色合い」カテゴリーアーカイブ

墨流し(すみながし)とは?和紙や布を墨汁(ぼくじゅう)で染める墨流しの技法や歴史について

墨汁ぼくじゅうを水面に浮かべ、波紋状はもんじょうの模様を作り、水面に和紙や布つけて模様を染めることを「墨流し(すみながし)」といいます。

福井県武生たけふ市に伝わる「越前墨流し(えちぜんすみながし)」は、800年の歴史があります。 続きを読む

染色・草木染めにおける冬青(そよご)。染色方法の一例について

冬青そよご(学名 Ilex pedunculosa)は、山梨県より西の本州、四国、九州の山地に生えている常緑樹で、実が美しいことから庭木としても植えられます。

雌雄異株で、6月ごろに小さな白い花が咲き、実は丸く熟すと紅色になります。

冬青そよごという名前の由来は、葉が風にゆれて、ザワザワ音をたてながらそよぐさまからきています。

Ilex pedunculosa fruit

冬青,Ilex pedunculosa,Alpsdake, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons,Link

続きを読む

染色・草木染めにおけるタンニン

タンニン(タンニン酸)は、染色・草木染めにおいて非常によく知られている成分です。

タンニンの定義としては、「植物界に広く分布し、水に良く溶け、収れん性の強い水溶液を与え、皮をなめす作用を有する物質の総称」とされています。

タンニン酸という呼び方は、元々は、五倍子ごばいしのタンニンを表したものでしたが、現在では特に区別されていません。

ほとんどの植物はタンニンを含んでいますが、多量に含むものを「タンニン酸」などとも呼びます。

タンニンは、非常に複雑でさまざまな種類のものがあるということですが、分離して生じる物質の種類によって、ピガロールタンニンとカテコールタンニンに大別されています。
続きを読む

染色・草木染めにおける福木(フクギ)。福木(フクギ)の染色方法や薬用効果について

福木フクギ(Garcinia subelliptica)は、琉球紅型(びんがた)に使用される沖縄で有名な染料植物の一つです。

フクギの属名(Garcinia)は、フランスの植物学者ガルサン(Laurence Garcin)の名前に由来しています。

日本においては、奄美大島や沖縄、八重山諸島などに分布し、同属の植物も世界中の熱帯や亜熱帯地方に分布しています。

Garcinia subelliptica (200703)

福木,Garcinia subelliptica,E-190, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons,Link

福木の木は硬く、虫害の影響を受けにくいため、建築材に使用されてきました。

また、台風や潮風、火災、干ばつなどの厳しい環境に耐えうる強さを持っているので、沖縄では古くから防風・火が燃え移らないようにする防火を兼ねた生垣や、防潮林などとして道路や沿岸に植えられてきました。

5月〜6月ごろ黄色の花を小さく咲かせ、果実は食用にはなりませんが、球体で直径3センチくらいの大きさで、熟すと黄褐色になり、中に3、4個の種子ができます。

Fukugi Tree (Garcinia subelliptica) 1

Fukugi Tree,Mokkie, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons,Link

続きを読む

染色・草木染めにおける樒(しきみ)

しきみ(学名:Illicium anisatum)は、マツブサ科シキミ属に分類される常緑の小高木で、高さは一般的に2m〜5mほどに成長しますが、大きいもので10m程度にもなります。

葉は厚く、ツヤがあり、春になると(3月~5月頃)淡黄白色の花を咲かせます。

しきみの葉は日持ちし、長い間、枯れずに力強く生きる姿をみせてくれます。

樒(しきみ),Japanese star anise (Illicium anisatum)

樒(しきみ),Illicium anisatum,harum.koh, CC BY-SA 2.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0>, via Wikimedia Commons,Link

続きを読む

紫根を使って灰汁媒染で染めた紫衣(しい)

紫根を使って灰汁媒染あくばいせんで染めた紫色の衣類が、紫衣しいと呼ばれていました。

中国では、古くから紫色は、間色かんじきとして遠ざけられていましたが、やがてその色の美しさから尊ばれるようになり、この考えが日本にも伝えられます。

日本では、飛鳥時代(592年〜710年)から奈良時代(710年〜794年)にかけて、個人の地位や身分、序列などを表す位階を、冠や衣服の色によって差異を付ける制度である『衣服令えぶくりょう』が存在していました。

この制度は、中国の唐代の服飾に影響されて制定されたもので、603年の冠位十二階、647年の七色十三階制、701年の大宝律令などいくつかの服色制を経てきました。

衣服令えぶくりょう』などからわかるように、紫色は、飛鳥あすか天平てんぴょう時代以後においては、天子・皇太子を除いて、臣下としては最高の位の人の衣服の色となっています。

なお、茜染あかねぞめ朱衣しゅいも、極めて濃い色は、多少の鉄分などの影響でやや紫味をもつことがあるため、時として紫衣しいと書かれることがあったようです。

色の衣類が朱衣しゅいと呼ばれ、本来は茜染された着物のことです。

灰汁媒染で染めた色が、あたかも朱のような黄赤きあか色であったので、これを朱衣しゅいといったのです。

蓼藍(タデアイ)

阿波25万石、藍50万石。徳島における藍栽培が盛んだった理由

現在の徳島県では、鎌倉時代ごろから藍作の歴史が始まったとされます。

徳島藩が阿波北方あわきたがたと言われた吉野川下流域の農村で生産された「藍」からあがる莫大な租税で、近世を通じて「富裕藩」と言われ、多くの諸藩から羨望されていたことが知られています。

徳島において藍の栽培が盛んになった理由を、いくつか挙げることができます。 続きを読む

『延喜式』(えんぎしき)平安時代にまとめられた三代格式の一つで、古い染色を研究する人たちにとっては、欠かすことのできない文献

染色・草木染めにおける『延喜式』(えんぎしき)。衣服の色によって位階に差をつける衣服令(服色制)について

日本の古代の人々は、草木が成長し花が咲き、果実が実るのは、草木に宿る精霊(木霊)の力であると信じ、草木からとれる自然の色で、衣服を染めつけていました。

強い精霊の宿るとされる草木は、薬用として使用されていました。薬草に宿る霊能が、病気という悪霊によって引きおこされた病状や苦痛を人体から取り除き、悪霊をしりぞける作用があるとされていたのです。

染色の起源は、草木の葉っぱや花などを擦りつけて染める「摺染すりぞめ」です。

日本の染色技術が飛躍的に発展するのは、4世紀ごろに草花から染料を抽出し、これを染め液として、浸して染める「浸染しんせん」の技術が中国から伝わってきてからです。 続きを読む