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縞帖(1857年)(安政四年嶋染集帳)

縞帖(縞帳)とは?縞帖(しまちょう)の特徴から手紡ぎ糸から紡績糸へ、天然染料から化学染料への変化を読みとる

古く、機織はたおりは各家庭でおこなわれ、もっぱら女性の仕事でした。

縞帖しまちょう(縞帳)とは、自家用で作る織物の参考のために、使い終わった大福帳だいふくちょうの上に縞柄しまがらきれが無数に貼りつけられたものです。

縞柄のきれが貼られた縞帖しまちょうには、年号が記されたものも多く(経年劣化で解読できないものも多い)、貼り付けられた織物の年代を知る手掛かりとなります。

縞帖しまちょうの特徴から、時代の変化もみえてくるのです。

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紋付(もんつき)の紋の起源と歴史。武家、公家、町人にとっての家紋の役割や意味について

もんというと、基本的に「家紋かもん」を表し、代々その家に伝わる家の印として、家系や個人を識別し、その地位を表すために使われてきました。

紋には、正式の紋と略式の紋があり、略式の紋は正式の紋の一部であったり、全く別の簡単な図柄を使うこともあります。

紋はもともと武家の男子に用いられていましたが、江戸時代中期以降に、武家の女子にも使い始められ、彼女たちの小袖の背中と両袖に1つずつ染め抜かれるようになりました。 続きを読む

鹿子(かのこ)絞りとは?鹿子絞りを全体に施した疋田鹿子、総疋田、総鹿子について

鹿子かのこ絞りは、小形の白い丸形がまばらに散ったような絞り柄になります。

鹿子かのこ絞りの名前の由来としては、鹿は生後2年くらいの間、敵から見つからないようなカモフラージュのため栗色の体の表面に白い斑点はんてんが多くできることから、それに似た絞り柄として名付けられました。

古く、鹿子絞りは、「結帛(ゆいはた)」、「纈(ゆはた)」、「目結(めゆい)」、「目染(めぞめ)」ともいわれていました。

鹿子絞りの中でも、疋田鹿子ひったかのこ総疋田そうひった)は布面に隙間なく散らしたもので、京極きょうごく絞りは比較的絞り柄の間隔が広いもの、小粒を連続させた一目ひとめ(人目)などがあります。 続きを読む

越後上布(えちごじょうふ)

上布(じょうふ)とは?上布の産地や特徴について

上布じょうふとは、苧麻ちょま(からむし)の糸を用いて平織りにした上質な麻布のこといい、もともとは中布、下布に対して上質な苧麻布を表す言葉として使用されていました。

糸が細く、織りあがった布が薄手であればあるほど上質なものとされ、越後上布(えちごじょうふ)や奈良晒(ならざらし)、近江上布(おうみじょうふ)や能登上布(のとじょうふ)、宮古上布(みやこじょうふ)や八重山上布(やえやまじょうふ)などが良く知られています。

上布じょうふは、主に夏物の着尺地きじゃくじ(大人用の着物1枚を作るのに要する布地)として最高級のものとされ、白生地、紺無地、縞物しまものかすりなどがあります。 続きを読む

正倉院裂(しょうそういんぎれ)とは?正倉院宝物として保存されている裂(布きれ)について

正倉院裂しょうそういんぎれとは、正倉院宝物しょうそういんほうもつとして保存されているきれ(布きれ)のことです。

正倉院裂しょうそういんぎれには、奈良時代の天平勝宝てんぴょうしょうほう年間(749年〜757年)に行われた東大寺大仏開眼供養だいぶつかいげんくように用いられた裂や聖武天皇(701年〜756年)にゆかりのあった裂などがあります。

その大部分は絹と麻でできた織物で、他には羊毛(ウール)を熱や圧力をかけて縮めた毛氈もうせんがあります。 続きを読む

絣(かすり)模様の種類

江戸時代後期から明治、大正、昭和の時代にかけて、庶民の間でとりわけ親しまれた織物にかすりがあります。

かすりとは、経糸か緯糸のどちらか、あるいは経糸と緯糸の一定部分を、糸や布などで括ったり木の板で挟むことによって防染して染めた糸を使用し、織り文様を表現したものです。

織物の組織としては、絣は平織りと繻子織りしゅすおりにみられます。 続きを読む

シャム更紗とは?暹羅(タイ)から輸入された更紗について

タイの現在の正式国名は、タイ王国(ラーチャ・アナチャク・タイ The Kingdom of Thailand)ですが、20世紀初頭までの国名は「シャム」でした。

「シャム」(syama)は、サンスクリット語由来とされますが、他国からのいわば他称に基づくものであったため、1938年に近代国家へと進んでいくなかでタイ族の国民国家として「タイ」に改称されたのです。

日本では「暹羅」と書かれシャムと呼び、14世紀頃から600年~700年ほど続いた国の呼び名でした。 続きを読む

絞り染めとは?

絞り染めとは、布の一部を糸で括ったり、巻き締めたりすることで防染し、染色したものです。

日本においては、奈良時代の最盛期にあたる天平時代てんぴょうじだい(729年〜749年)にすでに行われていたゆはた目交めゆい目結めゆいなどと呼ばれたものです。

日本で古くから行われてきた三種類の染色技法をまとめて表す言葉に「三纈さんけち」がありますが、板締めの夾纈きょうけち、ろうけつ染めの臈纈ろうけち、そして絞り染めは纐纈こうけちがそれに含まれます。

平安時代頃には、絞りは目纈(めゆい)、纈帛(ゆはた)、括染、くくし染、結幡、目染、取染、目結(めゆい)などと呼ばれていました。

室町時代末期から安土桃山時代(1573年〜1603年)にかけて流行した文様染めで、日本の染め物を代表するものである辻が花つじがはなは、幻の染物と呼ばれ、その基本的な技法は絞り染めです。

関連記事:【幻の布】辻が花とは何か?辻が花の特徴と歴史について

江戸時代には、鹿子かのこ絞りが全盛期となり、しばしば奢侈禁止令しゃしきんしれいの対象になっていました。

絞り染めは、古代中国をはじめ、中南米、インドネシア、インド、タイなど世界中で行われ、その技法は単純ではありますが、絞り方にはさまざまな種類があるのです。