投稿者「iroai.jp」のアーカイブ

「東都大伝馬街繁栄之図(とうとおおてんまがいはんえいのず)」歌川広重(1797年〜1858年)作 暖簾(のれん)が掛かる大通り

暖簾(のれん)の意味や役割、機能性。のれんの歴史や種類について

暖簾のれんは、現代においても私たちの日常生活の中で見かけます。

お店の入り口にかけられたりするのを見ると、お店の「顔」としての目印になっていることはよく分かりますが、それ以外にも暖簾のれんの意味や役割、機能性があります。 続きを読む

成熟した文化のたたずまいを再創造する。原研哉氏の『デザインのデザイン』

本書を読んでデザインというものが少しわからなくなったとしても、それは以前よりもデザインに対する認識が後退したわけではない。それはデザインの世界の奥行きに一歩深く入り込んだ証拠なのである。

グラフィックデザイナーで、武蔵野美術大学教授を務める原研哉氏の著書で2003年に初版が発売された『デザインのデザイン』のまえがきに、上記の言葉があります。

約20年前に出版された本になりますが、その内容はまったく陳腐化しておらず、小手先の「デザイン」ではなく、デザインとはなにか?を考えさせられる本になっています。 続きを読む

江戸小紋(えどこもん)

「だれが作ったか?」という物語の大切さ。ものづくりにおける「作家性(さっかせい)」について

2022年11月にOpenAIによって公開された人工知能チャットボットであるChatGPTは、世界中からの関心を集めました。

それからというものの画像生成AIや動画生成AI、音楽生成AIなど、さまざまな分野での人工知能の発達が目まぐるしく、日々進化しています。

良質なコンテンツが安価で、無限につくられてしまうAIが発達した社会においては、本体の内容(コンテンツ)に付随する付加情報がより大事になってくるとされています。 続きを読む

正倉院宝物(しょうそういんほうもつ)に使用された顔料と染料について

奈良・平安時代の中央・地方の官庁かんちょう大寺だいじには、穀物や財物などの重要物品を納める正倉しょうそうが設けられていました。

日本中、あちこちに置かれた正倉しょうそうは、今日に至るまでにさまざまな理由で亡んでしまい、現在残っているのが、東大寺正倉院内の正倉一棟だけです。これがすなわち、正倉院宝庫しょうそういんほうこです。

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東大寺正倉院/あずきごはん/CC BY-SA 4.0/via Wikimedia Commons,Link

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インド更紗

ヨーロッパにおけるインド更紗の歴史

16世紀ごろから、ヨーロッパの東方進出によって、インドで生産される染織品の優秀さが知られるようになります。

木綿、羊毛、絹などの織物や更紗など、優れた染織品が世界中に伝わっていき、日本にその当時に輸入された綿織物の多くもインド産のものでした。

インド更紗は、17世紀にオランダやイギリス、フランスやポルトガルなどのヨーロッパの列強が東南アジア貿易の拠点として作り上げた「東インド会社」によって、大量にヨーロッパにもたらされました。

17世紀にヨーロッパ社会に登場したインド更紗は、18世紀〜19世紀にかけてヨーロッパの文化や経済を根底からくつがえす大きな力の一つとなったのです。 続きを読む

藍染された木綿糸(先染め)

綛糸(かせいと)・綛揚(かせあげ)・綛染(かせぞめ)について

綛糸かせいととは、紡いだ糸を巻き取る道具である桛枠かせわく(綛枠)に糸を一定の回転巻いて枠から外し、その糸を束ねたものを表します。

単に、「かせ」ともいい、この方法や一つに束ねる分量は、糸の種類によって異なります。 続きを読む

編み物(ニッティング)の歴史。日本とヨーロッパにおける編み物について

編み物技術の起源としては、はっきりとしたものはありませんが、編み物(ニッティング)は、およそ3000年前に、アラビア半島に住む遊牧民によって、彼らが自ら率いる羊や山羊の毛を使って行われていたとも考えられす。

編み物は、アラビアの商人や船乗りによって、徐々に他国に伝わっていき、編み手は旅する時に、編針と糸を持参して、編みながら立ち寄った港の人々に技術を伝えたとされます。

ただ、歴史的に参考になるような品々や資料は、ほとんど残ってない状況です。

現存する最古の編み物に遺品とされるものは、11世紀後半から12世紀前半ごろに作られたとされ、エジプトで発掘されたくつ下の一部です。

この時期にはすでに編み物が技術的に発達していたことが、うかがい知れるのです。
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