江戸時代、武士の裃や礼装用の小袖に染められた柄は、細やかな模様でありながら格式を示す重要な要素とされていました。
当初、柄の格付けは職人や武士の間で暗黙のうちに行われていたものの、明確な呼称や体系は存在しなかったと考えられますが、江戸時代後期から明治時代にかけて、染物業界や呉服業者が柄の格付けを整理し、広く染め柄が認知されるようになったとされます。
この流れで小紋染めの「三役」や「五役」といった呼称が生まれ、小紋の代表的な柄として位置づけられました。 続きを読む
江戸時代、武士の裃や礼装用の小袖に染められた柄は、細やかな模様でありながら格式を示す重要な要素とされていました。
当初、柄の格付けは職人や武士の間で暗黙のうちに行われていたものの、明確な呼称や体系は存在しなかったと考えられますが、江戸時代後期から明治時代にかけて、染物業界や呉服業者が柄の格付けを整理し、広く染め柄が認知されるようになったとされます。
この流れで小紋染めの「三役」や「五役」といった呼称が生まれ、小紋の代表的な柄として位置づけられました。 続きを読む
ハゼノキ(ヤマハゼ)は、ウルシ科ウルシ属の落葉小高木で、学名はToxicodendron succedaneumです。
黄色の心材(樹木を輪切りにしたときに、中心部分にある色の濃い部分の材木)が、染料になります。
本来、中国の黄櫨は、ウルシ科の別属の木ですが、平安時代にまとめられた三代格式の一つである『延喜式』には、「採黄櫨一人」との記載があることから、日本で自生していたハゼノキ(ヤマハゼ)も利用されていたようです。
ハゼノキ(ヤマハゼ)の心材を染料として使用し、明礬媒染で黄色、灰汁媒染でやや赤みを増し、石灰水では赤茶色、鉄塩による媒染で真黒に発色します。
室町時代中期の康正3年(1457年)に書かれたという『雁衣鈔』の中に、「櫨。表赤色。裏黄。若色也。年少人モ又十七八ノ人モ着之」と書かれており、櫨の色が重ねの色目のひとつとみられています。
この文章からは、室町時代には重ねの色目として櫨の色が用いられていたことがわかります。
平安時代末期に成立した仮名文の平安装束の有職故実書である『満佐須計装束抄』には、袿の色目のひとつとして、「しろぎぬつねのことなり 蘇芳の匂い。白絹に。櫨濃き打ちを、重ぬべきなり。」とあり、櫨色は、宮廷の女官達に一般的に使用されていた色彩の一つであったと考えられます。
【参考文献】『月刊染織α1990年12月No.117』
小紋は、もともと室町時代の武士の衣類である裃の家紋を染めることから始まったとされています。
小紋で染められた家紋は家を象徴するものとなり、将軍や大名は各自専用の小紋を定め、それを「留柄」や「定め小紋」などと称し、他人の使用を禁止しました。 続きを読む
車の模様(文様)は、公家が乗った御所車(牛車)や花を乗せた花車、水辺の水車などがあり、車輪を模様にした車輪文も古くから使用されてきました。 続きを読む
エビ(海老)は、「海の翁」と呼ばれ、不老長寿の象徴とされ、瑞祥(めでたいことが起こるという前兆)の意味でデザインに用いられてきました。 続きを読む
手毬は、丸めた綿芯の上を色糸で美しくかがった玩具(おもちゃ)です。
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琉球藍は、キツネノマゴ科の常緑草で、沖縄や台湾などの温かい暖地に自生します。
収穫した葉と茎を水に浸して発行させた後、石灰を加え、その上澄液を捨て、底に泥状に沈殿した青藍(泥藍)を藍瓶に入れて染めます。
製法が中国から伝わったことから唐藍と呼ばれたり、馬藍、山原藍などとも言われていました。 続きを読む
蚊帳は、蚊屋とも表記し、夏に蚊を防ぐために麻や木綿で作った寝床を覆うものです。 続きを読む