染色・草木染めにおける紫根(しこん)。紫草(むらさき)の薬用効果や歴史について


紫色を染める材料としては、古代から紫草むらさきが主に使用されてきました。

紫を染める草というので、紫草むらさきと書きますが、染色に用いるのはその根で、「紫根しこん」と言います。

紫草むらさき(学名 Lithospermum erythrorhizon)は、ムラサキ科の多年草で、日本や中国、朝鮮、ロシアなど広く分布しており、山地や草原に自生しています。

Lithospermum erythrorhizon (Boraginaceae) (35666554771)

紫草,Lithospermum erythrorhizon,yakovlev.alexey from Moscow, Russia, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons,Link

樹高は、30〜60cmほどに成長し、6〜7月に白い花が小さく開き、小粒の琺瑯質ほうろうしつの実をつけます。

白い花が群れて咲くことから、「むらさき」の名前があるともいわれています。

奈良時代には、相当自生していたようですが、平安時代に入ると自生種も少なくなり、栽培種の方が多く使われるようになりました。

紫草むらさきの赤紫色の根を乾かして保存したものは染料のほか、薬用としても珍重されていました。

根は太く、ヒゲのような細い根っこがあり、地中にまっすぐのびています。

根には、シコニン、アセチルシコニン、イソブチルシコニンなどの色素が含まれています。

染色・草木染めにおける紫根(しこん)

現在、日本で自生する紫草むらさきで染色することは不可能に近いですが、中国から輸入される紫草むらさきの根っこである紫根しこんを使用することができます。

紫根しこんを使用した染色には、古代からひさかき椿つばきなどの木灰から作った灰汁あくが必要不可欠です。

関連記事:草木染め・染色における灰汁の効用。木灰から生まれる灰汁の成分は何か?

椿つばきにもアルミナ分が含まれますが、ひさかきの木灰に含まれるアルミナはとくに多く、媒染としての役割を果たしています。

灰汁やアルミニウム塩で媒染すると紫色、温度やアルカリの強度などの染色の条件によって、赤味や青味、場合によっては灰色がかった色合いになります。

紫根しこんの色素であるシコニンが、酸性で赤色、アルカリ性で青紫になる性質によるものです。

紫根しこんの染色方法の一例として、以下のような流れとなります。

媒染(ばいせん)

ひさかき椿つばき沢蓋木さわふたぎなどの木灰に、熱湯や水を入れてかき混ぜて、灰汁を作ります。

灰汁媒染するので、灰汁10リットルに対して糸1kgを30分ほど浸けてから絞り、天日干しをして乾かします。灰汁に浸けて、天日干しを3回ほど繰り返して干して一旦灰汁媒染は完了です。

灰汁がない場合は、酢酸アルミニウム3パーセントの液に糸を一晩浸けておき、その後しっかりと水洗いします。

染める液の抽出

糸量1kgに対して、紫草むらさきの根1kgを使用します。

紫根しこんを入れた容器に熱湯を注いで、うすでひくか手で揉むかして、30分ほど色素を抽出します。

抽出液を麻布や不織布などで濾して染液を取り、使用した根っこに再び熱湯をかけ同様に抽出し、合計3回ほど抽出した液を合わせて、染液にします。

染液を60度に温めて、灰汁で先媒染した糸を浸して、染液が冷えるまでかそのまま一晩浸けて置きます。その後、糸を絞り天日干し乾いたら再度、糸を灰汁媒染します。

3回ほど抽出した紫根しこんを引き続き使用し、4回目から6回目まで抽出液を作り、初回と同様に染めて天日干しします。

その後は、7回目から9回目までの抽出液を作り、染色→天日干しをします。

濃く染める場合は、同じ工程を繰り返して重ね染めしていきます。

紫草(むらさき)の薬用効果

紫(根)は、漢方薬として重用され、中国大陸では古くから局所的に作用して炎症を治す消炎薬しょうえんやくとして用いられ、明代みんだい(1368年〜1644年)の医学書にも登場しています。

根をせんじて飲むと解毒や解熱、利尿作用などがあるとされています。

日本では江戸時代に外科医の華岡青洲はなおかせいしゅうが「紫雲膏しうんこう」を作り、消炎、鎮痛ちんつう、止血、殺菌、湿疹しっしんや火傷などの外用薬がいようやくとして、現在でも販売されています。

