仕覆(仕服)とは、茶入れや茶碗、挽家(茶入れを仕覆に入れて保存するための容器)などをの茶道具を入れる袋のことを表します。 続きを読む
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デザインにおける風車(かざぐるま)・風車文(かざぐるまもん)
四角い紙を細工し、細い木か竹に取り付け、風で回るようにした子供のおもちゃである風車は、「風車文」として模様化(文様化)されました。 続きを読む

型染めで絣模様を表現する絣型染(かすりかたぞめ)・常磐紺形染(ときわこんがたぞめ)。絣形に彫られた型紙を使用した型染め技法について
デザインにおける鹿文(しかもん)
鹿は古くから人間と関わりが深かったため、文様(模様)表現として活用された歴史も非常に古いです。
中国大陸最古の王朝である殷の時代から、鹿頭の飾りが用いられたり、中国神話に現れる伝説上の動物である麒麟のモチーフにもなっています。
日本においても弥生時代に製造された青銅器である銅鐸のなかに、鹿の模様(鹿文)が描かれているものがあることから、その当時から関わりがあったことを示しています。 続きを読む
シーアイランドコットン(海島綿)の特徴について
木綿の原産地は、インドと言われています。
インドのパンジャブ地方は、古くから織物の技術の世界的な源であり、ヒマラヤを源流としインド洋に注ぐインダス川流域の文化とともに世界中へ広がっていきました。
紀元前1世紀頃の古代ローマでは、人々はすでに綿の布を身にまとっていたようです。
日本に木綿が入ってきたのは1200年ごろの鎌倉時代初期、中国から綿が持ち込まれており、その後に種子が伝わり、三河や遠江、大和、摂津、河内、和泉などが産地となりました。
17世紀前半ごろの江戸時代の早い時期には、幕府が栽培を問題視しなくてはならないくらいには、木綿栽培が全国各地で広がっていたのではないかと考えれています。
木綿が大陸から入ってくる以前は、麻が庶民の日常着でしたが、木綿の経済性や機能性の良さによって、江戸時代には木綿が庶民の日常着になっていくのです。
その後、明治時代の産業の近代化の波に飲まれ、国内の綿栽培は急速に衰退していきます。
綿を巡る歴史は、世界中数え切れないほどありますが、西インド諸島で栽培されていたシーアイランド・コットン(海島綿)とコロンブスの話があります。
シーアイランドコットン(海島綿)の特徴

cotton,綿花,Raffi Kojian, CC BY-SA 3.0via Wikimedia Commons,Link
シーアイランドコットンは、日本では「海島綿」などとも呼ばれます。
シーアイランドコットン(Seaisland Cotton)という名前は、西インド諸島で栽培されていた綿花の品種を、北米南部のカロライナやジョージアなどの高温多湿の地に移植し、特に海岸や島で生育されていたことに由来します。
綿花は、種類によって採れる繊維の長さに違が出てきます。
大きく分類すると、エジプト綿やスーダン綿の系統は超長繊維綿で、アメリカ綿に代表されるアンプラント綿は中長繊維綿、アジア在来種のデシ綿は短繊維綿に分けられます。
綿の繊維の長さは、糸にするときに、その糸の細さに大きく関係し、綿の繊維が長いほど糸も細くなり、それによって手触りもなめらかで、糸にすると光の反射率が高いため、光沢感が生まれます。
シーアイランドコットン(海島綿)は、超長綿であり、繊維が長く、一本の長さは3.8cm〜5cmほどにもなります。
糸の紡績に必要な天然の撚りを多くもち、弾力に富むという特徴を持っています。
コロンブスが出会ったシーアイランドコットン
15世紀半ばから17世紀半ば頃までの大航海時代において、キリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達したとされていた探検家のコロンブスです。
彼が、1492年のアメリカ発見となる航海をおこなった時に、シーアイランドコットン(海島綿)に出会いました。
1492年コロンブスがアメリカ発見となる航海をしたときに、彼は未開の島だと思っていたカリブ海に浮かぶ小島バハマで、原住民から絹のような光沢をした見事な綿糸を進呈されました。
コロンブスは、彼らがしなやかでやわらかい感触の立派な綿布を使用していたことに驚いたといいます。
これが現在でも世界最高級といわれる、シーアイランドコットン(海島綿)だったのです。
西インド諸島の六つの島で栽培され、繊維の宝石とまで言われるような価値のある綿として、イギリスの王室や貴族の間で古くから珍重されたり、古代ペルーの奥地で栄えたインカ帝国の遺跡からも、多くの海島綿の糸や布が発見されているようです。
1533年にインカ帝国が滅亡したとされているので、それ以前には綿を糸にする技術や織物の技術が伝わっていたのです。
現代でも海島綿が品種改良されたものが、良質な超長綿として栽培されており、海島綿も西インド諸島の一部地域で栽培されています。

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古来、日本人は、色彩や色の表現について特別な感情や独自の感性を持っていたとされます。
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