素材」カテゴリーアーカイブ

『魏志倭人伝』に記載される倭国の染織品について

魏志倭人伝ぎしわじんでん』は、中国の三国時代についての歴史書です。

魏志倭人伝ぎしわじんでん』とは、中国の歴史書『三国志』に収められた『魏書ぎしょ』うちの「東夷伝とういでん」の項の「倭人わじん」の条にあたる部分のことを通称しています。

東夷伝とういでん」とは、中国の歴史書の中で、中国の東方に住んでいる諸民族について書かれた記述のことです。

3世紀初頭に「倭国わこくの女王」と称された卑弥呼ひみこが、中国の三国時代に華北かほくを支配した王朝であったへの贈りものとして、染織品も挙げられているため、弥生時代にはすでにある程度の染織技術があったと考えられます。 続きを読む

型染めされた木綿の藍染布,唐草模様,長板中型

藍作・藍染と木綿の深いつながり。共に発展し、衰退していった歴史

明治8年(1875年)に、東京大学の初代お雇い教師であったイギリスの科学者であるロバート・ウィリアム・アトキンソン(1850年~1929年)が来日した際、道行く人々の着物や軒先のきさき暖簾のれんなどを見て日本人の暮らしの中に、青色が溢れていることを知りました。

東京を歩き、日本人の服飾に藍色が多いのを見て驚いたアトキンソンは、明治11年(1878)『藍の説』を発表し、藍に「ジャパンブルー(JAPANBLUE)」と表現したという通説があります。

日本中の庶民にとって大切にされてきた、藍染の衣類。

藍染が日本に広がった理由として、木綿との非常に密接な関係がありました。 続きを読む

藍染された木綿糸(先染め)

綛糸(かせいと)・綛揚(かせあげ)・綛染(かせぞめ)について

綛糸かせいととは、紡いだ糸を巻き取る道具である桛枠かせわく(綛枠)に糸を一定の回転巻いて枠から外し、その糸を束ねたものを表します。

単に、「かせ」ともいい、この方法や一つに束ねる分量は、糸の種類によって異なります。 続きを読む

細密に織られた絹布である縑(かとり)

かとり」は、細かく固く織られた絹布を表します。

中国の後漢末ごろに記された『釈名しゃくみょう』には、かとり緻密ちみつさを「細緻にして水を漏らさず」と表現しています。

細密に織られた絹布である縑(かとり)

かとり」は、太い糸で織った粗末そまつな絹布を表した「あしぎぬ」の対義語となります。

『日本書紀』には、神功皇后じんぐうこうごうの時に、古代の朝鮮半島南東部にあった国家である新羅しらぎから貢がれたとあります。

魏志倭人伝ぎしわじんでん』には、三世紀初めに「絳青縑こうせいけん」を日本からの使者に贈ったことが記されています。

平安時代には、かとりは、装束に仕立てるための布に用いられていました。

かとりの組織は、後世の羽二重はぶたえに似ています。

羽二重は、羽二重経はぶたえだてといって2本引き揃えた生糸を経糸に用いています。

【参考文献】『月刊染織α1991年4月No.121』

和綿が衰退した歴史。産業の近代化の波に飲まれ、輸入綿を原料に、和綿が切り捨てられる

木綿(cotton)は、16世紀には日本国内での栽培が広まっていき、17世紀初頭ごろには飛躍的に発展していきました。

木綿は庶民の日常的な衣服となり、江戸時代の経済と政治において、一貫して重要な役割を果たしていました。

しかし、明治維新を経て、殖産興業しょくさんこうぎょう政策のもとで、決定的な打撃を受けることになります。

殖産興業しょくさんこうぎょう政策とは、明治政府が西洋諸国に対抗し、機械制工業、鉄道網整備、資本主義育成により国家の近代化を推進したさまざまな政策のことを指します。

明治政府は、産業の近代化を「輸出振興」「輸入防遏ぼうあつ」という国家のスローガンを掲げ、輸出輸入の両面から綿業は、中核的戦略産業として位置づけられました。

外国の質の高い綿糸や綿布に負けないように、綿業の近代化は国家的な課題とされていたのです。 続きを読む

【おすすめのミシン糸】ミシン糸の選び方と縫い糸の種類について

縫製したい生地に対して、適したミシン糸(縫い糸)を選ぶのは非常に大切です。

ミシン糸の選択は、製品の質を向上させ、縫製の良し悪しにも影響してきます。

本記事では、素材に合った正しい縫い糸の選び方と縫い糸の種類について紹介していきます。 続きを読む

繊維におけるセルロース(cellulose)。セルロースが主成分である繊維に表れる特徴について

繊維におけるセルロース(cellulose)とは、天然の有機化合物のひとつで、植物に細胞(cell)として生成しています。

セルロースは、フランス人化学者であったアンセルム・ペイアン(1795年〜1871年)によって発見され、命名されました。 続きを読む

絹織物である甲斐絹(かいき)の特徴

絹織物の名前である甲斐絹(かいき)は、海気や改機、海黄、加伊岐などとも表記されてきました。

甲斐絹(かいき)は、もともと慶長けいちょう(1596年〜1615年)以前にオランダ人が貿易で日本にもたらした織物とされます。

寛文かんぶん年間(1661年〜1673年)に、甲斐絹(かいき)にならって甲斐かい(現在の山梨県)の郡内地方で同じような織物を生産し、これを「郡内海気」や「郡内」と言いました。

明治時代の初め頃から、産地の名前にあやかって「甲斐絹(かいき)」の字を当てたとされます。

経糸、緯糸に染色した絹練糸を用いた平織物で、色糸の使い分けによって無地や縞柄、格子や玉虫、雪降などの種類があります。 続きを読む