「片輪車文」は工芸模様(文様)の一つとして、デザインに用いられてきました。
王朝貴族の乗り物であった牛車の車輪は木製で、乾燥すると割れてしまうため、使用しない時は川の流れの中に浸しておくことがありました。
その情景を図案化したものが、片輪車文です。 続きを読む
「片輪車文」は工芸模様(文様)の一つとして、デザインに用いられてきました。
王朝貴族の乗り物であった牛車の車輪は木製で、乾燥すると割れてしまうため、使用しない時は川の流れの中に浸しておくことがありました。
その情景を図案化したものが、片輪車文です。 続きを読む
江戸時代中期以降、きらびやかな色彩で、思うがままに描かれた模様染めが一世を風靡しました。
友禅模様と言い伝えられたこの染めは、精密な糸目糊による色挿しと巧みな暈しによって、従来の刺繍や絞り染めなどの技法では表現できなかった絵画のような模様を着物にもたらしました。
特に、風景を題材にしたものは、江戸時代中期にもっとも好まれたもののひとつでした。 続きを読む
帷子とは、裏地のない単衣(単物)の着物です。
ただし、江戸時代末期ごろから、絹や木綿でできた裏地のない着物を単に単衣といい、帷子は麻布でできた単衣の着物を特に表すようになっています。 続きを読む
藍染の原料となる蒅は、収穫した蓼藍の葉を乾燥させ、水をかけかき混ぜる作業を挟みつつ、約100日以上の発酵期間を経て出来上がります。
蒅づくりにおいては、良い葉藍を栽培することが何よりも大事とされていますが、それと同じくらいに、乾燥葉を蒅と呼ばれる状態にするまでの発酵期間も重要です。 続きを読む
形のない風を模様化(文様化)したものは少なく、古代中国では風神や風のシンボルとされる想像上の鳥である鵬、雨とのつながりなどでデザインに表現されてきました。
風そのものを形にしたものには、細長い笹の葉のような三角形の一群を横に飛ばしたような模様(文様)があります。
日本においては、風は揺れ動く物体や空に飛ぶ雲などで表現されてきました。
桛木とは、紡錘(つむ)で紡いだ糸をかけて巻く工字形の木です。
桛木を模様化(文様化)したものは、桛木文として知られ、絣のデザインによく用いられてきた幾何学文様です。
1本の糸をつくるためには、1本から複数の糸をねじりあわせることで撚りをかける作業が必要です。
「撚り」とは、糸をねじり合わせることを意味し「撚糸」という言葉は、「撚りをかけた糸」を表します。
糸を撚ることで、丈夫な1本の糸をつくることができるのです。
糸の撚りについて考えるのは非常に重要で、なぜなら糸の撚り方によって、糸の強度、肌ざわりや風合いに大きく影響するためです。 続きを読む
絣織物の絣柄を表すための糸を、地糸に対して「絣糸」といいます。
絣糸は、さまざまな防染方法を活用し、糸に染まっていない部分を作ることで表現されます。 続きを読む
銘仙は、群馬県の伊勢崎が有名で、「銘仙といえば伊勢崎」というほど、全国的に知られていました。
銘仙は、平織りの絹織物の一種で、目専、目千、銘撰とも書かれ、「銘仙」の字を当てたのは明治時代以後となります。
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木綿(cotton)は、16世紀には日本国内での栽培が広まっていき、17世紀初頭ごろには飛躍的に発展していきました。
木綿は庶民の日常的な衣服となり、江戸時代の経済と政治において、一貫して重要な役割を果たしていました。
しかし、明治維新を経て、殖産興業政策のもとで、決定的な打撃を受けることになります。
殖産興業政策とは、明治政府が西洋諸国に対抗し、機械制工業、鉄道網整備、資本主義育成により国家の近代化を推進したさまざまな政策のことを指します。
明治政府は、産業の近代化を「輸出振興」「輸入防遏」という国家のスローガンを掲げ、輸出輸入の両面から綿業は、中核的戦略産業として位置づけられました。
外国の質の高い綿糸や綿布に負けないように、綿業の近代化は国家的な課題とされていたのです。 続きを読む