雲(くも)は気象状況や季節によってその形は様々に変わりますが、雲の模様(文様)は古くから意匠(デザイン)に活用されてきました。
雲の模様(文様)は「雲文」とも呼ばれ、中国や朝鮮ではさまざまなデザインが作られてきました。
中国では、山中の巨岩から雲気が湧き出るとされたことから、「雲気文」と呼ばれました。
日本では奈良時代に中国の影響を受けて、さまざまな意匠(デザイン)において雲文が取り入れられるようになったとされます。 続きを読む
雲(くも)は気象状況や季節によってその形は様々に変わりますが、雲の模様(文様)は古くから意匠(デザイン)に活用されてきました。
雲の模様(文様)は「雲文」とも呼ばれ、中国や朝鮮ではさまざまなデザインが作られてきました。
中国では、山中の巨岩から雲気が湧き出るとされたことから、「雲気文」と呼ばれました。
日本では奈良時代に中国の影響を受けて、さまざまな意匠(デザイン)において雲文が取り入れられるようになったとされます。 続きを読む
2色以上の糸を使用し、経(たて)、または緯(よこ)、あるいは経緯に筋を表した模様(文様)を、縞や格子と呼んでいます。
縞織物は基本的に、縦縞(竪縞)、横縞、格子縞の3種類のうちのどれかに当てはまります。
使用されている糸の色や素材、糸の太細、緻密さ、配色、縞の幅の広狭、金銀糸の使用、紋織の併用など、組み合わせによってありとあらゆるの縞織物が存在します。 続きを読む
太布とは、古代の栲布(楮布)のように、楮や穀の繊維を糸にして織った布を表す言葉とされます。
後に藤や大麻、科など、雑繊維で織る粗布の類も含めて太布と呼ぶようになりました。 続きを読む
江戸時代後期に、茶器名物に関する図録である『古今名物類聚』が出版されます。
この書物に挙げられる名物裂は、名物裂の基本とされています。
『古今名物類聚』は、出雲の松江城主であった松平不昧(1751年~1818年)が、寛政元年(1789年)から9年にかけて編纂されました。
丹波布(たんばふ)と呼ばれ、親しまれている織物があります。
丹波布(たんばふ)とは、現在の兵庫県氷上郡青垣町佐治地方を中心に、幕末から明治中頃にかけてのみ盛んに織られました。
木綿を主体に、緯糸に絹糸を織り込んだもので、産地の佐治では「縞貫」と呼ばれ、他の織物とは区別されながら発達していきました。 続きを読む
七福神は、恵比寿天、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊、福禄寿、寿老人の7つの神様の総称です。
江戸時代には七福神信仰が盛んで、新年には宝船に七福神を乗せた絵が好んで用いられていました。 続きを読む
吹き寄せ文(ふきよせもん)は、数々の落ち葉や落花が地面に風で吹き集められた風情を文様化(模様化)したものです。 続きを読む
江戸時代(1603年〜1868年)に入ると、染織技術の向上によって、日本各地で特色のある織物や染め物が生産されるようになりました。
1638年に松江重頼によって出版された『毛吹草』や1692年に艸田寸木子によって出版された『女重宝記』には、多くの織物や染め物が記載されています。 続きを読む
雛形(ひいながた)は、ある物や模型や図案、模様などを人に示すのに都合が良いように、その形を小さくかたどって作ったものです。 続きを読む
2色以上の糸を使用し、経(たて)、または緯(よこ)、あるいは経緯に筋を表した模様(文様)を、縞や格子と呼んでいます。
縞織物は基本的に、縦縞(竪縞)、横縞、格子縞の3種類のうちのどれかに当てはまります。
使用されている糸の色や素材、糸の太細、緻密さ、配色、縞の幅の広狭、金銀糸の使用、紋織の併用など、組み合わせによってありとあらゆるの縞織物が存在します。
縞という言葉は、筋文様を総称する言葉として使われていますが、江戸時代の記述では、「縞」の他にも「嶋」や「島」、「間道」という字が当てられています。
嶋物という言葉は、江戸時代初期の茶道における茶会記に頻繁に表れ、嶋物は筋文様の織物に限らず、外来の茶道具(裂)全般を表す言葉としても使用されていました。
日本の服飾史において、古くから「筋」と呼ばれてきた文様に、「縞」という名前が与えられていく背景には歴史があります。
室町時代後期から江戸時代前期にかけて、「縞」の名称をめぐる由来について、本記事でたどっていきます。 続きを読む