染色・草木染めにおける丁子(ちょうじ)。チョウジの特徴や歴史について


染色・草木染めにおいて、丁子ちょうじが古くから使用されてきました。

日本には奈良時代にはすでに中国経由で到来していて、正倉院御物の中には当時輸入された丁子そのものが残っています。

丁子の歴史や幅広い用途について、詳しく紹介していきます。

丁子(ちょうじ)とは?

丁子ちょうじというと、チョウジノキの開花期のつぼみを乾燥したものを一般的に表します。

チョウジノキ(学名:Syzygium aromaticum)は、歴史的に香料諸島(スパイス諸島)として有名であった現在のインドネシアにあたる南太平洋のモルッカ諸島(別名マルク諸島)原産のフトモモ科に属する熱帯性常緑高木じょうりょくこうぼくです。

モルッカ諸島(Maluku Islands)

モルッカ諸島,Maluku Islands,Lencer, CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons,Link

木の高さは10mにもなり、葉っぱは両端が尖った形で、光沢感があり、表面は少しだけ白っぽさを感じます。

花は、筒の形をしており、まるで先っぽにイソギンチャクがくっついているように、枝先に散らばるようにして咲き、強烈な匂いを発します。

チョウジノキ(Syzygium aromaticum)

チョウジノキ,Syzygium aromaticum,tinofrey, Public domain, via Wikimedia Commons,Link

丁子ちょうじという名前の由来は、このつぼみの形に由来があります。

丁という字に似ていることから中国での漢名かんめいで、丁香や丁子、丁字などという名前があり、英語名のcloveもフランス語で釘という意味のclouに由来しています。

染色・草木染めにおける丁子(ちょうじ)

丁子ちょうじは、そのまま煮出して使用すると黄色がかった茶色である黄褐色おうかっしょくいろに染まります。

Drying Syzygium aromaticum

Drying Syzygium aromaticum,Herusutimbul, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons,Link

鉄で媒染すると、黒みがかった茶色である黒褐色くろかっしょくいろに染まります。

丁子ちょうじを煮て色素を抽出したその煎液せんえきの濃度と、媒染剤の鉄分の多少によって、淡い黄褐色から濃い焦げ茶色まで色を調節できます。

香料としても有名で、特有の匂いがよく移るのが特徴としてあります。

平安時代には、香色こうしょくという装束の色の名前にもなり、源氏物語や枕草子などの王朝文学には香染、丁子、丁子染、濃丁子染などとして登場します。

丁子染は、のちに丁子を使わなくともその色彩に近いものを「丁子茶」として称するようになります。

江戸時代の『諸色手染草しょしきてぞめくさ』(1772年)には、楊梅やまももと紅梅の根や樹皮を濃く煎じ出した染め汁である梅屋渋うめやしぶで丁子茶を染める技法が記されています。その他にも、『染物秘伝(1797年)』には、楊梅やまももと梅皮、苅安かりやすで、『染物早指南(1853年)』には、楊梅やまももと中国からアジア西部に多いクロウメモドキ科の落葉高木であるなつめなどで染める技法が記載されているようです。

丁子が活用されてきた歴史

開花期のつぼみを乾燥した丁子は、古くから有名な香辛料の一つに数えられています。

花びらやおしべやめしべを支えている部分を花床かしょうと言いますが、その部分を爪で引っかくと脂がにじむくらいに多くの油分を持ち、香り高く、味は辛くて刺激があります。

丁子が活用されてきた歴史はとても古く、紀元前の古代エジプトの時代から世界各地に持ち出され、ギリシャやローマにもたらされたとされています。

インドの伝統医学の聖典である『チャラカ本集(紀元前)』や仏教の経典である『金光明最勝王経こんこうみょうさいしょうおうきょう』には、香薬としての丁子が記されています。

インドにおける丁子の歴史が古く、インドからヨーロッパや中国など世界に広がっていったものとも考えられています。

中世のヨーロッパでは、15世紀から16世紀にかけて、香料を産出するいわゆる香料諸島(スパイス諸島)をめぐる植民地争いが激しくなり、オランダ政府は、チョウジノキの栽培をモルッカ諸島にあるアンボイナ島に限定し、種子や苗木の移動を厳重に取り締まって、専売独占をはかったほどです。

