出雲祝風呂敷(いずもいわいふろしき)とは?出雲祝風呂敷の歴史や技法について


島根県の出雲いずも地方では、婚礼の際に、嫁入り風呂敷を持っていく風習が、古くから伝わっていました。

風呂敷といっても、一般的に使用されるような簡易な風呂敷ではなく、慶事けいじ(おめでたいこと)にふさわしい品格のあるものです。

出雲祝風呂敷いずもいわいふろしきとは、婚礼の際の嫁入りの際に、伝統的に用いられる筒引つつびき(筒描き)された藍染風呂敷のことを表します。

出雲祝風呂敷(いずもいわいふろしき)の特徴

出雲祝風呂敷いずもいわいふろしきは、単に物を包む目的だけでなく、油箪ゆたんとしても用いられるものです。

油箪ゆたんとは、嫁入りする時に、箪笥たんす長持ながもち、鏡台などにかけられる、家紋入りの布地(カバー)のことです。

生地は厚手の木綿が用いられ、大きさは三幅みはば(114cm)、四幅よはば(152cm)が多く、主に藍染を中心とした植物染料で染められました。

中心に家紋が染め抜かれ、二隅または四隅に、鶴亀、松竹梅、鳳凰、宝尽くしなどの吉祥文様きっしょうもんよう筒引つつびき(筒描き)で染められるのが特徴です。

出雲いずも地方では、筒引つつびき(筒描き)をする紺屋こうや(こんや)を「表紺屋おもてこうや」と呼んで、糸染めをする糸染紺屋と区別していました。

かつては、祝風呂敷や暖簾のれん印半纏しるしばんてん、布団以外にも生活必需品の多くが染められていました。

出雲祝風呂敷の歴史

出雲地方で藍染が始まった時期ははっきりとしていませんが、木綿栽培が盛んに行われていた江戸時代には、藍染が普及していたと考えられます。

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出雲地方は、古く、藍染における板締めの技法が有名で「出雲藍板締め」と呼ばれています。

藍の板締めを行なっていた島根県出雲市の板倉家は、江戸時代後期には紺屋こうやを営み、江戸末期の40年間は藍で板締めを染めていましたが、明治3年(1870年)に紺屋こうやを廃業しています。

藍板締めが発達していた点からも、出雲地域で古くから藍染が盛んに行われていたことがわかります。

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藍染が盛んに行われている地域では、多くの紺屋があり、さまざまなものが藍染されていたと考えられ、祝風呂敷もそのうちの一つで、その土地の文化や慣習として発達していったのでしょう。

出雲祝風呂敷の染色技法

出雲祝風呂敷いずもいわいふろしきに使用する木綿生地は、染色する前の下処理として、熱湯の中で煮沸しゃふつして汚れを落とし、天日で乾燥させた生地をきぬた打ちをするなどしていました。

きぬた打ちとは、木槌きづちで平らな石の上などに置いた布を丁寧に叩いていくことによって、布に磨きがかかり、繊維もふっくらとします。

やわらかくなった生地に木炭で下描きをし、伸子しんし張りをしてから下描きに沿って、防染糊ぼうせんのり筒引つつびき(筒描き)していきます。

生地の表へ糊置のりおきが終わると、米ぬか、木くず、砂などをふりかけて、糊を置いた部分の表面を細かい粒子でコーティングすることで、ほかの場所に糊がつくことを予防したり、糊自体を補強します。

裏返して、裏面にも糊を置きます(両面糊置き)。

生地の両面に豆汁ごじる刷毛引はけびきし、乾かしてから染色します。

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藍で一色に染める場合は、藍甕あいがめで、浸染しんぜん(しんせん)します。

他の色を差す場合は、染料を刷毛はけを使って部分的に引き染めをしていきます。


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