燕をモチーフにした文様(模様)である燕文は、日本や中国をはじめとする東アジアの工芸品などのデザインに古くから用いられてきました。
燕は古来より、春の訪れを告げる鳥として親しまれ、縁起の良い象徴とされてきました。そのため、燕文には単なる装飾としてだけでなく、幸福や繁栄を願う意味も込められました。 続きを読む
燕をモチーフにした文様(模様)である燕文は、日本や中国をはじめとする東アジアの工芸品などのデザインに古くから用いられてきました。
燕は古来より、春の訪れを告げる鳥として親しまれ、縁起の良い象徴とされてきました。そのため、燕文には単なる装飾としてだけでなく、幸福や繁栄を願う意味も込められました。 続きを読む
江戸時代、武士の裃や礼装用の小袖に染められた柄は、細やかな模様でありながら格式を示す重要な要素とされていました。
当初、柄の格付けは職人や武士の間で暗黙のうちに行われていたものの、明確な呼称や体系は存在しなかったと考えられますが、江戸時代後期から明治時代にかけて、染物業界や呉服業者が柄の格付けを整理し、広く染め柄が認知されるようになったとされます。
この流れで小紋染めの「三役」や「五役」といった呼称が生まれ、小紋の代表的な柄として位置づけられました。 続きを読む
笹文は笹の葉や幹、根などを表現した文様(模様)で、平安時代から衣服の織り文様、牛車や輿(2本の棒の上に屋形があり、そこに人を乗せて人力で運ぶ乗り物の1つ)などの道具にも表現されました。 続きを読む
藍は、古くから世界各地で使用され、人々に一番愛されてきたともいえる植物染料です。
日本人にとって、古くから藍染の青は身近な色のひとつで、全国各地に藍染をする紺屋(こんや)がありました。
明治8年(1875年)に、東京大学の初代お雇い教師であったイギリスの科学者であるロバート・ウィリアム・アトキンソン(1850年~1929年)が来日した際、道行く人々の着物や軒先の暖簾などを見て日本人の暮らしの中に、青色が溢れていることを知りました。
東京を歩き、日本人の服飾に藍色が多いのを見て驚いたアトキンソンは、明治11年(1878)『藍の説』を発表し、藍に「ジャパンブルー(JAPANBLUE)」と名付けました。

尾州紺木綿『江戸・明治藍の手染め』愛知県郷土資料刊行会
藍染された色は、一番薄い藍白から、一番濃い留紺まで、「藍四十八色」と呼ばれるほど多くの色味がありました。
それぞれの藍色に名前をつけて区別しようと思うほど、藍色を見る目を人々が持っていたともいえます。 続きを読む
すすき(芒/薄)は、秋の七草の一つで、穂が風になびく動物の尾を思わせることから「尾花」という別名があります。
すすきは、秋の野の情景を表現する文様(模様)として、蒔絵や陶器、染色品に多く用いられ、秋草や月、蝶、水鳥、小鳥などと組み合わされて、写実的に表現されてきました。
16世紀の安土桃山時代に作られたとされる「扇面芒丸紋模様繍箔裂」には、芒文が丸紋とともに紅色の練貫地に刺繍で表現されています。
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日本においては近世以降に、産業が発達して富の蓄積が増加すると、財力のある商人などが高価で手の込んだ衣服を着用し、その富を誇りました。
支配者層は、富を持った者の目にあまる振る舞いは、身分制による社会秩序を崩すものとして、贅沢を禁止する法令を出すのです。 続きを読む
絵革(えがわ)は、画革とも書き、革に絵を染めつけたという意味からこの名前があります。
革を染めるのは、平安時代の頃からおこなわれていたとされます。 続きを読む
菖蒲は、江戸時代には品種改良が始まっていたというくらい、古くから日本で愛されてきた花です。
音が「勝武」や「尚武(武を尚ぶ)」に通じることから、菖蒲を文様化した菖蒲文が武人に好まれて用いられました。 続きを読む