暖簾は、古くから日本において親しまれてきました。
例えば、戦国時代にあたる16世紀初頭から江戸時代にかけて制作された屏風絵である「洛中洛外図」は、京都の市街(洛中)と郊外(洛外)の景観や風俗を描いたもので、絵の中には「のれん」と思われる描写が多数見受けられます。

紙本著色洛中洛外図 六曲屏風,Kano Takanobu (attributed), Public domain, via Wikimedia Commons,Link
上記の屏風絵も、町屋の入り口に布がカーテンのようにかけられてあり、表通りに面した入り口の白い布には、商売のために墨のようなもので紋印が描かれています。
この屏風絵のように、古い資料にはのれんが見受けられ、色地に模様を染め抜いたようなものも登場します。
布だけでなく、縄をたくさん吊り下げたものや、軒下のひさしの内側に短い布切れを「一」の字のように、まっすぐ横に並んで吊り下げたようなものも見受けられます。
家の出入り口に布をかけて、古くは必ずしものれんを2つや3つに割って使用していなかったようです。
のれん(暖簾)の意味や機能性
のれんは、古くは軒下に吊り下げ、屋号をのれんに描くことにより商売の標識としての意味が大きくありました。
現代のようにさまざまな素材を使って看板を作れなかった時代には、加工しやすい布を使って屋号を表すのが一般的だったのです。
もちろん現代でも、商売の標識としてののれんは、老舗の名店などでよく見受けられます。
のれんの機能性に関しては、直接日光が当たるのを避ける日除けとしての役割があります。
また、古くは道路も舗装されておらず、商売に適した人通りの多い道は、砂埃りが立ちやすい環境であったことが容易に想像ができるため、のれんがほこり除けとしての役割も持っていました。