紫染は主に京都で行われていましたが、徳川吉宗(1684~1751)の奨励なども相まって、紫草の栽培や染色が江戸でも行われるようになったといわれています。
江戸時代くらいから紫根染がおよそ東西の二つに分けられ、京都の「京紫」に対して、江戸で行われた紫染は「江戸紫」と呼ばれました。 続きを読む
紫染は主に京都で行われていましたが、徳川吉宗(1684~1751)の奨励なども相まって、紫草の栽培や染色が江戸でも行われるようになったといわれています。
江戸時代くらいから紫根染がおよそ東西の二つに分けられ、京都の「京紫」に対して、江戸で行われた紫染は「江戸紫」と呼ばれました。 続きを読む
藍で下染めしてから(藍下)紅花で染め重ねることによって、古くから紫色が染められていました。
平安時代には、藍と紅の二種の藍(染料)で染めた色が「二藍」という色名で表現されていました。
藍染で浅葱色に染めてから、紅花、もしくは蘇芳で染め重ねた色合いを紅藤色と言います。
紅藤色は、その名の通り紅色がかった藤色で、赤みの薄い紫色に用いられます。
江戸時代の『諸色手染草』(1772年)に「紅ふじ 下地をうすあさぎ(浅葱)に染。すわう(蘇芳)うすくしてめうばん(明礬)少し入二へん染。とめにむしやしやきのあく(灰汁)にて染てよし。但し本紅を遣ふ時は右のごとく下染の上に紅染のごとく染てよし」というようにあります。
『染物屋覚書』(1803年頃)には、「紅ふじは白ご(呉)引。随分濃すわう(蘇芳)へかね(鉄)少しくわへ引。早立あく留め。本紅ふじはすわう(蘇芳)の二番を早付。濃すわう(蘇芳)一度引。かわかざる内に濃あく(灰汁)にて留め。直にかね(鉄)にてくるべし。色かげんはかねぐりの時見合可申候」とあります。
「あく(灰汁)」とあるのは、柃や椿などのアルミ成分の多い灰汁を使用しているものと考えられます。
ハーブとは、主に熱帯地方に産し、葉や茎、花などが人々の生活に役立つ、香りのある植物の総称です。
料理やお茶、薬や香りなどに使用され、染色においてもハーブが活用されてきました。 続きを読む
絵羽とは、着物や羽織などを仕立てたときに、模様が背中、脇、衽(身頃と襟の間に縫い付けられている部位)、袖付け、衿などの縫い合わせの部分で模様がつながるように染めたものをいいます。 続きを読む
絵革(えがわ)は、画革とも書き、革に絵を染めつけたという意味からこの名前があります。
革を染めるのは、平安時代の頃からおこなわれていたとされます。 続きを読む
企業は顧客にブランドを認知してもらい、商品やサービスを購入してもらうためにブランド価値を高める努力をしています。
ブランド価値を高める活動全般がブランディングですが、さまざまな企業がある中で自社の商品やサービスを選んでもらうためには、競合他社との差別化が必要になります。
自社が特徴やコンセプトを明確にし、ネーミング、ロゴ、パッケージ、キャッチフレーズなどにより自社がどのようなブランドであるかを伝えていくのです。
ブランド価値をどのように向上させていくのか、その手段や施策は数知れずですが、ただ単に知名度があげていけば良いという単純な話ではありません。
知名度が高ければ、購買につながる可能性は確かに高くなりますが、繰り返し商品やサービスを顧客に購入してもらうためには、ブランドのファンになってもらうことが大事なのです。 続きを読む
浮織とは、浮織物という意味であり、「うけ織」、「浮紋織」、「浮文」とも言います。 続きを読む
大青(漢名:大藍・菘藍)は、アブラナ科に属し、中国が原産地とされ、享保年間(1716年〜1735年)に日本に渡来したとされます。
ヨーロッパからシベリアのバイカル湖付近にまで分布するといわれるアブラナ科の越年草である細葉大青(学名:Isatis tinctoria)は、英名ではWoad(ウォード)と言われます。
同じ藍の色素を持つ植物でも、蓼藍やインド藍や琉球藍などとは品種が違い、ウォードはアブラナ(菜種菜)によく似た大きな草です。 続きを読む
浮世絵とは、江戸時代初期に成立した絵画のジャンルのひとつで、暮らしや風俗、その時の流行などが反映された絵の総称を表します。
さまざまな色で表現された浮世絵ですが、実際にどのような絵具が使用されていたのでしょうか。 続きを読む
シルクの素材を扱う上で、「家蚕」、「野蚕」という言葉に出会います。
野生であったものを人工的に繁殖させたり、品種改良しながら飼育された蛾が「家蚕」と呼ばれます。
野生に生息していたり、野生に近い状態のマユをつくる昆虫類を「野生絹糸虫」と総称し、その中で特に実用的なマユをつくる品種を「野蚕」と呼んでいます。 続きを読む