リボン(ribbon)は、英語でリバンド(Riband)とも表記され、リバンド(Riband)とは、「結ぶ」や「縛る」という意味です。
リボン(ribbon)の語源は、フランス語の古語である「リバン(Riban)」に由来しています。
目次
服飾・ファッションにおけるリボン(ribbon)
リボン(ribbon)の歴史は古く、紀元前の新石器時代の男女メンヒル(立体像)やクレタノミア文明のフレスコの女性の胸紐や頭飾りとして使用されています。
古代オリエントのエジプトにおいて、高貴な男女が幅広い帯を前結びに垂らしていたことなどから、リボンのような装飾品は紀元前より、結び紐として人々に使用されていました。
リボンの形は、帯型(サッシュ型)や布を縫って輪状(ループ型)にしたもの、蝶結び型などに分けられ、機能としては結ぶという実用性と装飾性の二面があります。
装飾としては、上流社会の人々や王侯貴族に用いられ、長さや幅、装飾によって高貴な身分や権力、権威などを示すものとして用いられました。
ヨーロッパにおける装飾としてのリボン
ヨーロッパにおいて装飾としてリボンが用いられるようになったのは、16世紀以降のことで、手動のリボン織機が開発され、素材は絹(シルク)や木綿(コットン)、ビロードなどの紐のことをリボンと呼ばれるようになってからです。
ゴシック時代の男女の服装にもみられ、女性の衣服地やエナン帽子や男性のマントル、帽子などに、装飾品としてリボンが使用されていました。
装飾性として目立つようになったのは、17世紀のバロック時代における男性の服装であり、ラングラーブやガーター、帽子や靴に至るまでリボンで飾られました。
女性の服装や髪飾り、アクセサリーなどにおいてリボンの華やかさが増したのは、18世紀のロココ時代です。
外衣のローブや帽子、靴などがリボンで装飾され、その他の首飾りや腕輪などと共に服装を華やかに彩りました。
19世紀のロマンチック時代には、より豪華な服飾として宮廷服に多く活用されていました。
リボンの素材としては、古代では皮や亜麻、羊毛などの織布や裂き布が使用されてました。
リボンの手動織機が開発され、1765年には自動化された織機も登場し、リボンの素材もベルベットやサテン、グログラン、タフタなどさまざまな織布が用いられるようになり、一般の人々にも普及していきました。
日本における服飾としてのリボン
日本におけるリボンの導入は、1860年頃に欧米との交易により、男子の服装において洋服が取り入れられてからです。
当時の男子の礼服用(フォーマルウエア)としては、燕尾服やフロックコート、モーニングコートなどが採用され、内側に立ち衿のシャツに蝶ネクタイが制定されています。
当時のネクタイは、「衿飾り」や「衿締め」、「ネツキタイ」などと呼ばれていました。
日本においてである、ネクタイの製造が始まったのが明治17年(1884年)頃で当初は、中古の女帯を利用して作ったと言われています。
その後、大阪の西陣において明治25年(1892年)頃からネクタイ地の生地が製織されはじめたことから、蝶結びのリボン形式のものも、ネクタイの製造にともなって導入されています。
女性の服飾におけるリボン
明治16年(1883年)に欧化政策の一環として建設された西洋館である鹿鳴館が建設されますが、明治16年(1883年)頃の鹿鳴館における上流社会の一部の婦人の間で着用されていたバッスルスタイルにリボン飾りが用いられていました。
リボンが一般の女性に利用され始めたのは、髪飾りからであり、明治18年頃から束髪に幅広のリボン結びがつけられるようになりました。
このリボンの流行によって、明治27年(1894年)に東京谷中にリボンの製作所が設立され、女学生の矢羽絣織物に袴スタイル、編み上げ靴を履き、長いかみにリボンを結んだ和洋折衷のスタイルが若い女性の間で好んで用いられました。
リボンは明治時代以降、時代の移り変わりとともに服飾や髪飾りをはじめ、アクセサリーなどさまざまな形で幅広く取り入られようになっていきました。
【参考文献】『月刊染織α1988年No.91』