、耐薬品性の差を利用して、混紡交織物の一方の繊維だけを除去して、透かし模様を出す加工のことです。

オパールは、宝石の名前からきており、本来は布の上にオパール調の模様を出すオパール捺染のことでした。オパール加工は、抜食加工(burn out finishing)とも言います。

また、布全体を抜食するオールバーンアウト加工(All burn out)もあります。 続きを読む

日本における刺繍の歴史。奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、それぞれの時代における刺繍の特徴。

針と糸があれば、布を自由に装飾できる刺繍は、世界中で古くから行われてきました。

中国では、殷代(紀元前17世紀〜紀元前1046年)の青銅器に付着していた絹にひし形の文様が刺繍された例が見つかっています。

日本においては、中国から発達した刺繍の影響を受けながらも、織りや染めと混ざりあいながら、日本的な美しさが数多く生まれてきました。 続きを読む

なぜ振袖は、袖が長くなったのか?振袖の装飾技法と模様について。

振袖とは広い意味で、身頃(体の前面と背面を覆う部分)と袖の縫い付け部分を短くして、「振り」(袖つけより下の袖の部分)を作った袖のこと、もしくは「振り」をもち小袖形の衣類全般を指します。

振袖の”ようなもの”は、室町時代(1336年〜1573年)から安土桃山時代(1573年〜1603年)にかけて、当時の文献や肖像画からみてとれます。

着用しているのは、もっぱら子供や若い女性ですが、当時はまだ「振袖」とは呼ばれず、袖も現在のように長くはありませんでした。

機能面では袖の下の一部分を解くことで、空気が通りやすくして暑さを逃がすという実用的な面もあったようです。

なぜ振袖は、袖が長くなったのか?

振袖は装飾が美しいというイメージはあると思いますが、歴史的にその際立った染織美を発揮するようになったのは、袖丈が伸びていく過程とほぼ一致しているとされています。

機能的な面から言えば、袖が長くなることでプラスになる面は、そんなに多くないでしょう。顔を隠しやすくなることはあっても、動きやすくなるという点は考えにくいです。 続きを読む

友禅染めの工程。糸目糊(いとめのり)を置く代表的な本友禅。

友禅染めは、もともとおこなわれてきた描絵による手描き友禅と、明治に入って考案された型友禅に大きく分類できます。

手描き友禅にも、糊の置き方の違いなどによってさまざま種類がありますが、糸目糊(いとめのり)を置く代表的な本友禅の工程を紹介します。

①青花付け

※仮絵羽(かりえば)の状態の生地に青花で下絵を描きます。描き終わったら、仮絵羽を解いて一枚の布に縫い合わせて戻す端縫い(はぬい)の作業をおこないます。

※仮絵羽(かりえば)・・・きものを仮に仕立てたものをさします。きものの形に仮縫いしてあるので、全体の柄の様子がわかります。 続きを読む

友禅染めとは?その語源と宮崎友禅風のデザインの特徴。

江戸時代中期以降、きらびやかな色彩で、思うがままに描かれた模様染めが一世を風靡しました。

友禅模様と言い伝えられたこの染めは、精密な糸目糊(いとめのり)による色挿しと巧みな暈し(ぼかし)によって、従来の刺繍や絞り染めなどの技法では表現することができなかった絵画のような模様を着物にもたらしました。

特に、風景を題材にしたものは、江戸時代中期にもっとも好まれたもののひとつでした。 続きを読む

寛文小袖とは?鹿子絞りを中心としつつ、刺繍と縫い絞りを併用した技法が用いられ、動植物のみならず文字や器具が動的な模様として表現された。

小袖とは何かをおさらいすると、現在の「きもの」の原型にあたるものです。その名の通り、袖口が狭く詰まった仕立てになっています。

起源は、平安時代中頃に庶民の日常着や宮廷における男女の下着からと言われています。

鎌倉〜室町時代において武家が台頭してくるにつれて、服装の簡略化が進み、上層階級に下着として用いられていた小袖はだんだんと上着として使われて、庶民の小袖も上質化してきました。

その後、政治、文化の転換点である応仁の乱(1467年〜1477年)を境に、各階層共通の衣装の形式として小袖が完成したのです。

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