投稿者「iroai.jp」のアーカイブ

絣型染(かすりかたぞめ)伊勢型紙

型染めで絣模様を表現する絣型染(かすりかたぞめ)。絣形に彫られた型紙を使用した型染め技法について

現在の福岡県の久留米における久留米絣くるめがすりや愛媛県の伊予絣いよがすりなど、絣織物の産地が日本各地にありました。

糸をヒモで括って部分的に防染した絣糸かすりいとを用い、織りによって絣の模様(文様)を表現するのが通常の絣の織物です。

ただ、絣産地がなかった東北地方においては、絣形に彫られた型紙を使用した型染めを行うことで、「絣模様」を表現するという工夫がされていました。 続きを読む

絞り染めとは?

絞り染めとは、部分的に布に染まらない部分を作る防染の技術です。

布の一部を糸で強く巻き締める「巻き締め」や、針と糸で布を縫い、その糸を引き締めることによって防染する「縫締め」と呼ばれるものが基本的な技法です 続きを読む

支子(梔子)で染めた色合いの一例

染色・草木染めにおける支子(くちなし)。支子(梔子)の染色方法や薬用効果について

支子くちなし(学名 Gardenia jasminoides)は、あかね科クチナシ属の常緑の低木で、現在は支子くちなしではなく、梔子くちなしの字を当てる場合が多いです。

古くから、支子くちなしの果実が染色や薬用に使用されてきました。

本記事では、以下、支子くちなしと表記します。

支子くちなしは、庭園の樹木として植えられ、葉は2枚の葉がつく対生たいせい、もしくは3枚の葉が輪生りんせいします。

6月〜7月頃に葉腋ようえき(葉の付け根)から花柄を出し、白い六片に裂けた筒状花とうじょうかをつけ、2〜3日で黄色く変色しますが、良い香りがします。

支子(梔子),Cape Jasmine (Gardenia jasminoides)

支子(梔子),Gardenia jasminoides,Mokkie, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons,Link

果実は、頂部に咢片がくへんが残り、熟すと黄赤きあか色になります。 続きを読む

染色・草木染めにおいて、媒染と染めを分けて行う理由

草木染めにおいては使用される植物染料は、それぞれ染料としての性質が異なります。

藍や紅花べにばななど特殊なものを除けば、媒染剤ばいせんざいを活用することで発色し、固着するものがほとんどです。

染色と媒染ばいせんの工程は、基本的には一緒に行いません。

染めと媒染が一緒にできれば楽だと思いますが、それぞれの工程を分けるのにはきちんとした理由があるのです。

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丈長でゆったりとしたコート風の衣服であるカフタン(caftan)

丈長でゆったりとしたコート風の衣服であるカフタン(caftan)は、中央アジアの草原地帯に起源があると言われます。

カフタン,Moroccan Kaftan, National Museum of African Art (1)

カフタン,Kaftan,Smithsonian National Museum of African Art, CC0, via Wikimedia Commons,Link

トルコの王様が功労者に栄誉を与え、外国の大使の名誉のためにカフタン(caftan)を授けたとされます。

ササン朝のペルシャの人物像もカフタンのような衣服と長ズボンを着用しており、中世以後のトルコ人はほとんどカフタン姿で現わされています。

近世の東洋好みの一端としてトルコ風の衣服、すなわちカフタンのようなものを西欧人が着用しているのが、肖像画にも残っています。

カフタン・コート

1955年にディオール(DIOR)が、カフタンをヒントにコート(カフタン・コート)を作りました。

長い切れ込みがあり、後ろでボタン留めとなる仕様になっていました。

江戸時代、日本各地で生産された有名な織物、染め物一覧。『毛吹草』『女重宝記』の文献から

江戸時代(1603年〜1868年)に入ると、染織技術の向上によって、日本各地で特色のある織物や染め物が生産されるようになりました。

1638年に松江重頼まつえしげよりによって出版された『毛吹草けふきぐさ』や1692年に艸田寸木子によって出版された『女重宝記おんなちょうほうき』には、多くの織物や染め物が記載されています。 続きを読む

薄水色地蟹文麻浴衣(うすみずいろあさじかにもんゆかた),蟹(カニ)のデザイン

デザインにおける蟹文(かにもん)・カニ

かに(カニ)を模様化(文様化)したものを、蟹文かにもんといいます。

デザインにおける蟹文(かにもん)・カニ

かには、硬い甲羅こうらで身を守って(武装して)いるため、尚武しょうぶの意味(武道や軍事を大切なものと考える)で紋章もんしょうにも用いられてきました。

安土桃山時代(1568年〜1600年)頃に作られたとされる「薄水色地蟹文麻浴衣うすみずいろあさじかにもんゆかた」は、小判形の胴に大きなハサミを開けたり閉じたりするかにが散りばめるようにデザインされています。

カニの模様(文様)部分に防染糊ぼうせんのりで型置きして糊伏のりふせした後に、藍染されています。

徳川家康とくがわいえやす(1543年〜1616年)が着用していたとされる浴衣ゆかたは、三十三点(領)がまとめて現代まで遺されており、『駿府御分物すんぷおんわけもの』として伝えられました。