色合い」カテゴリーアーカイブ

室町時代の勘合貿易(かんごうぼうえき)と染織品

勘合貿易かんごうぼうえき」は、室町時代に勘合(勘合符かんごうふ)を用いて行なった日本と中国(明)との貿易形態を表します。

室町幕府3代目将軍の足利義満あしかがよしみつ(1358年〜1408年)は、幕府の財政難を打開するために、倭寇わこう(13世紀から16世紀にかけて、朝鮮半島や中国大陸の沿岸部を荒らしていた海賊)の取り締まりと引き換えに、朝貢ちょうこう(外国の使者などが朝廷に貢物を差し出すこと)という形式で日明貿易にちみんぼうえきを開きました。 続きを読む

位(くらい)や階級によって定められた位色(いしき)

日本においては、飛鳥時代(592年〜710年)から奈良時代(710年〜794年)にかけて、個人の地位や身分、序列などを表す位階を、冠や衣服の色によって差異を付ける制度である「衣服令えぶくりょう」が制定されました。

着用する衣服に関して定められた制度や法令のことを「服制ふくせい」や「衣服令いふくれい(えぶくりょう)」などと言い、身分や地位、職業などによって衣服の素材や色、形、着用する場所などを規定し、社会的秩序を守るために規定されました。

くらいや階級によって定められた色を、位色いしきといいます。

日本における位色いしきの始まりは、日本で603年に制定され、605年から648年まで行われた冠位制度である冠位十二階かんいじゅうにかいと考えられますが、はっきりとはしていません。
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「毛織(混織)の軍服(陸軍)のハギレ」堀切辰一(著)『襤褸達の遍歴ーこぎれ四百姿』

国防色(こくぼうしょく)としてのカーキ(khaki)。軍服における色の歴史について

「カーキ」は、軍服の色としては一般的です。

「褐色」「茶褐色」「黄褐色」「枯れ草色」「ベージュ」「ブラウン」などが「カーキ」と括られることもあり、その色合いにはさまざまなものがあります。

カーキ(khaki)の語源はペルシャ語で、インドのヒンディー語に入った「khak=埃」から「khaki=土埃」となってイギリスに伝わり、「khaki=土埃」は、乾いた土地の色(大地の色)を表しました。

世界中で使用される軍服のほとんどはカーキであり、日本軍にカーキの軍服が採用されたのにも理由があります。 続きを読む

染色・草木染めにおける灰汁(あく)の効用と作り方。木灰から生まれる灰汁の成分は何か?

木材やわらの灰に水や熱湯を加えてかき混ぜ、一晩経つと灰が沈殿ちんでんしますが、その上澄うわずみ液が灰汁あくと呼ばれるアルカリ性の液体になります。

灰汁あくは、非常に古くから染色の分野で活用されてきました。

染め以外の分野でも、古くは世界中で洗濯用の「洗剤」として広く使われていたり、日本ではお酒に混ぜてアルカリ性にすることで防腐ぼうふや色つけ効果を求めたり、灰汁あくをつくった後に残った灰は焼き物の製造などに活用されてきました。

普通に生活していても、灰汁あくというものにふれる機会はありませんが、現代においても灰汁あくが活用されている分野があるのです。 続きを読む

染め色における韓紅(からくれない)

韓紅からくれないとは、紅染で濃く染めた色を表します。

『万葉集』には、「紅の濃染」と詠まれたものがありますが、文献では、平安時代の『延喜式えんぎしき』において韓紅からくれないがみられます。

一般的な紅色に比べ、色が深いものを言い表すために深紅や韓紅からくれないなどと言って区別をしていました。 続きを読む

弥生時代から古墳時代までの色彩。装飾古墳に使われた顔料について

日本においては、水稲農耕すいとうこうさくが始まる弥生時代やよいじだい(紀元前10世紀頃〜紀元後3世紀中頃)以前に用いられた顔料は基本的には赤と黒の2色でした。

原料の赤はベンガラや朱、黒はマンガンの酸化物などです。 続きを読む

『延喜式』(えんぎしき)平安時代にまとめられた三代格式の一つで、古い染色を研究する人たちにとっては、欠かすことのできない文献

染色・草木染めにおける『延喜式』(えんぎしき)。衣服の色によって位階に差をつける衣服令(服色制)について

日本の古代の人々は、草木が成長し花が咲き、果実が実るのは、草木に宿る精霊(木霊)の力であると信じ、草木からとれる自然の色で、衣服を染めつけていました。

強い精霊の宿るとされる草木は、薬用として使用されていました。薬草に宿る霊能が、病気という悪霊によって引きおこされた病状や苦痛を人体から取り除き、悪霊をしりぞける作用があるとされていたのです。

染色の起源は、草木の葉っぱや花などをりつけて染める「摺染すりぞめ」です。

日本の染色技術が飛躍的に発展するのは、4世紀ごろに草花から染料を抽出し、これを染め液として、浸して染める「浸染しんせん」の技術が中国から伝わってきてからです。 続きを読む

正倉院宝物(しょうそういんほうもつ)に使用された顔料と染料について

奈良・平安時代の中央・地方の官庁かんちょう大寺だいじには、穀物や財物などの重要物品を納める正倉しょうそうが設けられていました。

日本中、あちこちに置かれた正倉しょうそうは、今日に至るまでにさまざまな理由で亡んでしまい、現在残っているのが、東大寺正倉院内の正倉一棟だけです。これがすなわち、正倉院宝庫しょうそういんほうこです。

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東大寺正倉院/あずきごはん/CC BY-SA 4.0/via Wikimedia Commons,Link

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日本における化粧の色合いと歴史。古典的な赤く塗る化粧と、白く塗る化粧に使用された化粧料の素材について

化粧の原型は、顔や身体への彩色さいしょくと言われています。

体に色を塗っているアフリカの部族を映像で見たことがある人もいると思いますが、古くは部族や階級間の差別化や、色がもたらす呪術じゅじゅつ的な目的のために彩色さいしょくが行われていたと考えられているのです。

Karo Woman at Korcho. (in explore) - Flickr - Rod Waddington

Rod Waddington from Kergunyah, Australia, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons,Link

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