「色合い」カテゴリーアーカイブ

染色・草木染めにおけるハゼノキ・櫨色(はじいろ)

ハゼノキ(ヤマハゼ)は、ウルシ科ウルシ属の落葉小高木で、学名はToxicodendron succedaneumです。

黄色の心材しんざい(樹木を輪切りにしたときに、中心部分にある色の濃い部分の材木)が、染料になります。

本来、中国の黄櫨こうろは、ウルシ科の別属の木ですが、平安時代にまとめられた三代格式さんだいきゃくしきの一つである『延喜式えんぎしき』には、「採黄櫨一人」との記載があることから、日本で自生していたハゼノキ(ヤマハゼ)も利用されていたようです。

染色・草木染めにおけるハゼノキ・櫨色(はじいろ)

ハゼノキ(ヤマハゼ)の心材しんざいを染料として使用し、明礬みょうばん媒染で黄色、灰汁あく媒染でやや赤みを増し、石灰水では赤茶色、鉄塩による媒染で真黒まっくろに発色します。

室町時代中期の康正こうしょう3年(1457年)に書かれたという『雁衣鈔かりぎぬしょう』の中に、「櫨。表赤色。裏黄。若色也。年少人モ又十七八ノ人モ着之」と書かれており、櫨はじの色が重ねの色目のひとつとみられています。

この文章からは、室町時代には重ねの色目として櫨はじの色が用いられていたことがわかります。

平安時代末期に成立した仮名文の平安装束の有職故実書である『満佐須計装束抄まさすけしょうぞくしょう』には、袿うちきの色目のひとつとして、「しろぎぬつねのことなり 蘇芳すおうの匂い。白絹に。櫨濃き打ちを、重ぬべきなり。」とあり、櫨色は、宮廷の女官達に一般的に使用されていた色彩の一つであったと考えられます。

【参考文献】『月刊染織α1990年12月No.117』

キツネノマゴ科の琉球藍(りゅきゅうあい)

染色における琉球藍(りゅうきゅうあい)

琉球藍は、キツネノマゴ科の多年草で、沖縄や台湾などの温かい暖地に自生します。

生育には、温暖・多雨の気候と、山の斜面が多く、半日陰はんひかげのできる場所を好みます。

沖縄本土の北部、伊豆味地域は藍栽培の適地で、15世紀ごろには製藍が行われていたと『伊豆味誌』の資料に伝わっています。

収穫した葉と茎を水に浸して発行させた後、石灰を加え、その上澄液を捨て、底に泥状に沈殿した青藍(泥藍)を藍瓶に入れて染められます。

製法が中国から伝わったことから唐藍からあいと呼ばれたり、馬藍、山原藍などとも言われていました。 続きを読む →

桑染(くわそめ)豆汁下地で酸性水PH5で煎じ、PH8で染色した絹布

染色・草木染めにおける桑染(くわぞめ)

桑くわは、クワ科の落葉喬木きょうぼくで中国において古代染料の一つとして使用され、漢方にも用いられてきました。

葉は蚕かいこの重要な飼料となりますが、養蚕ようさん以外にも、枝や根皮を煎せんじて利尿薬、鎮咳剤、養毛料、便秘薬など、さまざまな用途に薬用として利用されていました。

幹は直立して高さ10メートルほどにも成長しますが、栽培種は毎年、木の枝が刈られるので低い木にみえます。

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蓼藍(タデアイ)

阿波25万石、藍50万石。徳島(阿波)におけて藍栽培が盛んだった理由と藍の栽培が禁止になった理由について

「阿波の藍か、藍の阿波か」といわれていたほど、阿波藍は歴史的に全国的な名声を博していたことで知られています。

現在の徳島県では、鎌倉時代ごろから藍作の歴史が始まったとされます。

元禄げんろく時代(1688年~1703年)ごろから、畿内きない(現在の京都、奈良、大阪、兵庫、滋賀)を中心として木綿の生産が飛躍的に発展したことから、阿波藍の需要が急増し、それを一つの契機として阿波が全国の藍生産の中心地となっていったのです。

徳島藩が阿波北方あわきたがたと言われた吉野川下流域の農村で生産された「藍」からあがる莫大な租税で、近世を通じて「富裕藩」と言われ、多くの諸藩から羨望されていたことが知られています。

徳島において藍の栽培が盛んになった理由を、いくつか挙げることができます。 続きを読む →

藍染された浅葱色(あさぎいろ)の糸

京の水藍(みずあい)。幻の京藍の歴史と栽培方法について

藍染の原料となる藍の栽培は、古くは日本中で行われていました。

京都においては「京の水藍みずあい」という言葉が江戸時代の文献に残っており、色合いがあざやかで品質が高かったとされ、水藍の色は京浅葱きょうあさぎ(淡い水色)とたたえられていました。

水藍とは、その名前だけあって、水稲すいとうのように水を張って田んぼで栽培された藍のことです。

水藍は、京藍、東寺藍、ちょぼ藍(田んぼのことを、その土地の言葉で「ちょぼじ」と言ったことに由来)などと呼ばれていました。

水藍に使用された藍の品種は、京都の東九条村では「丸葉」と呼んでいたようですので、基本的には丸葉タデ藍(丸葉藍)であったと考えられます。

Persicaria tinctoria bergianska

蓼藍(丸葉),タデアイ,Persicaria tinctoria bergianska,Udo Schröter, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons,Link

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江戸鼠(えどねず)の色合い

染色における江戸鼠(えどねず)

江戸時代後期に「江戸鼠えどねず」や「当世鼠」という名前で、茶色味のある鼠色ねずみいろが染色されていたことが知られています。

江戸時代後期の染色指南書や染見本帳には、「鼠(ねずみ)」を冠する多数の色名とその染法が記載されています。

嘉永6年(1853年)刊の『染物早指南そめものはやしなん』には鼠色系統の複数の染法が掲載されており、江戸時代後期にのさまざまな鼠色が染められていたことがわかります。 続きを読む →

藍染の原料である蒅(すくも)

渋沢栄一と藍作・藍玉づくり・藍染の関係について

江戸時代に木綿の栽培が日本中で広まり、木綿に染まりやすかった藍染の需要も飛躍的に伸びていきました。

江戸時代は貨幣経済が浸透してきたことから、商品作物や各藩の特産物として換金作物かんきんさくもつの栽培が推奨され、特に重要な作物は「四木三草しぼくさんそう」と呼ばれました。

四木しぼくは茶、楮こうぞ、漆うるし、桑くわ、三草さんそうは藍、紅花べにばな、麻のことを指します。

藍の産地としては、江戸時代中期ごろから徳島県の吉野川流域(阿波あわ)が最も盛んで、「阿波藍あわあい」としてブランド化していました。

現在の埼玉県が含まれる(武蔵国むさしのくに)でも江戸時代から藍の栽培(藍作)と藍染が行われており、明治初期には阿波藍あわあいに次ぐ全国第2位の生産高を誇っていました。

埼玉県深谷市は、2024年度(令和6年度)発行の新一万円札の「顔」となった渋沢栄一(しぶさわえいいち)(1840年〜1931年)が生まれた地で、彼の生まれ育った家も藍染の原料となる藍づくり農家でした。 続きを読む →