「縑」は、細かく固く織られた絹布を表します。
細密に織られた絹布である縑(かとり)
「縑」は、太い糸で織った粗末な絹布を表した「絁」の対義語となります。
『日本書紀』には、神功皇后の時に、古代の朝鮮半島南東部にあった国家である新羅から貢がれたとあります。
『魏志倭人伝』には、三世紀初めに「絳青縑」を日本から魏の使者に贈ったことが記されています。
平安時代には、縑は、装束に仕立てるための布に用いられていました。
「縑」は、細かく固く織られた絹布を表します。
「縑」は、太い糸で織った粗末な絹布を表した「絁」の対義語となります。
『日本書紀』には、神功皇后の時に、古代の朝鮮半島南東部にあった国家である新羅から貢がれたとあります。
『魏志倭人伝』には、三世紀初めに「絳青縑」を日本から魏の使者に贈ったことが記されています。
平安時代には、縑は、装束に仕立てるための布に用いられていました。
木綿(cotton)は、16世紀には日本国内での栽培が広まっていき、17世紀初頭ごろには飛躍的に発展していきました。
木綿は庶民の日常的な衣服となり、江戸時代の経済と政治において、一貫して重要な役割を果たしていました。
しかし、明治維新を経て、殖産興業政策のもとで、決定的な打撃を受けることになります。
殖産興業政策とは、明治政府が西洋諸国に対抗し、機械制工業、鉄道網整備、資本主義育成により国家の近代化を推進したさまざまな政策のことを指します。
明治政府は、産業の近代化を「輸出振興」「輸入防遏」という国家のスローガンを掲げ、輸出輸入の両面から綿業は、中核的戦略産業として位置づけられました。
外国の質の高い綿糸や綿布に負けないように、綿業の近代化は国家的な課題とされていたのです。 続きを読む
縫製したい生地に対して、適したミシン糸(縫い糸)を選ぶのは非常に大切です。
ミシン糸の選択は、製品の質を向上させ、縫製の良し悪しにも影響してきます。
本記事では、素材に合った正しい縫い糸の選び方と縫い糸の種類について紹介していきます。 続きを読む
繊維におけるセルロース(cellulose)とは、天然の有機化合物のひとつで、植物に細胞(cell)として生成しています。
セルロースは、フランス人化学者であったアンセルム・ペイアン(1795年〜1871年)によって発見され、命名されました。 続きを読む
ウールやシルクなどの動物性の繊維であれば、比較的かんたんに染められますが、木綿を草木染めする場合は非常に難しいです。
草木を煮出して染め液を抽出しない藍染であれば、木綿との相性が良いのでよく染まりますが、いわゆる草木染めのなかでは特殊な例となっています。
一般的な煮出して染めるような草木染めは植物性の繊維に染まりづらいので、木綿や麻などの植物性の繊維を染めるためには特殊な下処理が必要です。
木綿を草木染めで染色する場合、例外的に絹よりよく染まることもありますが、基本的には絹に比べて染まりが悪く、染まったとしても淡くしか染まりません。 続きを読む
絹織物の名前である甲斐絹(かいき)は、海気や改機、海黄、加伊岐などとも表記されてきました。
甲斐絹(かいき)は、もともと慶長(1596年〜1615年)以前にオランダ人が貿易で日本にもたらした織物とされます。
寛文年間(1661年〜1673年)に、甲斐絹(かいき)に倣って甲斐(現在の山梨県)の郡内地方で同じような織物を生産し、これを「郡内海気」や「郡内」と言いました。
明治時代の初め頃から、産地の名前にあやかって「甲斐絹(かいき)」の字を当てたとされます。
経糸、緯糸に染色した絹練糸を用いた平織物で、色糸の使い分けによって無地や縞柄、格子や玉虫、雪降などの種類があります。 続きを読む
真綿とは、木や草の綿毛、すなわち植物性の繊維である綿に対して、蚕から綿、すなわち絹綿を表します。
日本には古くから木綿が知られていなかったので、綿といえば全て絹綿だったのです。 続きを読む
日本において、古くから色のついた紙が漉かれていました。
紙を染めるためには、さまざまな方法がありますが、漉染め、浸け染め、引き染め、吹き染めの大きく4つに分類できます。 続きを読む
羊毛(ウール)を染色した際に素材がフェルト化して硬くなってしまうと、風合いが大きく変わってしまったり、糸を染めた場合は糸同士がくっついたりして、使い物にならなくなってしまいます。
羊毛(ウール)のフェルト化は、水分、高温と圧力、薬品などが作用することで起こる可能性があるため、それらの要素に注意して染色を行う必要があります。 続きを読む
一万年前の新石器時代、中央アジアでは、羊が家畜として飼育されていたと言われます。 続きを読む