日本に梅が伝わったのは、弥生時代から飛鳥時代ごろとされ、中国から薬用の烏梅として伝来したと言われます。
烏梅は、実が青い状態の梅を釜戸の煙で黒く燻薫製し乾燥したもので、煎じて風邪薬や胃腸薬として用いたり、止血や切り傷の手当てにも使用されてきました。
梅は、花の美しさや珍しさから観賞用としても楽しまれるようになりました。
梅は、薬用、食用、観賞用、そして染色用と多様な用途のある有用な植物として渡来し、栽培されるようになったと考えられます。
目次
染色・草木染めにおける梅(うめ)
染色においては、平安時代以後は、重要な媒染剤として梅の実のクエン酸が利用されていました。
特に、紅花を使用した紅染には欠かせないもので、梅剥(剥き梅)や鳥梅が使用されていました。
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梅剥は、青い梅を干瓢を作るように薄く皮や果肉を剥いてから、乾かして乾燥させてできます。
使用する際は、梅剥を水かお湯に浸して、紅花から成分を抽出した液を中和するために使用します。
烏梅とも、梅剥と同様に使用する際は、水かお湯に浸して成分を抽出した液を使用します。
梅を染色に用いたのはいつ頃かははっきりしませんが、江戸時代後期の有職故実書で、宝暦13年(1763年)から天明4年(1784年)の22年間にわたり執筆された『貞丈雑記』には、「梅染、室町時代の染色の名、梅屋渋で染めた色をいふ。その淡く染めた赤みの淡茶色を梅染、かなり濃く染めて赤みのあるを赤梅、ごく濃く黒味に染めたものを黒梅といふ」というような記述があります。
梅の染色方法
梅の小枝を使用すると、色は薄くなりますが、大木の幹からとった幹材や紅梅の幹材で染めると赤味のある茶系統の色合いに染まります。

梅染め、アルミ媒染の色合い
梅の樹皮や幹材、小枝を利用した染色方法としては、以下のような流れになります。
①梅の樹皮や幹材、小枝を細かく刻んだものを700gを8リットルの水に入れて熱し、沸騰してから20分ほど熱煎して煎汁をとる。同じようにして3回まで煎汁をとり、1番から3番までの液をまとめて染液とする
②染液を火にかけて熱し、絹糸1kgを浸して10分間煮染したあと、染液が冷えるまでか一晩染め液に浸しておく
③酢酸アルミ40gを15リットルの水に溶かして、染め糸を浸して30分間媒染し、水洗いする
④染液を再び熱して媒染した糸を浸して15分間煮染し、染液が冷えるまで浸しておき、水洗いして天日の元乾燥させる
⑤さらに染め重ねる場合は、3回まで煎汁をとった梅を同じようにして、6回まで煎汁をとり、染液として、乾かした糸を再び浸し、15分間煮染し、染液が冷えるまでおいておく
⑥酢酸アルミ40gを15リットルの水に溶かして、染め糸を浸して30分間媒染して水洗いする
⑦再び、染液を熱し、媒染した糸を浸し、5分間煮染したと、染液が冷えるまで浸しておき、水洗いして天日の元乾燥させる
木酢酸鉄を媒染に使用して染める方法
木酢酸鉄や鉄漿(おはぐろ)の鉄分を媒染に使用して染めると、黒っぽく染まります。

梅染め、鉄媒染
梅の木を切ったばかりの枝や樹皮を染色に使用すると茶味がなく、青味の色になりいわゆる鳩羽鼠色になります。
①梅の樹皮や幹材、小枝を細かく刻んだものを70gを8リットルの水に入れて熱し、沸騰してから20分ほど熱煎して煎汁をとる。同じようにして3回まで煎汁をとり、1番から3番までの液をまとめて染液とする
②染液を火にかけて熱し、絹糸1kgを浸して10分間煮染したあと、染液が冷えるまでか一晩染め液に浸しておく
③木酢酸鉄15ccを15リットルの水に入れ、染め糸を浸して30分間媒染し、水洗いする
④染液を再び熱して媒染した糸を浸して15分間煮染し、水洗いして天日の元乾燥させる
⑤さらに染め重ねる場合は、3回まで煎汁をとった梅を同じようにして、6回まで煎汁をとり、染液として、乾かした糸を再び浸し、15分間煮染し、水洗いして天日の元乾燥させる
梅の薬用効果
中国最古の薬物学(本草学)書であり、個々の生薬の薬効について述べている『神農本草経』に、「梅実」として記載されています。
『神農本草経』の特徴として、1年の日数と同じ365種類の植物・動物・鉱物が薬として集録されており、人体に作用する薬効の強さによって、上薬(120種類)中薬(120種類)下薬(125種類)というように薬物が3つに分類されている点があります。
上薬・中薬・下薬は、上品・中品・下品ともいいますが、梅実は、中品に収録されており、気を静めたり(下気)、熱を抑えたり(除熱)、知覚麻痺(不仁)や治りにくい病気(悪疾)などに効果があったとされます。
7世紀後半から8世紀後半(奈良時代末期)にかけてに成立したとされる日本に現存する最古の和歌集である『万葉集』には、4,500首以上歌が集められていますが、梅を詠んだ歌が非常に多く、萩に次いで118首が収められています。
江戸時代中期、医者であった寺島良安によって編集された百科事典である『和漢三才図会(1712年)』の86巻梅の項には、白梅と並んで烏梅が記載されています。
烏梅は、現在でも漢方薬のひとつになっています。
【参考文献】『月刊染織α1985年12月No.57』