素材」カテゴリーアーカイブ

ウール(羊毛)の特徴と素材の特性。ウール(羊毛)はなぜ縮むのか?

ウール(羊毛ようもう)は、家畜として飼育されている羊の毛を言い表します。

国際的な商取引では羊毛に限って「ウール(wool)」と呼んでおり、他の獣毛じゅうもう繊維を「ヘア(hair)」と呼んで区別しています。

品質表示において「毛」と表記する場合は、すべての獣毛じゅうもうに適応できます。

高級品であること示すために、カシミヤ(cashmere)モヘア、アンゴラなどとそれぞれ表記できる場合もあります。

Wilderness Road - Sheep for wool (7047953945)

Sheep for wool,Virginia State Parks staff, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons,Link

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生機(原反)加工の流れ。精錬、毛焼き、糊抜き、漂白等。P下、下晒し生地について

織り機や編み機で加工し、出来上がったばかりの生地のことを、「生機きばた」や「原反」げんたんといいます。

織り上がった生地をそのまま未加工で使用する場合もありますが、油脂ゆしや繊維のカスなどの不純物が混在していることが多いため、基本的には加工してから商品として出荷されます。

倉敷帆布を織るシャトル織機の様子

倉敷帆布を織るシャトル織機の様子,Baistone, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons,Link

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藍染された糸

糸の撚りの強さは品質にどのように影響するか?撚糸(ねんし)における甘撚り糸(あまよりいと)と強撚糸(きょうねんし)の特徴について

1本の糸をつくるためには、1本から複数の糸をねじりあわせることでりをかける作業が必要です。

り」とは、糸をねじり合わせることを意味し「撚糸ねんし」という言葉は、「りをかけた糸」を表します。

糸をることで、丈夫な1本の糸をつくることができるのです。

糸のりについて考えるのは非常に重要で、なぜなら糸のり方によって、糸の強度、肌ざわりや風合いに大きく影響するためです。 続きを読む

インド更紗

インドの綿織物であるキャラコ(calico)。ヨーロッパを魅了したキャラコと産業革命との深い繋がり

インドにおけるキャラコ(calico)と呼ばれた平織りの綿織物が、17世紀終わり頃からヨーロッパに伝わり、人々を魅了しました。

キャラコは、カーテンやシーツ、そして肌着等にも適していました。

もともと、ヨーロッパには綿花の栽培と綿工業がなかったため、インドからやってきた綿織物が、人気を博すのは必然でした。

人々に愛されたキャラコですが、歴史をたどってみると、イギリスの産業革命とその背景にあった悲しい歴史がみえてきます。

更紗の断片 (インド)、18 世紀後半,,Chintz Fragments (India), late 18th century (CH 18481741)

更紗の断片 (インド)、18 世紀後半,Cooper Hewitt, Smithsonian Design Museum, Public domain, via Wikimedia Commons,Link

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黄八丈(きはちじょう)

黄八丈(きはちじょう)とは?八丈島の絹織物である黄八丈の歴史と染色技法について

黄八丈きはちじょうとは、主に草木染めで染められた黄色・樺色かばいろ・黒色の三色の糸を使って、さまざまな縞模様を織り出す絹織物のことです。

黄八丈きはちじょうは、広い意味で茶系統の鳶八丈とびはちじょうや黒系統の黒八丈くろはちじょうを含めた、八丈島で生産されたつむぎを総称しています。

全体的に渋く、味わいのある色合いであるため、絹織物らしい光沢感は抑えられます。

染色の工程で、乾燥のために長い日数を八丈島の強い直射日光にさらすため、堅牢度けんろうどが良く変色したり退色しづらい特徴があります。

黄八丈きはちじょうは、たくさん使われ、洗われることで、年を経るにつれて、より一層色合いが冴えてくるともいわれたりします。 続きを読む

蚕(かいこ)の繭(まゆ),絹糸(シルク糸)の原料

絹(シルク)のセリシンとは?セリシン(sericin)を除去する方法について

かいこ家蚕かさん)のまゆから取ったままの糸を生糸きいと(raw silk)と言います。

生糸きいとを構成している一本の繊維は、2種のタンパク質からなります。

カイコの体内にある左右の絹糸腺からつくられた2本の「フィブロイン」タンパク質が、膠質こうしつの「セリシン(sericin)」と呼ばれるタンパク質に包まれた形になっています。 続きを読む

『魏志倭人伝』に記載される倭国の染織品について

魏志倭人伝ぎしわじんでん』は、中国の三国時代についての歴史書です。

魏志倭人伝ぎしわじんでん』とは、中国の歴史書『三国志』に収められた『魏書ぎしょ』うちの「東夷伝とういでん」の項の「倭人わじん」の条にあたる部分のことを通称しています。

東夷伝とういでん」とは、中国の歴史書の中で、中国の東方に住んでいる諸民族について書かれた記述のことです。

3世紀初頭に「倭国わこくの女王」と称された卑弥呼ひみこが、中国の三国時代に華北かほくを支配した王朝であったへの贈りものとして、染織品も挙げられているため、弥生時代にはすでにある程度の染織技術があったと考えられます。 続きを読む

型染めされた木綿の藍染布,唐草模様

藍作・藍染と木綿の深いつながり。共に発展し、衰退していった歴史

明治8年(1875年)に、東京大学の初代お雇い教師であったイギリスの科学者であるロバート・ウィリアム・アトキンソン(1850年~1929年)が来日した際、道行く人々の着物や軒先のきさき暖簾のれんなどを見て日本人の暮らしの中に、青色が溢れていることを知りました。

東京を歩き、日本人の服飾に藍色が多いのを見て驚いたアトキンソンは、明治11年(1878)『藍の説』を発表し、藍に「ジャパンブルー(JAPANBLUE)」と表現したとされます。

日本中の庶民にとって大切にされてきた、藍染の衣類。

藍染が日本に広がった理由として、木綿との非常に密接な関係がありました。 続きを読む

尾州紺木綿『江戸・明治藍の手染め』愛知県郷土資料刊行会

日本の綿花栽培・木綿生産が普及した歴史。苧麻が、木綿に取って代わられた理由

江戸時代に流通した主な商品は、米を抜きにして考えると、木綿・菜種・干鰯ほしか・酒・材木・藍などが上位を占めました。

江戸時代以前、木綿が大陸からやってきて広がっていくまでは、日本においてイラクサ科の多年草木である苧麻からむし(学名 Boehmeria nivea var. nipononivea)を原料にした布が一般的に生産されていました。

木綿は、戦国時代から江戸初期にかけて、爆発的に普及したとされています。
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