デザイン」カテゴリーアーカイブ

型染めで唐草模様が表現された木綿布

捺染(プリント)とは?シルクスクリーンの歴史と活用方法

捺染なっせん(プリント)とは、模様を抜いた型紙やシルクスクリーン、彫刻ちょうこくをいれたローラーなどを使って、合成染料を混ぜた糊料こりょう色糊いろのり)を布地にプリントして模様を出すことを意味します。

色糊いろのりは、糊の防染力ぼうせんりょくと染料の着色力を合わせもつ材料なので、使い方によってはさまざまは表現をすることができます。

捺染(プリント)とは?

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千利休像(長谷川等伯画、春屋宗園賛、不審菴蔵、重要文化財)

一流の茶人・茶の湯名人の条件とは何か?新しい発想で茶の湯を創造する力が名人の条件であった

一流茶人の条件とは、古くはどのようなものだったのでしょうか。

主に中国から伝来した陶磁器とうじきである唐物からものを持ち、目利きがあり、茶の湯が上手であるというのは、名人の条件として考えられました。

また、茶の湯の名人である大事な条件として、新しい発想で茶の湯を創造する力が挙げられていたのです。 続きを読む

デザインにおける雁文(かりもん)・雁金文(かりがねもん)

がん(かり)は、カモ目カモ科ガン亜科の水鳥のうち、かもよりも少し大きく白鳥よりも小さい水鳥の総称です。

冬鳥として、秋の彼岸ごろに渡来し、春の彼岸に飛び去っていく代表的な渡り鳥として知られています。

日本人は昔からがんの行き来に、趣や季節の移り変わりを感じ、多くの詩歌の題材としても詠まれてきました。 続きを読む

呉服商である雁金屋(かりがねや)に関係した染織を知る上で貴重な資料

江戸時代前期頃の京都の呉服商である雁金屋かりがねやは、画家として有名な尾形光琳おがたこうりん尾形乾山おがたけんざんの生家です。

尾形光琳おがたこうりんは日本画家として数々の有名な作品を残しており、例えば国宝の「燕子花図かきつばたず」は、江戸時代のみならず、日本の絵画史全体を代表する作品としても知られています。

尾形光琳,燕子花図(かきつばたず),Irises screen 2

尾形光琳,燕子花図(かきつばたず),Ogata Kōrin, Public domain, via Wikimedia Commons,Link


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武士の服装と歴史。侍(サムライ)はどのような衣服を着ていたのか?

武士、侍はどのような衣服を着ていたのか?

その歴史は、律令制りつりょうせいの崩壊を象徴する承平天慶しょうへいてんぎょうの乱(931年〜947年)が起こった平安時代中期から、慶応3年(1867年)大政奉還によって武士の公服・礼服としても着用されてきたかみしもが撤廃されるまでの約10世紀にわたります。

Group-Samurai-Scholars-Nagasaki-1864-Ueno-Hikoma

Group-Samurai-Scholars,Ueno Hikoma (1838-1904), Public domain, via Wikimedia Commons,Link

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コプト織 人物動物文綴織 6世紀〜8世紀

コプト人によって製作されたコプト織(Coptic textiles)の特徴や歴史について

コプト織(Coptic textiles)とは、主に2世紀から12世紀にかけて、エジプトでコプト人によって製作された平織りの織物を表します。

いわゆるつづれ織りを主とした技法の織物で、コプト織は、経糸に麻を使い、緯糸に主にウールを用いて文様(模様)部分を表現しています。
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インド更紗

切本帳(きれほんちょう)とは?『平戸長崎オランダ商館日記』に記載されている染織品について

1602年、オランダが「東インド会社」を設立し、インドネシアのジャワを拠点に、みんや日本と交易を開始します。

この頃になってヨーロッパの文明が、島国の日本に影響を与えるようになるのです。

江戸時代に海外との交易拠点となっていた平戸ひらどや長崎にあったオランダ商館歴代館長が記した公務日誌『オランダ商館日記』には、数々の染織品の記載があります。 続きを読む