蚕(家蚕)の繭から取ったままの糸を生糸(raw silk)と言います。
生糸を構成している一本の繊維は、2種のタンパク質からなります。
カイコの体内にある左右の絹糸腺からつくられた2本の「フィブロイン」タンパク質が、膠質の「セリシン(sericin)」と呼ばれるタンパク質に包まれた形になっています。 続きを読む
蚕(家蚕)の繭から取ったままの糸を生糸(raw silk)と言います。
生糸を構成している一本の繊維は、2種のタンパク質からなります。
カイコの体内にある左右の絹糸腺からつくられた2本の「フィブロイン」タンパク質が、膠質の「セリシン(sericin)」と呼ばれるタンパク質に包まれた形になっています。 続きを読む
人類は、紀元前から蚕が吐き出す絹糸(シルク糸)を利用してきました。
中国においては、長きにわたって絹に関する技術は国外秘にされていましたが、絹織物は、古代ギリシャのアレクサンダー大王(紀元前356年〜紀元前323年)の頃から絹の交易の道であったシルクロードを通じて輸出されていました。
ウールは日光に当たったり、酸化によって、次第に黄色味を帯びてきます。
もちろん黄ばみに関しては、ウールだけではなく、コットンやシルク、ナイロンやポリエステルなどさまざまな繊維に対して発生します。
絹織物の名前である甲斐絹(かいき)は、海気や改機、海黄、加伊岐などとも表記されてきました。
甲斐絹(かいき)は、もともと慶長(1596年〜1615年)以前にオランダ人が貿易で日本にもたらした織物とされます。
寛文年間(1661年〜1673年)に、甲斐絹(かいき)に倣って甲斐(現在の山梨県)の郡内地方で同じような織物を生産し、これを「郡内海気」や「郡内」と言いました。
明治時代の初め頃から、産地の名前にあやかって「甲斐絹(かいき)」の字を当てたとされます。
経糸、緯糸に染色した絹練糸を用いた平織物で、色糸の使い分けによって無地や縞柄、格子や玉虫、雪降などの種類があります。 続きを読む
真綿とは、木や草の綿毛、すなわち植物性の繊維である綿に対して、蚕から綿、すなわち絹綿を表します。
日本には古くから木綿が知られていなかったので、綿といえば全て絹綿だったのです。 続きを読む
日本において、古くから色のついた紙が漉かれていました。
紙を染めるためには、さまざまな方法がありますが、漉染め、浸け染め、引き染め、吹き染めの大きく4つに分類できます。 続きを読む
こぎんとは、麻でできた単衣(裏地がない着物)の仕事着を表します。
東北地方の中で、特に青森県や秋田の日本海側の地域で「こぎん」という呼称が使われていました。
江戸時代後期の明和〜安政年間の文献に、「小巾」の文字が見られています。
青森県の津軽地方では、藍染で濃紺に染められた麻布の長着、短着の背中と前身頃に白い木綿糸で刺しつづる(刺子)、「こぎん刺し着物(津軽刺しこぎん)」があります。 続きを読む
羊毛(ウール)を染色した際に素材がフェルト化して硬くなってしまうと、風合いが大きく変わってしまったり、糸を染めた場合は糸同士がくっついたりして、使い物にならなくなってしまいます。
羊毛(ウール)のフェルト化は、水分、高温と圧力、薬品などが作用することで起こる可能性があるため、それらの要素に注意して染色を行う必要があります。 続きを読む
ウール(羊毛)は、家畜として飼育されている羊の毛を言い表します。
国際的な商取引では羊毛に限って「ウール(wool)」と呼んでおり、他の獣毛繊維を「ヘア(hair)」と呼んで区別しています。
品質表示において「毛」と表記する場合は、すべての獣毛に適応できます。
高級品であること示すために、カシミヤ(cashmere)やモヘア、アンゴラなどとそれぞれ表記できる場合もあります。
一万年前の新石器時代、中央アジアでは、羊が家畜として飼育されていたと言われます。 続きを読む