日本の古代、飛鳥・奈良・平安時代の色彩と特徴。草木の木霊に祈りを捧げ、身を守るために自然の色を得る。


今から1000年以上も前の日本では、現在のように科学が進歩しておらず、人間の理解を超えた現象というものは極めて多かったことでしょう。

当時の人々は、不可思議な現象は人間以上の力をもつ何者かの成せる業と考え、自己に危害があると考えたときには救いを求めて祈りを行い、無事に過ごせたり良いことがあれば感謝の祈りをしていたとされます。

つまり、当時に人々にとっては、いわば「祈ること」は、最高の「科学」であったとも言えます。

草木の霊、木霊

山、海、森、水、雨、風、雷などの自然現象はすべて、神によって作り出され動かされていると考えられ、ここからさらに発展し、人間に影響力を持つものであれば人工、自然を問わずすべての対象物に「霊(たま)」が存在するとされました。

人間にとって有益に影響する霊は、和霊(にぎたま)と呼ばれ、有害に作用するものは荒霊(あらたま)と呼ばれました。

このような感覚や思想、信念をもった古代の人々が、色彩に関しても現代人と異なる考え方を持っていたというのは、当然のように想像できます。

古代の人々は、草木にも霊があると考え、草木の霊は特に木霊(こだま)と呼ばれ、一番身近に存在する和霊(にぎたま)とされていたのです。

古代の色彩の特徴

日本古代の色彩の特徴としては、人々は、草木が成長し、花が咲き果実が実るのは、草木に宿る精霊(木霊)の力であると信じ、木霊に祈りながら草木からとれる自然の色で、衣服を染めつけていました。

強い精霊の宿るとされる草木は薬用として使用され、薬草に宿る霊能が、病気という悪霊によって引きおこされた病状や苦痛を人体から取り除き、悪霊をしりぞける作用があると考えられていたのです。

古代の色彩と染色法の研究者である前田雨城氏の著書、『日本古代の色彩と染』には、古代の人々の染色について、以下のように書かれています。

強い木霊の宿る草木は、薬用として使用された。薬草に宿る霊能が、病気という悪霊によってひきおこされた病状や苦痛を人体からとりのぞき、悪霊をしりぞける作用があるとされたのである。当時の衣類などの繊維品は、その色彩を得るための草木を、いずれも薬草から選んでいるのは、この理由によるのである。

なお、色彩起源説としては、恋愛色、種族区別色、戦闘色、その他各説が存在している。それぞれ根拠を持った説であるが、古代日本の色彩起源として、現存している色彩から考察する時、やはり薬用植物色と考えるのがもっとも妥当といえる。

こうした色彩感覚(思想)も、平安時代に入ると、時代の流れとともに、各種の要素が加わり、次第に変化している。とはいえ、この日本古代の色彩思想はその後も永い間、日本民族の心の底に根強く残り、受けつがれてきているのである。

色彩は美のためではなく、第一義的には木霊への祈りと自分を守るために薬用効果を求めたのです。

使用された染料植物は、20種類ほど

本記事での「古代」は飛鳥時代(592年〜710年)から奈良時代(710年〜794年)平安時代(794年〜1185年)ごろを想定しています。

古代の色彩において、使用されていた植物は20種類ほどと言われています。

わずかな植物を使って、重ね染めを巧みに駆使しながら様々な色を生み出していました。

紅花、蓼藍、紫根、外国産の蘇芳などを除けば、比較的入手しやすい植物で染められていました。

媒染剤は、草木の灰や鉄分を多く含む金気水、米酢や梅酢、後期には鉄、ミョウバン、石灰などが挙げられます。

庶民には手の届かない高価なもの

日本の色彩といえば、「王朝の色」とも呼ばれている平安時代の優雅な色彩が挙げられます。

主に女性の重ね着の配色美を襲色目(かさねいろめ)といい、その色合いと調和は、常に四季の草花や自然の色などに結びついていました。平安時代に生まれた女性の十二単(じゅうにひとえ)も、色を重ねることによって季節感を表現した代表的な衣装です。

このような美しい色彩は、もっぱら貴族や宮廷用であり、一般庶民にはまったくの無縁でした。

一般に色彩が解放されたのは、鎌倉時代以降であるとされています。

参考文献:日本古代の色彩と染


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