投稿者「iroai.jp」のアーカイブ

能登上布(のとじょうふ)とは?能登上布における絣の染色技法と海晒しについて

石川県の能登のとにおいて、能登上布のとじょうふという麻織物が古くから有名で、昭和初期には機屋はたやが120軒、織物業者が原料を出して、一般家庭の子女などに家で織物を織らせる出機でばたが6000台を数え、麻織物生産数全国一位を誇っていました。

能登上布のとじょうふは、能登半島の付け根にあたる部分の石川県鹿西町や鹿島町を中心とした地方で織られていました。

現在、能登上布は、石川県の無形文化財に指定されています。 続きを読む

ざざんざ織

ざざんざ織とは?ざざんざ織の特徴と技法について

静岡県の浜松市周辺は、「遠州織物えんしゅうおりもの」の名前で広く知られ、昔から織物業が盛んでした。

機屋はたやの家系を持ち、民藝運動家であった平松実ひらまつみのるが、遠州織物の伝統技術を基盤に、新しい創造性を加えて作り出したのが、「ざざんざ織」です。 続きを読む

南部古代型染(なんぶこだいかたぞめ)

南部古代型染(なんぶこだいかたぞめ)の特徴と技法について

岩手県盛岡市に古くから伝わる型染めは、「南部古代型染なんぶこだいかたぞめ」と呼ばれ、現在は、蛭子屋えびすやの小野氏に、その伝統が受け継がれています。

蛭子屋えびすやの歴史は古く、甲州こうしゅう(山梨県)の豪族であった南部義光に、染師として、蛭子屋えびすや善助が雇い入れられたことに始まります。

それ以後、南部氏が、甲州から奥州おうしゅう三戸さんのへ、さらに盛岡へ居城きょじょうを移したのに際して、蛭子屋えびすやも共に従い、寛永かんえい5年(1628年)、蛭子屋えびすや三右エ門が南部藩の御用染師として登用されたのが初代で、現在も続く「蛭子屋小野染彩所」が南部古代型染なんぶこだいかたぞめの伝統を受け継いでいます。 続きを読む

飯田紬(いいたつむぎ)とは?飯田紬の技法について

長野県では、古くからつむぎ織物が盛んに織られてきました。

飯田紬いいだつむぎ山繭紬やままゆつむぎ上田紬うえだつむぎなど歴史的にも古く、その名が広く知られていますが、これらを総称して信州紬しんしゅうつむぎと呼んでいます。 続きを読む

山繭紬(やままゆつむぎ

山繭紬(やままゆつむぎ)とは?山繭紬の技法や特徴について

長野県では、古くからつむぎ織物が盛んに織られてきました。

山繭紬やままゆつむぎ上田紬うえだつむぎや、飯田紬いいだつむぎなど歴史的にも古く、その名が広く知られていますが、これらを総称して信州紬しんしゅうつむぎと呼んでいます。 続きを読む

上田紬(うえだつむぎ)とは?上田紬の技法について

長野県では、古くからつむぎ織物が盛んに織られてきました。

上田紬うえだつむぎや、飯田紬いいだつむぎ山繭紬やままゆつむぎなど歴史的にも古く、その名が広く知られていますが、これらを総称して信州紬しんしゅうつむぎと呼んでいます。
続きを読む

手拭中形(てぬぐいちゅうがた)とは?長板中形に代わって登場した手拭中形の技法について

大正時代から昭和にかけて、手拭中形てぬぐいちゅうがた手注てちゅう)や注染ちゅうせんという方法が始まり、浴衣ゆかたが大量生産されるようになりました。

手拭中形てぬぐいちゅうがたとは、折付おりつけ中形や注染ちゅうせん中形、大阪中形(阪中さかちゅう)などと呼ばれ、布地を昔の日本手拭にほんてぬぐいの長さに折りたたんで染色することから「手拭中形てぬぐいちゅうがた」という名前で呼ばれています。 続きを読む

蓼藍(タデアイ)

正藍冷染(しょうあいひやしぞめ)とは。正藍冷染(しょうあいひやしぞめ)の染色技法について

宮城県栗原郡栗駒町に伝わる「正藍冷染しょうあいひやしぞめ」という技法は、どの地方においても見られない特徴的な藍染です。

一般的に行われている藍染は、藍甕あいがめのなかに、アルカリ分の木灰の上澄み液である灰汁あくを入れ、蓼藍たであいの葉を発酵させて作った原料のすくもと小麦の外皮を煮出した糖分などを混ぜ、人為的に加温して発酵させます。 続きを読む