長野県では、古くから紬織物が盛んに織られてきました。
山繭紬、上田紬や、飯田紬など歴史的にも古く、その名が広く知られていますが、これらを総称して信州紬と呼んでいます。
山繭紬(やままゆつむぎ)とは?
山繭紬とは、天蚕と呼ばれる野性のカイコが作り出す糸を紡いで織られる紬の着物です。
天蚕が、クヌギやナラなどの葉っぱを食べて作り出した繭の形は普通の家蚕と変わりませんが、色が黄緑色をしています。
かつては、長野県だけでなく、日本全国の山々で放養(放し飼い)されており、各地で山繭による織物が織られていました。
長野県の有明地域では、江戸時代の天明年間(1781年〜1788年)に天蚕が始まったとされています。
この地域は、土壌が農作に不向きであったため、人々はクヌギ林などの林業に活路を求め、クヌギは燃料用の薪に適していただけでなく、天蚕を飼育するためにも活用できたのです。
明治時代になってからも山繭紬は織り続けられていましたが、明治10年代(1877年〜)には、中国産の柞蚕がこの地に輸入され、飼育されるようになります。
家蚕糸と交織した織物も山繭紬と呼んでいましたが、本来は、天蚕糸を原料としたもののみを山繭紬といっていました。
山繭糸(やままゆいと)の特徴
山繭糸は、家蚕糸と比べて丈夫で、織り上がった布は軽くて暖かいという特徴があります。
ただ、染着度(染まりやすさ)が低いという欠点があります。
ただ、染まりにくいという特性を活かして、山繭糸の部分が模様となって特徴的な織物ができるのです。
山繭紬(やままゆつむぎ)の技法
山繭紬に使用する経糸は、家蚕生糸を用いることが多く、総数は1200本ほどです。
この総数の範囲内で、家蚕生糸と天蚕生糸を撚り合わせて使用するものがあったり、天蚕糸を全く使用しないものなどもあります。
緯糸は、家蚕紬糸を使用し、10cm〜30cmほどの適当な間隔に、天蚕糸を織り込みます。
絣括りをする場合は、墨付けした箇所に防染するための木綿糸を手括りします。
天蚕糸の染色は、草木染めや化学染色など利用しますが、天蚕と家蚕の混合した紬糸を染めると、1本の糸の中で濃淡が生まれ、これが絣のようにも見えたり、霜降りのようにも見えたりするのが、この織物のユニークな点です。