黄土による染色は、植物染料の発達にともなって、次第に衰退していったと考えられますが、日本においても広い地域で黄土を使用した染めが行われていたのではないかと推測されています。
7世紀後半から8世紀後半にかけて編集された、現存する日本最古の歌集である『万葉集』には、黄土を詠ったとされるものが6首あり、大阪の住吉地域での黄土についての記述があります。
目次
黄土(おうど)とは?
黄土とは、黄色味の強い土のことを指し、鉱物名では褐鉄鉱(リモナイト)にあたります。
淡黄色のものをオーカー(ocher)、濃黄色のものをシエンナ(sienna)と呼び、濃色で茶色のマンガンを含んだ顔料にアンバー(Amber)があります。
黄土は、酸化鉄または酸化鉄水和物を含む非晶質アルミニウムケイ酸から成る粘土状の物です。
黄土の標準的組成は、結合水(6〜12%)、二酸化ケイ素(SiO2)30〜60%、酸化アルミニウム(Al2o3)5〜15%、酸化第二鉄(Fe2O3)20~60%です。
参照:古典に見る古代の土壌顔料
日本においては、京都府伏見稲荷地方で産出する稲荷山黄土有名で、後述する万葉集に記載されている歌では、大阪の住吉地域の黄土が歌われています。
古代より、黄色の顔料として世界中で使用されてきました。
黄土の染色方法
古く、顔料を定着させるための膠着剤には、膠と油が用いました。
正倉院の顔料調査によっても、黄色の顔料が使用されていたことがわかっています。
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黄土の染色方法としては、一般的な顔料染めと同じような染色工程になります。
すりつぶした大豆をしっかりと漉してできた呉汁を滲ませるか、刷毛引きした上から、膠着剤で練った顔料で染めていったり、そのまま顔料と呉汁を混ぜて、染色して天日乾燥を繰り返して染めていったりと、時と場合によって適した染色方法があります。
黄土で染めたものの染色堅牢度は、比較的良い(色落ちしにくい)です。
ただ、摩擦に対する耐性が、他の顔料染めと同じようにあまり良くはなく、特に湿った状態での摩擦には注意する必要があります。
日本における黄土の歴史
日本において、水稲農耕が始まる弥生時代(紀元前10世紀頃〜紀元後3世紀中頃)以前に用いられた顔料は基本的には赤と黒の2色でした。
弥生時代に続く、日本の歴史の時代区分のひとつである古墳時代(3世紀〜7世紀頃)には、彩色などの装飾のある古墳に黄色の顔料が塗られていたことがわかっています。
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奈良時代や8世紀ごろの遺品であり、大陸から船で渡来したものや日本で製作された正倉院宝物においても、木材、漆工、皮革、紙、絹、麻、金工などさまざまな素材に顔料が塗られています。
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万葉集に記載される黄土に関する歌
7世紀後半から8世紀後半(奈良時代末期)にかけてに成立したとされる日本に現存する最古の和歌集である『万葉集』には、4,500首以上歌が集められていますが、黄土についての歌が6首あります。
- 草枕旅ゆく君と知らませば岸の埴生ににほはさましを(清江娘子 巻1・69)
【原文】草枕 客去君跡 知麻世婆 <崖>之<埴>布尓 仁寶播散麻思<呼>
【訳】旅の途中のお方と存知あげていれば、美しい埴生の染料で染めて差し上げられたのに
- 白波の千重に来寄する住吉の岸の黄土ににほひて行かな(車持朝臣千年 巻6・932)
【原文】白浪之 千重来縁流 住吉能 岸乃黄土粉 二寶比天由香名
【訳】千重に押し寄せてくる白波の美しい住吉の岸の黄土。ここで着物を黄土粉で染めていきたいものだ
- 馬の歩み押さへ止めよ住吉の岸の黄土ににほひて行かむ(安倍豊継 巻6・1002)
【原文】馬之歩 押止駐余 住吉之 岸乃黄土 尓保比而将去
【訳】馬の歩みを抑え、留めなさい。住吉の岸の美しい埴生に存分に染まっていこうではないか
- めづらしき人を吾家に住吉の岸の黄土を見むよしもがな(巻7・1146)
【原文】目頬敷 人乎吾家尓 住吉之 岸乃黄土 将見因毛欲得
【訳】愛すべき彼女と我が家に住みたいという、その有名な住吉の岸の埴生を見ることが出来たらな
- 駒並めて今日わが見つる住吉の岸の黄土を万代に見む(巻7・1148)
【原文】馬雙而 今日吾見鶴 住吉之 岸之黄土 於万世見
【訳】馬を連ねて今日私が見た住吉の岸の黄土を、これからも人は万世に眺めるだろう
- 白細砂三津の黄土の色に出でていはなくのみぞわが恋ふらくは(巻11・2725)
【原文】白細<砂> 三津之黄土 色出而 不云耳衣 我戀樂者
【訳】真っ白な砂浜の御津が黄赤色の粘土で染まっているように、はっきり言葉に出して言いませんが、私はあなたに恋しています
黄土の歌に関する解説
上記の6首において、「はにふ(はにゅう)」が黄土のことを表していますが、その表記は、69は原文で「埴布」、932は「黄土粉」、1002,1146,1148,2725はすべて「黄土」の字を使用しています。
埴とは、きめの細かい黄赤色の粘土のことを意味し、埴生で「埴」のある土地のことを指します。
932は「黄土粉」は、「ふ」に「粉」の字を当てているので、「岸の黄土」が粉状であったことが、万葉集に記載した人にはわかっていたのでしょう。
古語の「匂はす」には、美しく染める、美しく色づけるという意味があり、ここでは黄土で染めることの意味を表しています。
「住吉の岸の黄土」という決まったフレーズが上記の4首の歌にあるので、現在の大阪に位置する住吉では黄土染めが有名であったことがうかがえます。
現在でも大阪の上町台地付近で、黄土色の地層を見つけることができるようです。
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【参考文献】
- 『月刊染織α1983年6月No.27』
- 「古典に見る古代の土壌顔料」