位袍とは、位階によって定められた色の袍を表します。
天皇は、儀式用に着用した黄櫨染(赤みの暗い黄褐色)や平常用としての麴塵(くすんだ黄緑色)、皇太子は黄丹(赤味を帯びたオレンジ色)を着用したとされます。
臣下(君主に仕える者)は三位以上が紫色、四位が深緋(紫みの暗い赤色)、五位が浅緋(わずかに黄味のある薄い緋色、六位〜七位が緑、八位以下が縹(薄い藍色)であったようです。
10世紀ごろから、四位以上は黒、五位が蘇芳、六位が縹となりました。
シルク(絹)は、蚕によって作られた繊維とその製品の総称です。
シルクは、綿や羊毛(ウール)と違い、連続した細い繊維でできており、しなやかな感触と優雅な光沢感を持っています。
シルクを産出しなかったヨーロッパでは、シルクはシルクロードを通って遠く中国から運ばれ、同じ重さの黄金と同じ価格で取引されたと言われています。
人類は5000年以上も前から、蚕が作る繭を利用して糸づくりを行っていました。
現代においても最高級の繊維とされているシルクの特徴はさまざま挙げられ、その糸づくりも綿や麻などの植物繊維とは違いがあります。 続きを読む
絹(シルク)の起源は、紀元前2650年前、古代中国の神話伝説時代の8人の帝王の一人で黄帝の妃である、西稜が繭から糸をとり出すことを考え、貴人などのそばに仕える女性たちに養蚕と製糸の技術を教えたことから始まったとされています。
殷代安陽期(紀元前1200〜1050年)に出土した甲骨文字の中に「蚕」「桑」「絹」「糸」に関する文字が見られることから、遅くとも殷王朝時代の中国では、(紀元前1600年頃〜紀元前1046年まで続いた中国最古の王朝)すでに養蚕が行われていたと考えられているのです。 続きを読む
墨汁を水面に浮かべ、波紋状の模様を作り、水面に和紙や布つけて模様を染めることを「墨流し(すみながし)」といいます。
福井県武生市に伝わる「越前墨流し(えちぜんすみながし)」は、800年の歴史があります。 続きを読む
板締絣とは、絣糸を板締めの技法によって染色してから、織り上げた絣織物のことです。 続きを読む
現在の徳島県では、鎌倉時代ごろから藍作の歴史が始まったとされます。
徳島藩が阿波北方と言われた吉野川下流域の農村で生産された「藍」からあがる莫大な租税で、近世を通じて「富裕藩」と言われ、多くの諸藩から羨望されていたことが知られています。
徳島において藍の栽培が盛んになった理由を、いくつか挙げることができます。 続きを読む
洋服(ようふく)とは、「西洋服」の略で、西洋風の衣服のことを表します。
日本人女性の服装に洋服(西洋服)が採り入れられたのは、明治19年(1886年)に宮中(天皇の居所)で働く女官の服制に洋服が採りされたことや、国賓や外国の外交官を接待し、「外国との社交場」として使用された鹿鳴館(1883年に欧化政策の一環として建設された西洋館)に出入りしていた上流女性が着用した洋服に始まるとされます。
ただ、洋服が着用されはじめた当時はまだごく一部の人々に限られ、一般女性はこれまで通り着物の和服姿でした。
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羽二重は、新潟や富山、石川、福井や福島などで生産され、地理的な共通点としては北陸地方という点があります。
羽二重という織物は、製織工程において密に並べた経糸に、湿り気を与えた緯糸を打ち込む必要があるため、空気中の湿度を必要とし、夏は多湿で冬も雪が降る期間が長く、湿度の高い北陸地方が生産に適していました。
羽二重といえば、重めのものは染帯地や黒紋付地などで、軽めのものは胴裏やスカーフ用などに使用されます。 続きを読む
麻の葉文(あさのはもん)は、正六角形を基調とした幾何学文様(模様)で、図柄が大麻(たいま)の葉に似ていることから、この名前があります。 続きを読む