色合い」カテゴリーアーカイブ

葡萄色(えびいろ)

染色・草木染めにおける葡萄染(えびぞめ)。葡萄蔓(えびづる)を利用した染色方法について

日本の色名に、ヤマブドウの実が熟したような赤紫色のことを表す、葡萄色えびいろがあります。

葡萄えびは、甲殻類の海老えびではなく、果物のブドウのことです。

紫色を染める植物といえば、紫草むらさきが知られますが、今回は蝦蔓えびずる(えびかずら)を使用した、葡萄色えびいろについて紹介していきます。
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染色・草木染めをやる上で注意点や大切な心構え『染色の口伝』

本書は、古代の人々の心の遺産とも言うべき日本民族本来の、色彩と染を研究し、現在の多くの人々に、古代から伝承されて来た色彩の実態についての理解を得ようとするために執筆したものである。

前田雨城氏の著書、『日本古代の色彩と染』のまえがきには、上記の言葉があります。

この本は、なかなか安く出回っていないのですが、前田氏の集めてきた知識と実際の経験からの得た色について学べ、日本の古代における染色やその歴史について興味のある方にとっては読む価値が十二分にある本と言えます。 続きを読む

染色・草木染めにおけるウコン(鬱金)

ウコン(鬱金うこん)は古くから鬱金染うこんぞめとして、黄色の染料に使用されました。

ウコン(鬱金うこん)はみょうがに似た地下茎ちかけいで、クルクマとも言います。

日本においては、もともと中国からウコンが移植され、栽培が行われてきました。

漢方薬として、止血剤、尿血、胆道炎等に使われていましたが、食品の黄色づけにも古くから使用されています。 続きを読む

染色・型染めにおける防染糊(ぼうせんのり)の作り方

染色、とりわけ型染めにおいて必要不可欠なのが、防染糊ぼうせんのりです。

天気や気温、湿度などを踏まえた上で、自分自身に適したのりを作るのがポイントで、防染糊ぼうせんのりをどのように調節して作るかは、のちののり置きや染色に影響する大切な仕事です。

のり置き(型付け)に使う防染糊ぼうせんのりを、型糊かたのりといいます。

防染糊ぼうせんのり型糊かたのり)は、染料店やネットでも販売しており、粘りを調節すればすぐに使用できますが、原料から防染糊ぼうせんのり型糊かたのり)を自作することも可能です。 続きを読む

藍の液に浮かぶ華

茄子紺(なすこん)とは?藍染された紫味をもった紺色について

藍は、古くから世界各地で使用され、人々に一番愛されてきたともいえる植物染料です。

日本において、藍染された色は一番薄い藍白あいじろから、一番濃い留紺とめこんまで、「藍四十八色あいしじゅうはっしょく」と呼ばれるほど多くの色味があり、それぞれ名前がつけられていました。

それぞれの藍色に名前をつけて区別をしようと思えるほど、藍色を見る目を昔の人々が持っていた・・・・・・・・・・・・・・・ともいえます。

藍色のなかで、やや紫味をもった紺色を表す色名として、茄子紺なすこんがあります。

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八重鬼菊唐草文『江戸・明治藍の手染め』愛知県郷土資料刊行会

沖縄の藍型(えーがた)。藍型の種類や技法について

沖縄で行われていた藍染は、タデ藍ではなく、琉球藍りゅうきゅうあいが原料に使用されてきました。

藍染の染色技法としては、型紙を用いて模様を表現する型染めが盛んにおこなわれ、沖縄では藍型えいがた(えーがた)と呼ばれていました。

藍型えいがた(えーがた)の技法は、紅型びんがたとほとんど同じで、広い意味では紅型びんがた藍型えいがたも含まれますが、一般的には区別されます。 続きを読む

位袍(いほう)とは?

位袍いほうとは、位階いかいによって定められた色のほうを表します。

天皇は、儀式用に着用した黄櫨染こうろぜん(赤みの暗い黄褐色)や平常用としての麴塵きくじん(くすんだ黄緑色)、皇太子は黄丹おうに(赤味を帯びたオレンジ色)を着用したとされます。

臣下しんか(君主に仕える者)は三位以上が紫色、四位が深緋こきあけ(紫みの暗い赤色)、五位が浅緋あさあけ(わずかに黄味のある薄い緋色ひいろ、六位〜七位が緑、八位以下がはなだ(薄い藍色)であったようです。

10世紀ごろから、四位以上は黒、五位が蘇芳すおう、六位がはなだとなりました。

墨流し(すみながし)とは?和紙や布を墨汁(ぼくじゅう)で染める墨流しの技法や歴史について

墨汁ぼくじゅうを水面に浮かべ、波紋状はもんじょうの模様を作り、水面に和紙や布つけて模様を染めることを「墨流し(すみながし)」といいます。

福井県武生たけふ市に伝わる「越前墨流し(えちぜんすみながし)」は、800年の歴史があります。 続きを読む

蓼藍(タデアイ)

阿波25万石、藍50万石。徳島(阿波)におけて藍栽培が盛んだった理由と藍の栽培が禁止になった理由について

現在の徳島県では、鎌倉時代ごろから藍作の歴史が始まったとされます。

徳島藩が阿波北方あわきたがたと言われた吉野川下流域の農村で生産された「藍」からあがる莫大な租税で、近世を通じて「富裕藩」と言われ、多くの諸藩から羨望されていたことが知られています。

徳島において藍の栽培が盛んになった理由を、いくつか挙げることができます。 続きを読む