現在の福岡県の久留米における久留米絣や愛媛県の伊予絣など、絣織物の産地が日本各地にありました。
糸をヒモで括って部分的に防染した絣糸を用い、織りによって絣の模様(文様)を表現するのが通常の絣の織物です。
ただ、絣産地がなかった東北地方においては、絣形に彫られた型紙を使用した型染めを行うことで、「絣模様」を表現するという工夫がされていました。 続きを読む
絞り染めとは、部分的に布に染まらない部分を作る防染の技術です。
布の一部を糸で強く巻き締める「巻き締め」や、針と糸で布を縫い、その糸を引き締めることによって防染する「縫締め」と呼ばれるものが基本的な技法です 続きを読む
染色する人を染師(そめし)と呼んだりしますが、古くはただ染めるだけではなく、染めるための原料を入手するところから、「染師」の仕事がはじまっていました。 続きを読む
支子(学名 Gardenia jasminoides)は、あかね科クチナシ属の常緑の低木で、現在は支子ではなく、梔子の字を当てる場合が多いです。
古くから、支子の果実が染色や薬用に使用されてきました。
本記事では、以下、支子と表記します。
支子は、庭園の樹木として植えられ、葉は2枚の葉がつく対生、もしくは3枚の葉が輪生します。
6月〜7月頃に葉腋(葉の付け根)から花柄を出し、白い六片に裂けた筒状花をつけ、2〜3日で黄色く変色しますが、良い香りがします。
果実は、頂部に咢片が残り、熟すと黄赤色になります。 続きを読む
歌舞伎文様は、江戸時代の歌舞伎芝居の当り狂言や、人気役者が扮装(ある人物の姿になること)するため用いた模様(もんよう)です。 続きを読む
丈長でゆったりとしたコート風の衣服であるカフタン(caftan)は、中央アジアの草原地帯に起源があると言われます。
トルコの王様が功労者に栄誉を与え、外国の大使の名誉のためにカフタン(caftan)を授けたとされます。
ササン朝のペルシャの人物像もカフタンのような衣服と長ズボンを着用しており、中世以後のトルコ人はほとんどカフタン姿で現わされています。
近世の東洋好みの一端としてトルコ風の衣服、すなわちカフタンのようなものを西欧人が着用しているのが、肖像画にも残っています。
1955年にディオール(DIOR)が、カフタンをヒントにコート(カフタン・コート)を作りました。
長い切れ込みがあり、後ろでボタン留めとなる仕様になっていました。
江戸時代(1603年〜1868年)に入ると、染織技術の向上によって、日本各地で特色のある織物や染め物が生産されるようになりました。
1638年に松江重頼によって出版された『毛吹草』や1692年に艸田寸木子によって出版された『女重宝記』には、多くの織物や染め物が記載されています。 続きを読む
蟹(カニ)を模様化(文様化)したものを、蟹文といいます。
蟹は、硬い甲羅で身を守って(武装して)いるため、尚武の意味(武道や軍事を大切なものと考える)で紋章にも用いられてきました。
安土桃山時代(1568年〜1600年)頃に作られたとされる「薄水色地蟹文麻浴衣」は、小判形の胴に大きなハサミを開けたり閉じたりする蟹が散りばめるようにデザインされています。
カニの模様(文様)部分に防染糊で型置きして糊伏せした後に、藍染されています。
徳川家康(1543年〜1616年)が着用していたとされる浴衣は、三十三点(領)がまとめて現代まで遺されており、『駿府御分物』として伝えられました。
鹿子絞りは、小形の白い丸形がまばらに散ったような絞り柄になります。 続きを読む