鎌倉時代には、貨幣経済の成長とともに、染織品も商品として流通し始めます。
政治の実態が武家の手に移り、織物をつくる機業が官営から民営へと移っていき、染織品の生産形態が次第に変化していきます。
染色に使用する道具に、張木と伸子があります。
共に使用する生地の巾に合ったものか、少し大きめのものを選びます。 続きを読む
「アパレル(apparel)」とは、日本では「衣服」の意味で用い、1970年代初期ごろから「アパレル製品」、「アパレル産業」、「アパレル製造業」などのように使われるようになりました。
現在では、「衣服」という意味から派生して、「アパレル」という言葉だけで、衣服の製造や販売を行っている会社や服飾系の業種や職種を意味するようになっています。
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鎌輪奴文は、「鎌の絵」と丸い輪「○」と、「ぬ」の三文字を組み合わせた模様(文様)です。
鎌井枡文は、「鎌」と「井」と「三桝(大・中・小の三つの枡を入れ子にし、それを上から見た形を文様化したもの)」を組み合わせた模様(文様)です。
江戸時代には、「判じ物(はんじもの)」と呼ばれる文字や絵画に隠された意味を当てるなぞ解きが流行し、判じ物文様(はんじものもんよう)として生まれた模様が多くありました。
江戸時代前期に、男伊達(男としての面目が立つように振る舞うこと)の衣服に「鎌輪奴文」が用いられます。
鎌輪奴文は、「鎌の絵」と丸い輪「○」と、「ぬ」の三文字で「構わぬ(かまわぬ)」と読ませるために作られた模様です。
江戸時代後期の文化文政時代(1804年〜1830年)から天保(1831年〜1845年)にかけて活躍した江戸の歌舞伎役者である7代目市川團十郎が、文化年間(1804年〜1818年)に「鎌輪奴文」を舞台で用いたことから流行します。
江戸では衣服から手拭い、瀬戸物、櫛、簪などに良く描かれました。
鎌輪奴文が流行したことに対抗して、市川男女蔵が考案したのが「鎌井枡文」でした。
「鎌井枡文」は、「構います(かまいます)」と読ませるために作られた模様です。
歌舞伎で用いられる模様(文様)は、歌舞伎文様として江戸時代前期から一般の服飾(ファッション)に影響を与え、流行の発生源にもなっていました。
例えば、「斧琴菊文」は、斧(よき)と琴と菊の花の模様を染め出して「良き事聞く」という縁起がよい意味を込めたデザインなどがあります。

斧琴菊文 (よきこときくもん)file created on Adobe Illustrator and Photoshop, Public domain, via Wikimedia Commons,Link
染色する人を染師(そめし)と呼んだりしますが、古くはただ染めるだけではなく、染めるための原料を入手するところから、「染師」の仕事がはじまっていました。 続きを読む
支子(学名 Gardenia jasminoides)は、あかね科クチナシ属の常緑の低木で、現在は支子ではなく、梔子の字を当てる場合が多いです。
古くから、支子の果実が染色や薬用に使用されてきました。
本記事では、以下、支子と表記します。
支子は、庭園の樹木として植えられ、葉は2枚の葉がつく対生、もしくは3枚の葉が輪生します。
6月〜7月頃に葉腋(葉の付け根)から花柄を出し、白い六片に裂けた筒状花をつけ、2〜3日で黄色く変色しますが、良い香りがします。
支子(梔子),Gardenia jasminoides,Mokkie, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons,Link
果実は、頂部に咢片が残り、熟すと黄赤色になります。 続きを読む
歌舞伎文様は、江戸時代の歌舞伎芝居の当り狂言や、人気役者が扮装(ある人物の姿になること)するため用いた模様(もんよう)です。 続きを読む
丈長でゆったりとしたコート風の衣服であるカフタン(caftan)は、中央アジアの草原地帯に起源があると言われます。
カフタン,Kaftan,Smithsonian National Museum of African Art, CC0, via Wikimedia Commons,Link
トルコの王様が功労者に栄誉を与え、外国の大使の名誉のためにカフタン(caftan)を授けたとされます。
ササン朝のペルシャの人物像もカフタンのような衣服と長ズボンを着用しており、中世以後のトルコ人はほとんどカフタン姿で現わされています。
近世の東洋好みの一端としてトルコ風の衣服、すなわちカフタンのようなものを西欧人が着用しているのが、肖像画にも残っています。
1955年にディオール(DIOR)が、カフタンをヒントにコート(カフタン・コート)を作りました。
長い切れ込みがあり、後ろでボタン留めとなる仕様になっていました。
蟹(カニ)を模様化(文様化)したものを、蟹文といいます。
蟹は、硬い甲羅で身を守って(武装して)いるため、尚武の意味(武道や軍事を大切なものと考える)で紋章にも用いられてきました。
安土桃山時代(1568年〜1600年)頃に作られたとされる「薄水色地蟹文麻浴衣」は、小判形の胴に大きなハサミを開けたり閉じたりする蟹が散りばめるようにデザインされています。
カニの模様(文様)部分に防染糊で型置きして糊伏せした後に、藍染されています。
徳川家康(1543年〜1616年)が着用していたとされる浴衣は、三十三点(領)がまとめて現代まで遺されており、『駿府御分物』として伝えられました。