ヨーロッパで栽培された藍の品種であるウォード(woad)

ヨーロッパの藍染におけるウォード(Woad)

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大青たいせい(漢名:大藍・菘藍)は、アブラナ科に属し、中国が原産地とされ、享保きょうほう年間(1716年〜1735年)に日本に渡来したとされます。

ヨーロッパからシベリアのバイカル湖付近にまで分布するといわれるアブラナ科の越年草である細葉大青ほそばたいせい(学名:Isatis tinctoria)は、英名ではWoad(ウォード)と言われます。

同じ藍の色素を持つ植物でも、蓼藍たであいインド藍琉球藍りゅうきゅうあいなどとは品種が違い、ウォードはアブラナ(菜種菜なたねな)によく似た大きな草です。

古代エジプトで行われていた藍染の原料となったのは、アブラナ科のウォードだと考えられています。

染色・藍染におけるウォード(Woad)の製法方法

Isatis tinctoria,細葉大青(ホソバタイセイ),Woad(ウォード)

細葉大青(ホソバタイセイ),Woad(ウォード)Isatis tinctoria,H. Zell, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons,Link

アブラナ科のウォードは、ヨーロッパ地域から北アフリカ、中国、日本まで世界中で分布していました。

土壌は一般的には石灰質を好むとされますが、古くからヨーロッパにおいてもさまざまな変種が各地で生育されていたと考えられ、各地でさまざまな呼び名がつけられていました。

栽培したウォードの葉を染料にする製造方法としては、インド藍などのように水に葉を浸けて色素を抽出するのではなく、日本のすくも製造に近い形が取られていました。

葉を湿り気があるうちに、大きな石輪(輪っか状の大きな石)ですり潰し、それをボール状にこねて乾燥発酵させます。

次にそれを細かく砕いて粉状にしたものを床に積み上げ、水をかけることによって再度発酵を促します。

こうして2度の発酵を経て乾燥させられたものがふるいにかけられ、たるに詰められて出荷されたようです。

製造の方法や工程は地域や時代によって違いがあったようですが、基本的には上記のような流れだったと考えられます。

ヨーロッパにおけるウォード

ヨーロッパ全域では、古くからウォードを使用した藍染が行われ、シベリア一帯でも使用されていたとされます。

ヨーロッパのウォードは、いつ頃から産業として生産され始めたのかははっきりとしていませんが、13世紀初め頃になるとウォードに関する記述が多くみられるようになります。

そのため、ウォードの加工農産物が本格的な市場性を持ち始めたのは、11〜12世紀ごろではないかと考えられます。

イギリスの11世紀の文章には、早くもウォードが産業化し始めていたのではと推測させる記述がみられ、ドイツではカール大帝が関係した795年の文書の中に、計画的耕作の証拠が見出されているようです。

13世紀のイギリスでは、国内産のウォードではすでに需要が間に合わなくなり他国から輸入していたようです。

ウォード産業が発展した背景のひとつに、中世のヨーロッパの衣服の染色が宗教的な影響もあり、青と黒が主だった点が挙げられます。

インド藍の流入によるウォード生産の衰退

インドからの藍が大量に輸入されるようになったことで、その染色性の良いインド藍に押される形で、ヨーロッパにおけるウォードが衰退していきます。

しかし、産業としてのウォードが次第に衰退していきながらもその終わりを迎えるまでは約300年の年月を要しています。

19世紀初頭のナポレオン1世の統治下、イギリス、フランス両国の政治的緊張していきましたが、イギリスが制海権を強く保持していたため、フランスのインド藍の入手が難しくなったことからフランスを中心にウォード産業が再興する時代がありました。

イギリスにおいては、ウォードの製造を最後まで行っていた生産者がその操業を停止したのが、1932年との報告があります。

日本におけるアブラナ科の植物を用いた藍染

千島ちしまから樺太からふと、そして北海道に住んでいたアイヌ人たちの藍染も、細葉大青ほそばたいせいが用いられていました。

細葉大青ほそばたいせいが用いられていたのは、シベリアからの文化の影響だと考えられています。

アイヌの大青たいせいのことは、蝦夷大青えぞたいせいと呼ばれ、ヨーロッパのウォードや中国産の大青たいせいの一変種とされていましたが、素人が見たところでは、いずれもアブラナ(菜種菜なたねな)に似た草で、ほとんど区別がつかないほどです。

大青たいせいは、菘藍しゅうらんとも呼ばれ、しゅうとは唐菜とうな(アブラナの一種)のことを指します。

【参考文献】『月刊染織α1990年12月No.117』

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