投稿者「iroai.jp」のアーカイブ

8世紀「浅緑地花卉鳥獣文錦」正倉院蔵

正倉院裂(しょうそういんぎれ)とは?正倉院宝物として保存されている裂(布きれ)について

正倉院裂しょうそういんぎれとは、正倉院宝物しょうそういんほうもつとして保存されているきれ(布きれ)のことです。

正倉院裂しょうそういんぎれには、奈良時代の天平勝宝てんぴょうしょうほう年間(749年〜757年)に行われた東大寺大仏開眼供養だいぶつかいげんくように用いられた裂や聖武天皇(701年〜756年)にゆかりのあった裂などがあります。

その大部分は絹と麻でできた織物で、他には羊毛(ウール)を熱や圧力をかけて縮めた毛氈もうせんがあります。 続きを読む

伊勢型紙に彫られた竹文(たけもん)

デザインにおける竹・竹文(たけもん)

竹は中国で古くから愛でられてきた植物の一つで、松や梅とともに歳寒三友さいかんのさんゆうとして古くから中国で讃えられてきました。

歳寒三友さいかんのさんゆうとは、竹、松、梅を表す言葉で、冬の厳しい寒さの中でも力強く美しい様を見せることから、画題(絵画のテーマ)として用いられてきました。

中国から文化が伝わり、日本で竹、松、梅が画題とされるのは平安時代ごろからと考えられ、一般庶民に盛んに用いられるようになるのは江戸時代からです。

現代でも松竹梅は、吉祥きっしょう(縁起が良い)を一番象徴する模様と言っても良いほどの立ち位置となっています。 続きを読む

ジャワ更紗(バティック)

バティック(ジャワ更紗)とは?バティックの歴史と制作工程について

バティック(Batik)とは、ろうを使って防染ぼうせんするろうけつ染め(臈纈染ろうけつぞめ)によって模様が染められた布地の全般を表し、2009年にはインドネシアのバティックがユネスコの無形文化遺産に登録されています。

インドネシアのジャワ島で作られるバティックは有名で、ジャワ更紗とも呼ばれます。

バティック(Batik)という言葉の由来は、インドネシアのジャワ語で「書くこと」を意味する「アンバー(amba)」と「点を打つ」を意味する「ティティック(titik)」を組み合わせたもので、「点を描くこと」を意味していました。

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「小袖 白黒紅染分綸子地熨斗藤模様」慶長小袖(けちょうこどで)地無し

模様染めのデザインにおける地無(じなし)

模様染めにおいて、「地無じなし」という言葉があります。

小袖こそでの全面に細やかな刺繍ししゅう鹿子絞かのこしり、摺箔すりはくなどの技法を用いて、単独、もしくは併用して地の部分が見えないほど一面に文様(模様)表現されたものを「地無じなし」と呼びました。

小袖こそでは、現在の「きもの」の原型にあたるもので、その名の通り袖口が狭く詰まった仕立てになっています。
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桑の葉を食べる蚕(かいこ)

シルク(絹)を生み出す蚕(かいこ)の一生

人類は、紀元前からかいこが吐き出す絹糸(シルク糸)を利用してきました。

中国においては、長きにわたって絹に関する技術は国外秘にされていましたが、絹織物は、古代ギリシャのアレクサンダー大王(紀元前356年〜紀元前323年)の頃から絹の交易の道であったシルクロードを通じて輸出されていました。

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桐竹鳳凰文(きりたけほうおうもん),鳳凰がデザインされた

デザインにおける桐竹鳳凰文(きりたけほうおうもん)

桐竹鳳凰文きりたけほうおうもんは、有職文様ゆうそくもんようの一つで、洲浜に生い立つきりに飛翔する鳳凰ほうおうがデザインされた模様(文様)です。

有職文様ゆうそくもんようとは、平安時代以降の公家社会において装束や調度、輿車よしゃ、建築などに用いられた伝統的な模様(文様)です。

鳳凰ほうおう(Chinese phoenix)は、中国統治した五帝の最初の聖帝とされる黄帝こうていが、南苑なんえんで祭りをしたときに現れたとされる幻獣です。 続きを読む

瓢箪文(ひょうたんもん)

デザインにおける瓢箪・瓢箪文(ひょうたんもん)

瓢箪ひょうたんは、古くから実用品として水や酒を入れる容器として用いられてきました。

瓢箪ひょうたんは末広がりの形状をしているため、縁起が良いものとされ、独特のくびれた実の形のおもしろさから、「瓢箪文ひょうたんもん」として古くから文様(模様)表現としても人々に親しまれてきました。
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桐竹鳳凰文(きりたけほうおうもん),鳳凰がデザインされた

デザインにおける幻獣(げんじゅう)。ペガサス、ケンタウロス、鳳凰(ほうおう)について

実際に存在はしないが幻とされる幻獣げんじゅうは、世界中で古くから人々の希望や願望をのせたものとして作り出されてきました。

ペガサスやケンタウロスなど日本人でも聞いたことがあるでしょうし、中国では鳳凰ほうおうなどが見て取れます。 続きを読む

藍染と唐草模様

日本における藍染(ジャパンブルー)の歴史。藍作・藍染が発展し、衰退していった背景について

藍染は、古くから世界中で行われてきました。

古代エジプトではミイラを包む布が藍染されており、紀元前2000年前には藍が利用されていたとされています。

藍の色素を持つ植物も多種多様で、それぞれの地域にあった植物を使用し、さまざまな方法で藍染が行われてきたのです。

藍の色素を持つ植物を科別にすると、マメ、アブラナ、キツネノマゴ、タデ、キョウトウチク、ガガイモ、マツムシソウ、モクセイ、クロウメモドキ、キク、ヒメハギ、ランなどが挙げられます。

インドにおける藍栽培の歴史は古く、古代ローマ時代にはインドで商品化されたインド藍がエジプトのアレクサンドリアを経由してローマへ輸入されていました。

アラビア商人によって、エジプトをはじめ地中海方面へと運ばれていましたが、ポルトガルのバスコダガマが南アフリカを周るインド洋航路を発見したことによって、インドにおける藍の生産はいっそう盛んになったのです。 続きを読む