投稿者「iroai.jp」のアーカイブ

武士の服装と歴史。侍(サムライ)はどのような衣服を着ていたのか?

武士、侍はどのような衣服を着ていたのか?

その歴史は、律令制りつりょうせいの崩壊を象徴する承平天慶しょうへいてんぎょうの乱(931年〜947年)が起こった平安時代中期から、慶応3年(1867年)大政奉還によって武士の公服・礼服としても着用されてきたかみしもが撤廃されるまでの約10世紀にわたります。

Group-Samurai-Scholars-Nagasaki-1864-Ueno-Hikoma

Group-Samurai-Scholars,Ueno Hikoma (1838-1904), Public domain, via Wikimedia Commons,Link

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弥生時代から古墳時代までの色彩。装飾古墳に使われた顔料について

日本においては、水稲農耕すいとうこうさくが始まる弥生時代やよいじだい(紀元前10世紀頃〜紀元後3世紀中頃)以前に用いられた顔料は基本的には赤と黒の2色でした。

原料の赤はベンガラや朱、黒はマンガンの酸化物などです。 続きを読む

コプト織 人物動物文綴織 6世紀〜8世紀

コプト人によって製作されたコプト織(Coptic textiles)の特徴や歴史について

コプト織(Coptic textiles)とは、主に2世紀から12世紀にかけて、エジプトでコプト人によって製作された平織りの織物を表します。

いわゆるつづれ織りを主とした技法の織物で、コプト織は、経糸に麻を使い、緯糸に主にウールを用いて文様(模様)部分を表現しています。
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『延喜式』(えんぎしき)平安時代にまとめられた三代格式の一つで、古い染色を研究する人たちにとっては、欠かすことのできない文献

染色・草木染めにおける『延喜式』(えんぎしき)。衣服の色によって位階に差をつける衣服令(服色制)について

日本の古代の人々は、草木が成長し花が咲き、果実が実るのは、草木に宿る精霊(木霊)の力であると信じ、草木からとれる自然の色で、衣服を染めつけていました。

強い精霊の宿るとされる草木は、薬用として使用されていました。薬草に宿る霊能が、病気という悪霊によって引きおこされた病状や苦痛を人体から取り除き、悪霊をしりぞける作用があるとされていたのです。

染色の起源は、草木の葉っぱや花などをりつけて染める「摺染すりぞめ」です。

日本の染色技術が飛躍的に発展するのは、4世紀ごろに草花から染料を抽出し、これを染め液として、浸して染める「浸染しんせん」の技術が中国から伝わってきてからです。 続きを読む

インド更紗

切本帳(きれほんちょう)とは?『平戸長崎オランダ商館日記』に記載されている染織品について

1602年、オランダが「東インド会社」を設立し、インドネシアのジャワを拠点に、みんや日本と交易を開始します。

この頃になってヨーロッパの文明が、島国の日本に影響を与えるようになるのです。

江戸時代に海外との交易拠点となっていた平戸ひらどや長崎にあったオランダ商館歴代館長が記した公務日誌『オランダ商館日記』には、数々の染織品の記載があります。 続きを読む

寛文小袖(かんぶんこそで)とは?鹿子絞りを中心としつつ、刺繍と縫い絞りを併用した技法が用いられ、動植物のみならず文字や器具が動的な模様として表現される

小袖こそでは現在の「きもの」の原型にあたるもので、その名の通り、袖口が狭く詰まった仕立てになっています。

小袖こそでの起源は、平安時代中頃に庶民の日常着や宮廷における男女の下着から発生したと言われています。

鎌倉から室町時代において武家が台頭してくるにつれて、服装の簡略化が進み、上層階級に下着として用いられていた小袖こそではだんだんと上着として使われて、庶民の小袖こそでも上質化してきました。

その後、政治、文化の転換点である応仁の乱(1467年〜1477年)を境に、各階層共通の衣装の形式として小袖こそでが完成したのです。

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「東都大伝馬街繁栄之図(とうとおおてんまがいはんえいのず)」歌川広重(1797年〜1858年)作 暖簾(のれん)が掛かる大通り

暖簾(のれん)の意味や役割、機能性。のれんの歴史や種類について

暖簾のれんは、現代においても私たちの日常生活の中で見かけます。

お店の入り口にかけられたりするのを見ると、お店の「顔」としての目印になっていることはよく分かりますが、それ以外にも暖簾のれんの意味や役割、機能性があります。 続きを読む

成熟した文化のたたずまいを再創造する。原研哉氏の『デザインのデザイン』

本書を読んでデザインというものが少しわからなくなったとしても、それは以前よりもデザインに対する認識が後退したわけではない。それはデザインの世界の奥行きに一歩深く入り込んだ証拠なのである。

グラフィックデザイナーで、武蔵野美術大学教授を務める原研哉氏の著書で2003年に初版が発売された『デザインのデザイン』のまえがきに、上記の言葉があります。

約20年前に出版された本になりますが、その内容はまったく陳腐化しておらず、小手先の「デザイン」ではなく、デザインとはなにか?を考えさせられる本になっています。 続きを読む

縞織布『江戸・明治藍の手染め』愛知県郷土資料刊行会

藍下(あいした)とは?藍と植物染料の重ね染めについて

藍下あいしたとは、藍で下染したぞめするという意味でこの名があります。

べに下染したぞめするのを、紅下べにしたというの同じです。

昔は、高級品で深みのある黒紋付の染色などに、檳榔子びんろうじが使用されていましたが、その場合、藍や紅などで下染めした上に、檳榔子染びんろうじぞめをすると、青味または赤味を含んだ黒を染めることができました。

藍で重ね染めをすると、堅牢度けんろうどの向上も期待することができます。
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