藍は、古くから世界各地で使用され、人々に一番愛されてきたともいえる植物染料です。
日本において、藍染された色は一番薄い藍白から、一番濃い留紺まで、「藍四十八色」と呼ばれるほど多くの色味があり、それぞれ名前がつけられていました。
それぞれの藍色に名前をつけて区別をしようと思えるほど、藍色を見る目を昔の人々が持っていたともいえます。
藍色のなかで、比較的有名なものに甕覗(瓶覗)という色名があります。 続きを読む
藍は、古くから世界各地で使用され、人々に一番愛されてきたともいえる植物染料です。
日本において、藍染された色は一番薄い藍白から、一番濃い留紺まで、「藍四十八色」と呼ばれるほど多くの色味があり、それぞれ名前がつけられていました。
それぞれの藍色に名前をつけて区別をしようと思えるほど、藍色を見る目を昔の人々が持っていたともいえます。
藍色のなかで、比較的有名なものに甕覗(瓶覗)という色名があります。 続きを読む
大青(漢名:大藍・菘藍)は、アブラナ科に属し、中国が原産地とされ、享保年間(1716年〜1735年)に日本に渡来したとされます。
ヨーロッパからシベリアのバイカル湖付近にまで分布するといわれるアブラナ科の越年草である細葉大青(学名:Isatis tinctoria)は、英名ではWoad(ウォード)と言われます。
同じ藍の色素を持つ植物でも、蓼藍やインド藍や琉球藍などとは品種が違い、ウォードはアブラナ(菜種菜)によく似た大きな草です。 続きを読む
インディゴピュア(ピュアインディゴ)は、人工的に作られた人造藍の名称です。
天然の藍染めの主成分であるインディゴ(indigo)の構造が、ドイツの化学者であるアドルフ・フォン・バイヤー(Johann Friedrich Wilhelm Adolf von Baeyer,1835年〜1917年)によって1883年に研究の末、合成されました。
藍の植物から色素成分を採取すると、かなりの不純物が含有しており、インディゴの他にも赤色の色素であるインジルビンやインジゴブラウンと称する茶色の色素も少量含まれています。
一方、化学的に合成されたものは、ほとんど純粋なインディゴであるため、インディゴピュア(インジゴピュア)という名称が付けられました。 続きを読む
山藍(学名 Mercurialis leiocarpa) は、トウダイグサ科、ヤマアイ属の植物で、群をなして生い茂ります。
学名のMercurialis leiocarpaは、江戸時代の弘化2年(1845年)にドイツ人のシーボルトが日本古来の資料をもとにして命名し、Mercurialisは、ギリシャ神話の女神である「マーキュリー」からとったもので、leiocarpaは「平滑な果実」の意味であるとされています。
トウダイクサ科の植物は有用なものが多く、パラゴムノキやマニホットゴムなど樹液から天然ゴムが採れたり、タピオカの原料になるキャッサバ、種子からひまし油が採れるトウゴマなど様々あります。 続きを読む
古くから、職人と呼ばれる手工業者たちは、守護をしてくれる神仏を祀っていました。
同業者同士で信仰のための組織である「講」を結成する場合も、数多くありました。
「講」においては、神仏の信仰だけでなく、同業者同士、技術の向上や保護を目的に活動したり、互いの結束を強める役割もありました。
染色職人、とりわけ藍染に関わる人々は、仏教の愛染明王を信仰し、同業者が集って、「愛染講」を結成していました。
島根県の出雲地方では、婚礼の際に、嫁入り風呂敷を持っていく風習が、古くから伝わっていました。
風呂敷といっても、一般的に使用されるような簡易な風呂敷ではなく、慶事(おめでたいこと)にふさわしい品格のあるものです。
出雲祝風呂敷とは、婚礼の際の嫁入りの際に、伝統的に用いられる筒引き(筒描き)された藍染風呂敷のことを表します。 続きを読む
宮城県栗原郡栗駒町に伝わる「正藍冷染」という技法は、どの地方においても見られない特徴的な藍染です。
一般的に行われている藍染は、藍甕のなかに、アルカリ分の木灰の上澄み液である灰汁を入れ、蓼藍の葉を発酵させて作った原料の蒅と小麦の外皮を煮出した糖分などを混ぜ、人為的に加温して発酵させます。 続きを読む
青縞と呼ばれる藍染された布は、埼玉県の北東部に位置する加須市や羽生市を中心に盛んに織られていた生地です。
青縞と呼ばれる理由としては、綿糸を藍染し、染め上がった糸を織ると、染めムラが独特の縞模様に見えることからその名前があります。
青縞は、仕事着である野良着や股引、脚絆、足袋などに使用され、江戸時代は主に農家の副業として青縞が生産されていました。
天明年間(1781年〜1789年)に北埼玉郡騎西町付近(現在の加須市)で農家の副業として織られたことから、この土地の名前に由来し私市縞と呼ばれたようです。
明治以降は織物をつくる事業家(機業家)によって、生産、発展してきました。
元々は、天然藍のみが使用されていましたが、明治30年(1897年)頃からは、化学藍(インディゴピュア)が使用され始めました。
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