江戸時代の薬種問屋やくしゅどいやでは、色素の多いものは染色用にし、色素が少ない、または黒い紫根は医療用にと分けていたことが文献に出てくるようです。

紫草(むらさき)の歴史

紫草むらさきは、正倉院文書しょうそういんもんじょにも記載があり、奈良時代には栽培されていたことあると考えられています。

万葉集まんようしゅう』には、紫草を詠んだ歌が10首あります。

額田王ぬかたのおおきが詠んだ、「あかねさす紫野むらさきの行き標野しめの行き野守のもりは見ずや君が袖振る」というよく知られている歌もあります。

「あかねさす」は「紫」の枕詞まくらことばで、紫野むらさきのは染料をとるために紫草を栽培した野のことです。

紫色は、その希少性から世界中のさまざまな場所で、高貴な色・尊い色に位置付けられていました。

地中海沿岸では貝紫かいむらさきによる紫の染色があり、その希少性から王侯貴族を象徴する色とされて、ギリシャやローマへと受け継がれました。

貝紫かいむらさき(Royal purple)は、アクキガイ科に属した巻貝まきがいのパープルせんと呼ばれる分泌腺ぶんぴつせんからとれる染料で、西洋では珍重されていました。

貝紫,Purple Purpur (retouched)

貝紫,染めた生地と対応する貝,Exhibit of the Museum of Natural History in Vienna,Photograph: U.Name.MeDerivative work: TeKaBe, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons,Link

中国では、戦国時代頃から紫色は覇者はしゃの色とされており、前漢ぜんかんの時代(紀元前206年〜8年)には皇帝が使用する色として、他の者の使用は禁じられていました。

日本においては、朝廷に仕える家臣かしんを12の等級に分け、地位を表す色別に分けた冠を授ける制度(冠位十二階かんいじゅうにかい)において、最高の地位を表すのがむらさき色でした。

冠位十二階かんいじゅうにかいは、推古天皇11年(603年)に日本で制定され648年まで行われた冠位制度です。

親王や一位の衣である「深紫こきむらさき」を染めるには、紫草むらさき三十斤が必要とされ、紫草むらさきの使用料が減るにつれて、紫の濃度と鮮やかさが弱くなっていきます。

関連記事:紫根で染められた日本古代の色彩である紫色。深紫・深紫・中紫・紫・黒紫・深滅紫・中滅紫について

平安時代にまとめられた三代格式さんだいきゃくしきの一つである、『延喜式えんぎしき』には、染められた織物の色彩名と、染色に用いられた染料植物が詳しく書き残されていますが、そこにも紫草むらさきの記載があります。

延喜式えんぎしき』の「縫殿寮ぬいどのりょう」には、「深紫綾一疋あやいっぴき⋯⋯紫草むらさきさんじゅうきん。酢二しょう。灰二石。浅紫綾一疋あやいっぴき⋯⋯紫草むらさききん。酢二しょう。灰五斗。⋯⋯深滅紫綾一疋あやいっぴき紫草むらさききん。酢一しょう。灰一石。⋯⋯中滅紫綾一疋あやいっぴき紫草むらさききん。酢八石。灰八斗。浅滅紫糸一すが紫草むらさききん。灰一升⋯⋯」などとあります。

深紫は、濃い紫色ですが酢二升にたいして灰二石との記載が本当だとすると、非常に黒味の多い紫色であったと考えられます。

一方、浅紫は、赤味の多い明るい紫色だったと思われます。

延喜式えんぎしき』の「弾正台だんじょうだい」には、「凡深浅にぶ紫裙者。庶女以上通著聴」とあり、このにぶ紫は、鈍紫にびむらさきと考えられるため、滅紫と同じ意味と考えられます。

上記の記載では、灰黒味の紫色(鈍紫にびむらさき)は、庶女でも着ることができた服色であったことがわかります。

滅紫は、正倉院文書しょうそういんもんじょのなかに、「滅紫紙」の記載があります。

紫草むらさきは、畑で栽培するのが難しく大変希少で、紅花を使用する紅染と同様に濃色に染めるためには何度も染め重ねる必要があり、技術的にも難しかったことが理由として挙げられます。

