江戸時代後期の文政13年(1830年)の頃、『機織彙編(きしょくいへん)』という書物の初版が発売されました。
筆者は、現在の栃木県にあたる下野国の黒羽藩11代藩主であった大関増業(1781年〜1845年)です。
大関増業は、伊予国大洲藩主であった加藤家に天明2年(1782年)に生まれ、文化8年(1811年)に、大関家の養子となり、翌年の文化9年(1812年)に領地であった黒羽(現在の栃木県)に入ります。 続きを読む
江戸時代後期の文政13年(1830年)の頃、『機織彙編(きしょくいへん)』という書物の初版が発売されました。
筆者は、現在の栃木県にあたる下野国の黒羽藩11代藩主であった大関増業(1781年〜1845年)です。
大関増業は、伊予国大洲藩主であった加藤家に天明2年(1782年)に生まれ、文化8年(1811年)に、大関家の養子となり、翌年の文化9年(1812年)に領地であった黒羽(現在の栃木県)に入ります。 続きを読む
色合いにおける麹塵は、青色の一種で、中国では古く『周礼』にその名前がみられます。
『周礼』は、儒教経典(十三経)の一つで、『礼記』『儀礼』とともに「三礼」を構成する書物です。
『周礼』は、紀元前11世紀に周公旦(中国の周王朝最初の王である武王の弟)が作ったとも、前漢代の学者である劉歆が作ったともされます。 続きを読む
文化・文政(1804年〜1830年)の頃に活躍した歌舞伎役者である三代目尾上菊五郎にちなんだ模様(文様)に、菊五郎格子があります。
江戸時代に「判じ物(はんじもの)」と呼ばれる文字や絵画に隠された意味を当てるなぞ解きが流行しましたが、判じ物文様(はんじものもんよう)の一つとして「菊五郎格子」が知られていました。 続きを読む
江戸時代に現在の奈良県にあたる地域では、織り上げられた麻の布を白く晒した(精錬)上質な布が生産されており、当時から、奈良晒として有名でした。
化学的な技術が発展していない時代においては、いかに布を精錬・漂白(晒す)することができるかが布の付加価値を向上させるためには重要な要素でした。
奈良晒も、布を精錬する技術によってその付加価値が向上していました。 続きを読む
四季のうつろい、地理的、歴史的、文化的背景などさまざまな影響を受け、日本の伝統色とされている色の名前は、非常に多くの種類があります。
数々の色の中でも、藍色、紅色、紫色の3つの色は活用されてきた歴史や色の豊富さなどをみると、日本人にとってとりわけ関わりの深かった色とも言えます。
古来、日本人は、色彩や色の表現について特別な感情や独自の感性を持っていたとされます。
古代の人々は、草木にも霊があると考え、草木の霊は特に「木霊」と呼ばれ、一番身近に存在する「和霊」としてとらえていたとも言われています。 続きを読む
観世水文とは、水が渦巻いている(流れている)様を表した模様(文様)です。
能楽の家元(流派)である観世太夫が、観世家の定色文様として使用したことに由来しています。 続きを読む
捺染(プリント)とは、模様を抜いた型紙やシルクスクリーン、彫刻をいれたローラーなどを使って、合成染料を混ぜた糊料(色糊)を布地にプリントして模様を出すことを意味します。
色糊は、糊の防染力と染料の着色力を合わせもつ材料なので、使い方によってはさまざまは表現をすることができます。