越後上布(えちごじょうふ)

越後上布(えちごじょうふ)とは?越後上布の技法と雪晒しについて


越後上布えちごじょうふとは、新潟県から生産される平織りの麻布です。

小千谷、六日町、塩沢を中心とした地域は、越後上布えちごじょうふだけでなく、小千谷縮おぢやちぢみの産地としても知られていました。

越後上布(えちごじょうふ)とは?

夏用の着尺地に用いられ、原料は苧麻ちょまを用いたもので、優良なものを上布じょうふと称し、中布、下布と品質によって区別されていました。

上布じょうふは、「上等な布」として1000年以上も前の延長えんちょう5年(927年)、『延喜式えんぎしき』に越後布として、1千反が上納されたことが記されています。

上布じょうふには、縞上布、絣上布があり、幅一尺、長さ三丈、重さ130もんめのものがもっとも多く、原糸が細く、重要が軽いものが最上品とされていました。

木綿が海外から渡来しておらず、国内でも栽培されていなかったため、古くは麻布といえば、布の代表的な存在だったのです。

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越後上布の技法

越後上布の原料は、イラクサ科の植物である苧麻ちょま(からむし)の靭皮じんぴを細く引き裂いた青苧あおそ(青麻)と呼ばれるものが用いられます。

青苧あおそをぬるま湯に浸したあと、爪で細く裂き、糸に紡いでりをかけます。

この工程を、「苧積おうみ」と言います。

紡がれた糸は、灰汁あくで精錬し、水洗いしたものを先に20日間ほど雪晒ゆきざらして漂白する場合がありました。

一般的には、居坐機いざりばたを使用して反物に織り上げ後に、雪晒ゆきざらしが行われていました。

図案から設計図をおこし、それに基づいて作られた絣糸かすりいとすみつけが行われ、すみつけした部分を木綿糸で括り、浸染をして染まりあげてから2〜3日乾燥させました。

機織りは、古代そのままの居坐機いざりばたが用いられ、1反織り上げるのに20日以上かかったとされます。

上布じょうふちぢみの違いは、経糸と緯糸を同じものを用いて平織したものを上布といい、緯糸のみに強いりをかけて織ったものをお湯にお中に入れ、もんだり踏んだりすることで「しぼ立て」をしたものをちぢみと呼んでいます。

古くから越後上布は、奈良晒ならざらし近江上布おうみじょうふとともに著名な夏用着尺地として珍重されてきました。

越後上布えちごじょうふは、昭和30年(1955年)に国の重要無形文化財に指定されています。

越後上布の影響を受けた小千谷縮(おぢやちぢみ)

小千谷縮おぢやちぢみの発祥は、江戸時代初期の寛文かんぶん年間(1661年〜1673年)、播磨はりまの国(兵庫県)明石からやってきた堀次郎将俊ほりじろうまさとしがこの地で産出される越後上布えちごじょうふを見て、明石縮あかしちぢみの技法も加えつつ小千谷縮を作り上げたと伝えられています。

越後上布や小千谷縮の大きな特徴として、晒しの技術である「雪晒ゆきざらし」があります。

雪晒ゆきざらしは、青天の日に糸や反物を雪の上に広げておくと、雪が溶けて蒸発する時に発生するオゾンによって、麻の色素と化合して生まれる漂白作用を利用してます。

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この地方の人々が半年近くも雪に埋もれて生活してきた中で得た、生活に知恵と言えます。

小千谷縮も越後上布と同じように、昭和30年(1955年)に国の重要無形文化財に指定されています。

江戸時代後期の商人・随筆家ずいひつかであった鈴木牧之すずきぼくし(1770年〜1842年)は、著書『北越雪譜ほくえつせっぷ』にて越後縮(小千谷縮)について、下記のように記録しています。

雪中に糸となし、雪中に織り、雪中にすすぎ、雪上にさらす、雪ありて縮あり、されば越後縮は雪と人と気力相半して名産の名あり、魚沼郡の雪は縮の親というべし『北越雪譜ほくえつせっぷ


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