色合い」カテゴリーアーカイブ

紅板締め,竹梅文,紅花染め

染色・草木染めにおける紅花(べにばな)。薬用効果や歴史について

紅花べにばな(学名:Carthamus tinctorius)は、キク科ベニバナ属で花弁かべんを植物染料にします。

秋に種をまいて、冬を越して春になってから開花、結実してから枯れる越年草えつねんそう(二年草)として生育したり、寒い地域では一年草として春早い時期に種をまく場合もあります。

紅色の染料としての用途のみならず、食用油の原料としても栽培されています。

紅花,Carthamus tinctorius 050709b

紅花,Carthamus tinctorius,Pseudoanas, Public domain, via Wikimedia Commons,Link

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西陣織(にしじんおり)

京都における染色加工である「京染(きょうぞめ)」

地方における染色加工に対して、京都における染色加工は「京染きょうぞめ」という名称が付けられてました。

京都における染色加工である「京染(きょうぞめ)」

染色において、京都は歴史のある生産地であり、江戸時代から「京染」や「京染物」などと称されました。

各地方でその土地の気候や風土、生育した草根木皮そうこんもくひ(草の根と木の皮)などを用いた特産の染めがありました。

京都における染色の特色としては、白生地を小袖模様(文様もんよう)に染めることで、地染めでは紅染と紫染めの特技とされました。

古くから染めの種類によって細かく分業になっていたことから、加工業者と流通業者を取り持つ調整役となっていた悉皆業しっかいぎょうを営む悉皆屋しっかいやは、さまざまな状況に対応しながら顧客の需要を満たしていました。 続きを読む

染色・草木染めにおける黄檗(きはだ)。黄檗の歴史と薬用効果、染色方法の一例について

黄檗きはだ(学名 Phellodendron amurense RUPR.)は日本各地の山地に自生するみかん科の落葉高木です。

幹の外皮は厚く、外皮の内側の内皮が黄色いため、古くから黄色を染める染料に使用されてきました。

飛鳥時代の染織品の中で、緑色系のものの多くは、藍染した上から黄檗きはだで染め重ねたものとされています。

Phellodendron amurense Korkowiec amurski 2019-05-24 05

黄檗,キハダ,Phellodendron amurense RUPR.,Agnieszka Kwiecień, Nova, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons,Link

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綿織物

なぜ色が見えるのか?人が色を認識する仕組み、色光や蛍光、加法混色と減法混色について

私たちが色を感じられるのは、私たちの目に色を見分ける仕組みがあるためです。

人間の色彩感覚は、光が眼の網膜もうまくに達して視細胞しさいぼうを刺激して、その刺激が視神経ししんけいから大脳だいのう視覚中枢しかくちゅうすうに伝えられることによって引き起こされます。

つまり、光自体に色はなく、人間の目と脳の働きによって色合いを感じられるのです。 続きを読む

染色・草木染めにおける櫟(クヌギ)。薬用効果や橡色(つるばみいろ)の歴史について

クヌギ(学名Quercus acutissima CARRUTH. )は、ブナ科の落葉広葉樹です。

属名のQuercusは、ケルト語のguer(良質の)とcuez(材木)に由来するもので、acutissimaの種名は、「最も鋭い」という意味で、葉っぱの鋸葉のこぎりばの様を表しています。

成長すると樹高は15〜20メートルほどになり、日本では本州の岩手、秋田県以南、本州、四国、九州の各地に広く分布しています。

Quercus acutissima BW-5424050

クヌギ,Franklin Bonner, USFS (ret.), Bugwood.org, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons,Link

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養蚕や機織り、染色技法について記された『機織彙編(きしょくいへん)』大関増業(著)

江戸時代後期の文政ぶんせい13年(1830年)の頃、『機織彙編(きしょくいへん)』という書物の初版が発売されました。

筆者は、現在の栃木県にあたる下野国しもつけのくに黒羽藩くろばねはん11代藩主であった大関増業おおせきますなり(1781年〜1845年)です。

大関増業おおせきますなりは、伊予国大洲おおす藩主であった加藤家に天明2年(1782年)に生まれ、文化8年(1811年)に、大関家の養子となり、翌年の文化9年(1812年)に領地であった黒羽(現在の栃木県)に入ります。 続きを読む

色合いにおける麹塵(きくじん)

色合いにおける麹塵きくじんは、青色の一種で、中国では古く『周礼しゅらい』にその名前がみられます。

周礼しゅらい』は、儒教経典(十三経)の一つで、『礼記』『儀礼』とともに「三礼」を構成する書物です。

周礼しゅらい』は、紀元前11世紀に周公旦しゅうこうたん(中国の周王朝最初の王である武王の弟)が作ったとも、前漢代の学者である劉歆りゅうきんが作ったともされます。 続きを読む

伝統的な布を精錬・漂白する(晒す)技法や種類。灰汁、天日、雪、海水を活用して布を晒す技術について

江戸時代に現在の奈良県にあたる地域では、織り上げられた麻の布を白く晒した(精錬)上質な布が生産されており、当時から、奈良晒ならざらしとして有名でした。

化学的な技術が発展していない時代においては、いかに布を精錬せいれん・漂白(さらす)することができるかが布の付加価値を向上させるためには重要な要素でした。

奈良晒ならざらしも、布を精錬する技術によってその付加価値が向上していました。 続きを読む

型染めされた木綿の藍染布,唐草模様,長板中型

藍作・藍染と木綿の深いつながり。共に発展し、衰退していった歴史

明治8年(1875年)に、東京大学の初代お雇い教師であったイギリスの科学者であるロバート・ウィリアム・アトキンソン(1850年~1929年)が来日した際、道行く人々の着物や軒先のきさき暖簾のれんなどを見て日本人の暮らしの中に、青色が溢れていることを知りました。

東京を歩き、日本人の服飾に藍色が多いのを見て驚いたアトキンソンは、明治11年(1878)『藍の説』を発表し、藍に「ジャパンブルー(JAPANBLUE)」と表現したとされます。

日本中の庶民にとって大切にされてきた、藍染の衣類。

藍染が日本に広がった理由として、木綿との非常に密接な関係がありました。 続きを読む