18世紀末にフランス人が盗み出し、フランスの植民地であったモーリシャス島に移植したことで、オランダの独占が崩れたとされています。

現在では、東アフリカのタンザニアにあるサンジバル島やペンパ島やマダガスカルなどの熱帯地域が産地として有名です。

中国から日本へ

中国には、インドを経由して入ってきたと考えられており、『斉民居術(430年)』『名医別録(500年頃)』『新修本草(659年)』などに記載がある「鶏舌香けいぜつこう」は、形が鶏の舌に似ていて香りがあるという名前のように、丁子と同一のものと考えられています。

935年から960年頃に刊行された『蜀本草しょくほんぞう』という漢方薬の本には、母丁香ぼちょうじという記載があり、973年に刊行された医薬に関する本である『開宝本草かいほうほんぞう』には、「丁香」の名前で薬物として収録されています。

日本には、奈良時代(710年〜794年)にはすでに中国経由で到来しており、正倉院に保存されている当時の薬物のうちの一つに丁子があり、所蔵されている『種々薬帳しゅじゅやくちょう(756年)』には、薬物としての記載があります。

参照:身近な生活にある薬用植物 正倉院に伝わる薬物60種のリスト 種々薬帳(しゅじゅやくちょう)

正倉院宝物の「沈香末塗経筒じんこうまつぬりのきょうづつ」には、その筒の外面に沈香末じんこうまつ(熱帯アジア原産ジンチョウゲ科ジンコウ属の常緑高木の粉末)をうるしに合わせて塗り、丁子と相思子そうしし(トウアズキ)を浮き彫りの一種である半肉はんにくに、はめ込んで文様がつくられています。

奈良の大仏を作った聖武天皇がつけたという古代の冠「礼服御冠残欠らいふくおんかんむりざんけつ」には、丁子が材料に使用されています。

正倉院宝物からみるに、当時は薬用という役割のみならず装飾や衣服や文書に対する香り付け、防虫やカビの発生を防ぐ効果を求めて使用されていたことがわかります。

丁子は、主に中国からの唐船によって輸入されていましたが、江戸時代末期の嘉永かえい年間(1848年〜1854年)に、生きている植物の状態のチョウジノキが長崎に届いたという記録が残っているようです。

丁子のさまざまな活用方法

丁子は染色、香辛料、油、香料などさまざまな活用法があります。

丁子油

丁子を水蒸気蒸留すいじょうきじょうりゅうすることで、丁子油を得られます。

水蒸気蒸留とは、植物から精油せいゆ(エッセンシャルオイル)を抽出して生産する方法としてもっとも古くて有名といえる技法です。

油を抽出したい植物を蒸留器じょうりゅうきに入れて、水蒸気を送ると、植物の中にある油分が分離して、気化し、水蒸気と一緒に上昇します。

この油分が混入した水蒸気を冷やすと、液体に戻りますが、油分は水には溶けない性質を持っているので、水と油分に分けることができるのです。

水蒸気蒸留は、寛文12年(1672年)に、長崎の奉公であった牛込忠左衛門が日本に渡来したオランダ人から、通訳者である通詞つうじに学ばせたのが始まりとされています。

明治元年(1868年)には、大阪の堺には丁子油の製造者が6軒あり、最も歴史のある岡村家がいち早くオランダから来た技術を活用して、丁子油を万能薬的な謳い文句のもと日本に広げていったと言われています。

丁子油は、防腐や局所麻酔効果があり、歯医者の鎮痛剤や、歯みがき、鉄などのサビ止め、整髪料として使われたりと幅広い使用法があります。

紋としての丁子

丁子は、紋として様々な形で図案化されて名前が付けられていました。

紋というと、基本的に「家紋」を表し、代々その家に伝わる家の印として、家系や個人を識別し、その地位を表すために使われてきた歴史があります。

関連記事:紋付の紋の起源と歴史。武家、公家、町人の家紋と紋の位置について

丁子柄の紋は、家紋のいろはというwebサイトには、59種類もの数記載されています。

参照:丁字紋(ちょうじ)

これだけの数が紋として図案化されたということが、日本において歴史的に丁子が有名であったことがよくわかります。

丸に一つ丁子紋

丸に一つ丁子紋,家紋の和市場, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons,Link

万能な役割

その他、香辛料として料理に使われるのはもちろんのもと、化粧品や香水に使用されたり、防虫のための香り付けにも使用されます。

古くから草木染めに使われる植物は、もともとは薬用効果がある薬草から色素を抽出していたとされています。

関連記事:草木染め・植物染色の薬用効果と抗菌作用。祈念と薬用効果を求めて、薬草を使った染色が古代に始まる

丁子もまさに薬草として、胃薬や食欲増進などとしても重宝されてきた歴史があるのです。

【参考文献】『月刊染織α 1981年5月no2』


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