紫草むらさきを使用しないで紫色を染めるために、平安時代には、藍と紅花で染色を活用することもあり、それらの色は二藍ふたあい桔楩色ききょういろなどといわれていました。

紅色はあでやかで華やかなイメージがあるのに対し、紫色は優雅で気品があり、奥ゆかしさや情緒のある色として耽美的たんびてきな感性(美を最高の価値として、美に陶酔とうすいする傾向のあるさま)をもつ平安貴族に好まれたのです。

江戸時代になると蘇芳すおう(学名 Caesalpinia sappan L.)による紫色が多くなり、単にむらさき似紫にむらさきと呼ばれています。

蘇芳,Caesalpinia sappan (Sappan wood) W IMG 3192

蘇芳,J.M.Garg, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons,Link

それまでは、禁色きんじきとされていた紫染が一般に普及し始めます。

紫染は主に京都で行われていましたが、徳川吉宗とくがわよしむね(1684~1751)の奨励しょうれいなども相まって、紫草むらさきの栽培や染色が江戸でも行われるようになったといわれています。

京都の「京紫きょうむらさき」に対して、江戸で行われた紫染は「江戸紫えどむらさき」と呼ばれました。

京紫きょうむらさきが伝統的な紫染を受け継いだ少し赤みがかった紫色であるのに対し、「江戸紫えどむらさき」は青みを帯びており、「いき」な色として親しまれました。

関連記事:江戸紫(えどむらさき)と京紫(きょうむらさき)

歌舞伎十八番の「助六由縁江戸桜すけろくゆかりのえどざくら」に登場する主人公の助六は、江戸紫のハチマキをしめています。

Sukeroku Yukarino Edozakura by Kunichika

助六,豐原國周 画『江戸櫻』大判錦繪三枚續物(明治二十九年五月東京歌舞伎座上演),Toyohara Kunichika, Public domain, via Wikimedia Commons,Link

江戸末期から明治にかけてロッグウッドが輸入されるようになってからは、主にロッグウッドが紫色の染めに使用されるようになりました。

関連記事:染色・草木染めにおけるロッグウッド。世界最大の需要を誇った染料、ロッグウッドの普及と衰退の歴史

その他、紫系の色を染める際には、五倍子ごばいし矢車附子やしゃぶしなどが活用されました。

五倍子ごばいし矢車附子やしゃぶしは、採取してからすぐに染めると紫色と言ってもいいような色合いになります。

紫のもつ高貴なイメージは、現代にも引き継がれている事例もあり、例えば高僧こうそう(位の高い僧)のみに許される紫衣しえの色や、袱紗ふくさ冠婚葬祭かんこんそうさいにおいて、ご祝儀や香典などを包む四角い布)で最も一般的な色が紫です。

紫草(むらさき)の産地

延喜式えんぎしき』には、紫草むらさきの特産地の記載があり、武蔵国むさしのくに(現在の東京都、埼玉県のほとんどの地域や神奈川県の一部)、相模国さがみのくに(現在の神奈川県)、下総国しもうさしもうさのくに(現在の千葉県北部にあたり)、上野国こうずけのくに(現在の群馬県)などが挙げられています。

優良品として知られたのが、岩手県で栽培された「南部紫なんぶむらさき」です。

盛岡藩の保護奨励を受け、品質は全国一とされ、紫根しこんは、重要な換金作物として、藩の厳しい管理下のもと、江戸や京都、大阪などにおいて高値で取引されていたのです。

南部紫なんぶむらさき」は、盛岡藩の領内北部や現在の秋田県鹿角かづの地方(盛岡藩の飛地)などを主産地として、紫染も行われていました。

紫染の媒染剤ばいせんざいにもなる、サワフタギ(錦織ニシコリ)が自生していたためとも言われています。

あかね染めや紫根染などを染める時の媒染剤として、サワフタギの焼いた灰が用いられていたのです。

サワフタギ,Symplocos sawafutagi - Flickr - odako1

サワフタギ,Symplocos sawafutagi,Koichi Oda, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons,Link

岩手県内では、紫根の栽培における歴史もあり、現在でも紫根染が行われています。

【参考文献】

  1. 『日本の色彩 藍・紅・紫』
  2. 『月刊染織α1984年2月No.35』

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です