兼房染とは、黒梅染のことをいい、加賀染(加賀御国染)ともいわれていました。
黒梅染とは、紅梅の樹皮や根を煎じた汁で染めたものやその色の中でも、特に赤み黒ずんだ茶色のものを指していいます。
梅染には、二種類あり、梅の木の煎汁に灰汁、または石灰を媒染剤として染めた茶色と、鉄媒染による黒味のある梅染が知られています。
黒味のある梅染が知られたのは、歴史的には茶色の梅染よりもやや後で、 加賀藩初代藩主の前田利家の時代に、加賀で発明されたと考えられます。
これを後に、御国染といったようで、染料として梅の木以外にも榛の木(ハンノキ)の皮も併用していたと考えられます。
兼房染とは?
享保元年(1716年)以後の兼房染は、藍で下染したものに、山漆の葉を煎じた汁をカネで媒染するようになります。
媒染に用いるカネは、不要になった刀を用いていたので、武士の間では、兼房染の羽織は敵に切られても手傷を負わないと信じられ、兼房染が流行したようです。
兼房染は元は吉岡染と言って、桃の樹皮とカネとで黒茶色に小紋を染めたものをいいました。
吉岡染は、京都の吉岡憲法が初めて染め出したものといわれ、憲法の字は、建法、拳法、兼房とも書きます。
吉岡憲法の通称は、仁右衛門といいました。
松江重頼(1602年〜1680年)によって1638年に出版された俳句に関する書物である『毛吹草』には、日本各地で生産されていた織物や染物が記載されていますが、「山城名物」として「吉岡染憲法染」とあります。