芭蕉布は、沖縄で織られてきた織物で、戦前までは沖縄全域で生産されていました。
繊維を採取する芭蕉(糸芭蕉)は、和名でリュウキュウバショウといい、一見すると茎に見える葉柄の部分から繊維を採る葉脈繊維です。
目次
芭蕉布の特徴
芭蕉の繊維は、湿気をよく吸収し、放熱するため、亜熱帯の高温多湿の気候に適した繊維であったことが知られています。

芭蕉布,岡村吉右衛門(著)『庶民の染織』
繊維としては、手触りにしっかりとしたハリを感じ、シャリ感があるため、肌にべとつきにくく、快適な着心地であったため、古く、芭蕉布は沖縄の人々にとって、大切な衣料となっていたのです。
染色と芭蕉布
芭蕉の繊維は白色ではなく、そのままでも薄茶色をしていますが、藍や車輪梅(テーチキ)を使用して染色も行われていました。
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車輪梅の茶色を使用することで、しっかりと濃茶の色味を出すことができ、藍で染められたものと組み合わせた縞柄や格子柄が多く作られました。
芭蕉布に模様を出す多くの場合において、縞柄や絣模様が取り入れられていたのです。
染色していない木綿の糸を使用した縞柄などもあり、芭蕉と木綿という異なる繊維のコントラストが美しいのが特徴的です。

芭蕉布,岡村吉右衛門(著)『庶民の染織』
芭蕉の栽培
沖縄で一般的に見られる芭蕉は、繊維を採取する糸芭蕉ではなく、バナナを摂る実芭蕉です。
糸芭蕉を栽培するために適した地質としては、アルカリ性土壌で、やや湿地を好み、水はけが良いなどが挙げられます。
古くから、屋敷内や風当たりの弱い崖や斜面などで、栽培されました。
地質の条件を沖縄諸島が満たしていたことも、芭蕉が繊維として利用された大きな要因となっていたのです。
ただ、南北に延びている沖縄列島では、芭蕉の生育や採集、糸の処理における工程などにおいて地域によって違いがありました。
例えば、竹富島では珊瑚礁の砂地で、なおかつやや湿地で日照の良い場所に植えていました。
竹富島では、冬に繊維が緊ったものが、夏に伐り倒され、このような冬に生育した「冬芭蕉」が上物とされました。
芭蕉布の歴史
沖縄で好まれた芭蕉の繊維は、東南アジア一帯でも利用されていたことから、沖縄がその芭蕉の利用の北限だったと考えることができます。
繊維に使用する糸芭蕉は、もともと沖縄に自生していた植物ではなく、15世紀ごろ沖縄が南蛮貿易を行っていた頃に南方から移植したと、 沖縄の染織に関する研究者であった田中俊雄氏は指摘しています。
戦前、那覇の市場では芭蕉の繊維が売られていましたが、奄美の繊維が本島のものより細く、「イットウルクスー(一斗六升という意味)」と呼ばれるものが最高としていました。
芭蕉は、渡来以前から沖縄で利用されていたと考える繊維に追いつき、尚王朝末期には、主要繊維となっていました。
沖縄では、絹や紬は王族の衣類でしたが、芭蕉は、階級性を持たず、王様から百姓まで広く利用されていました。
【参考文献】岡村吉右衛門(著)『庶民の染織』