水仙(学名Narcissus)は、ヨーロッパでは古くから親しまれてきた花です。
日本における水仙も、元々は地中海沿岸やヨーロッパに自生していたものが、シルクロードを通り、中国から日本にもたらされたとも言われます。
水仙(学名Narcissus)は、ヨーロッパでは古くから親しまれてきた花です。
日本における水仙も、元々は地中海沿岸やヨーロッパに自生していたものが、シルクロードを通り、中国から日本にもたらされたとも言われます。
ハンモックは、ブラジルにおいてハマック(hamack)という木の皮で網を作って寝たことが、その名前の由来であると言われます。
スペイン語でハンモックは、ハマカ(hamaca)と呼ばれ、メキシコのカンペチェやユカタン半島などで広く使用されてきました。
今では伝説として語り継がれていますが、現在のバングラデシュの首都ダッカでは、高度な技術によってつくられたダッカ・モスリンという伝説の綿織物がありました。
現存するものは、ロンドンのヴィクトリア・アルバート博物館で保存されているようです。
バングラディッシュは、インドから独立した国なので、イギリスが植民地統治をしている以前は、インドの綿業の中心地であり、その生産量や染色技術においてももっとも世界で進んでいたと言われます。
当時はもちろん機械がなく手工業だったので、糸は手紡ぎされていましたが、その糸が非常に細く、それを使用して非常に薄い綿織物を織っていました。
インドで手紡ぎをイメージすると、ガンジーが糸車を回している有名な写真を思い起こしますが、当時細い糸を紡ぐときも、早朝に霧の立ち込める川のほとりで糸車を回し、指先に油をつけながら紡いだといわれています。
早朝の霧、そして川の近くで湿気の多い場所が、糸を紡ぐのに適していたのです。 続きを読む
型絵染は、絵画のような表現を重視した型染めのジャンルの一つともいえます。
型絵染という名前は、人間国宝で著名な染色工芸家であった芹沢銈介(1895年〜1984年)が名付けました。
彼の作品には、初期の頃から型絵染がみられます。 続きを読む
沖縄における絣織物(琉球絣)には、独特な幾何学文様があります。
線で構成したこれらの絣柄は、18世紀後半の御絵図帳で高度に完成したと考えられます。
「御絵図帳」とは、琉球王国における首里王府の絵師たちによってまとめられた絣の図案集です。
「御絵図帳」とは、琉球絣が貴重な貿易商品だった時代、王国に収める貢納布を織らせるために模様や染色などを細かく指定したものです。 続きを読む
堰出しとは、柄の外部分を糊で伏せて、柄部分をを手挿しや刷毛で染め上げる京友禅の技法を表す言葉です。
堰出し型は、白抜き型のように模様自体が白く抜ける型ではなく、模様の部分の周りに糊を置くので、地が白くなり、模様部分を染めることになります。
白抜き型であれば、模様部分を彫っていけばいいのですが、堰出し型では模様部分の周りを彫り、模様の形を彫り残します。
型紙としては不安定な型になるので、堰出し型では「繋ぎ(吊り)」が必要になってきます。 続きを読む
本を開いたとき外側にくる部分のことを小口と言いますが、小口の部分に絵を描くことを、フォアエッジペインティング(Fore-edge painting)と言います。
フォアエッジペインティング(Fore-edge painting)は、日本においては小口絵と呼ばれているものです。
ウィキペディアのフォアエッジペインティング(Fore-edge painting)に関する記述によると、最も初期の小口絵の登場は、10世紀頃までさかのぼるそうです。
参照:Fore-edge painting From Wikipedia
イギリスでは、14世紀には金色や他の色彩の紋章のデザインがあったり、本が閉じられたときに絵が見えないような描かれ方がされた最初の例が、1649年のものであるとされています。
現在では、フォアエッジペインティング(Fore-edge painting)を専門とするアーティストもいるようです。
裂き織りとは、もともと着古された着物であったり、使い込まれた布を細かく裂いた「裂き布」を緯糸に織り込んだ平織りの織物のことです。
織物は、経糸と緯糸が互いに交差しあってできる布ですが、織り込もうと思えば、大抵どのようなものでも緯糸として使用できます。
例えば、和紙やイネ科の多年草である葭、ヤシ科のツル性植物である籐、木の皮などを糸にして緯糸に織り込んでいる織物などさまざまあります。
裂き織りは、日本だけではなく、スウェーデンやアメリカ、スペインなど海外でも行われていました。
日本における裂き織りの起源はよく分かっていませんが、その分布が東北地方や佐渡、能登、丹後、隠岐(島根県隠岐諸島)、中国地方の山地などにみられ、主に日本海側沿岸の地域を中心としているのが特徴的です。
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いくつもの島々からなるインドネシア。
古くから織物が盛んなこの国では、平織りが最も一般的で、無地、縞、絣なども織られてきました。
現在観光地として世界中から旅行客が集まるバリ島でも、その独自の文化の一役を担うものとして染織が行われてきました。
バリヒンドゥーと呼ばれる独自に発達した宗教生活上では、染織品は舞踊や祭儀の衣装、魔除けの布として非常に重宝されてきました。
木綿、絹、金銀糸を使って無地、縞、紋織、綴織が織られ、華やかな染織文化が発達した歴史があります。
バリヒンドゥーの象徴といえるのが、白と黒の格子布であり、軽やかに透けたその布はバリ人だけが織っていたそうです。
経糸を空羽を使って筬に通し、緯糸も部分的に空けて織ってあり、縫い取りで模様を入れた布もあります。
また、藍や赤を基調にした格子布も織られています。
色には重要な意味があり、白色は、シヴァ、黒はフィスマ、黄色はマハデワ、赤はプラフマといったように、それぞれの神々を象徴するものとされています。
織物文化は、それぞれの国々の文化とともに発達した歴史があり、事例を調べてみると、非常に興味深いことがわかってきます。
「カード織り」は、「考古学的織物」とも呼ばれるそうです。
その理由は、20世紀前半のヨーロッパにおいて、古代のカード織りの存在が相次ぐ遺跡の発掘によって明らかになったためです。
カードを使った織物の歴史は古く、紀元前に始まり、ヨーロッパから北アフリカ、中近東、ロシア、中国、東南アジアに至るユーラシア大陸全体に分布しましたが、20世紀に入り、ほとんどの国で姿を消し、忘れたら織物となりました。
19世紀末、ドイツのマーガレット・レーマンは、この古い織物に対して始めて組織的な研究をし、カード織りはテキスタイルにおける不可欠な一分野として認識されるようになりました。
カード織りは、ヨーロッパ諸国では、「タブレット・ウィービング」(tabletは、木片という意味)と呼ばれ、アメリカでは「カード・ウィービング」と呼ばれています。
カードは様々な材質のものがあり、アイスランドでは木片を使いっていたようです。
カード織りは、穴を空けた四角いカードに糸を通して、それをくるくるとまわすことで織っていきます。