亀甲模様(亀甲文)は、正六角形の幾何学模様で、亀の甲羅の形に似ていることから「亀甲」の名前があります。
中国では亀が瑞兆(良い事が起こる前兆)とされ、古代中国の経書である『礼記』には、想像上の霊妙な四種の瑞獣を表し、「麟鳳亀竜」との記述があります。
麟鳳亀竜は、麟(麒麟)・鳳(鳳凰)・亀(霊亀)・竜(応竜)を表します。
日本にも中国からの思想が伝わり、亀のデザインが瑞祥の模様(瑞祥文)として好まれました。 続きを読む
亀甲模様(亀甲文)は、正六角形の幾何学模様で、亀の甲羅の形に似ていることから「亀甲」の名前があります。
中国では亀が瑞兆(良い事が起こる前兆)とされ、古代中国の経書である『礼記』には、想像上の霊妙な四種の瑞獣を表し、「麟鳳亀竜」との記述があります。
麟鳳亀竜は、麟(麒麟)・鳳(鳳凰)・亀(霊亀)・竜(応竜)を表します。
日本にも中国からの思想が伝わり、亀のデザインが瑞祥の模様(瑞祥文)として好まれました。 続きを読む
和服・着物における帯は、主に和服の胴部分に巻きつけて、着物がはだけるのを防いだり、下半身に着用している衣服がずり落ちないようにしたりする役割のものをいいます。
かつては帯で武器などを体に固定しておいたり、権威などの象徴として装飾的な性格も持っていました。 続きを読む
沢瀉(オモダカ)は、日本各地の低地の水田やため池、用水路などに見られる多年草です。
葉は根元にまとまってつき、長い葉柄がある独特の矢じり形をしていることから、「勝軍草」とも呼ばれ、武士に愛されていました。
人の顔に似た葉を高く伸ばしている様子を指して「面高」とされたともいわれ、「面目が立つ」(名誉が傷つけられずに保たれる・顔が立つ)という語にも通じています。 続きを読む
日本の古代の人々は、草木が成長し花が咲き、果実が実るのは、草木に宿る精霊(木霊)の力であると信じ、草木からとれる自然の色で、衣服を染めつけていました。
強い精霊の宿るとされる草木は、薬用として使用され、薬草に宿る霊能が、病気という悪霊によって引きおこされた病状や苦痛を人体から取り除き、悪霊をしりぞける作用があるとされていたのです。
日本の染色技術が飛躍的に発展するのは、4世紀ごろに草花から染料を抽出し、これを染め液として、浸して染める「浸染」の技術が中国から伝わってきてからとされます。
もっとも原始的な染色方法に、植物を生地に直接こすりつけて色を染め付ける「摺り染め」があります。 続きを読む
浮世絵版画において、特徴的な色として露草を原料にした青があります。
露草は、夏の暑い時期に青い花を咲かすツユクサ科の一年草です。
別名を、月草や蛍草などともいいます。
英語名では、「Dayflower」と表記し、花が咲いてからわずかな時間でしぼんでしまうという特徴が名前からもよくわかります。
古くから日本では、この露草を原料にした青色が使用されていました。
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真綿とは、木や草の綿毛、すなわち植物性の繊維である綿に対して、蚕から綿、すなわち絹綿を表します。
日本には古くから木綿が知られていなかったので、綿といえば全て絹綿だったのです。 続きを読む
縅(威)とは、戦いのとき身を守るために着用する武具である甲冑において、小札を革紐や組紐などで繋ぎ綴じたものです。
小札を縅毛(小札を綴じ付けるために用いられた組紐や革)で綴じ付ける動作のことを、「縅す」と言います。
小札とは、甲冑(鎧)を構成するあらゆる場所に用いる重要な構成要素で、一般的には革または鉄板金を素材とし、形は、名前の通り小さい短冊形です。
小札を横方向に革紐で繋ぎ、仕上げに漆を何層にも塗ることで、堅牢な「小札の板」となります。 続きを読む
斧は、日本の昔話に登場する金太郎が持っている鉞(まさかり)の小さい形のものです。
木材を割るのに用いられ、物を断つのに用いるため「断の意味」を表すとされ、中国では「国王の決断の意の象徴」とされました。 続きを読む
鴛鴦(オシドリ)は、雄の姿が特に美しく、多彩な羽根色や脇腹の銀杏羽(いちょうばね)、後頭部の冠羽(かんう)が特徴的です。
中国古代に、「君子万年(教養や徳の高い立派な人はいつまでも長生きであるということを表わした四字熟語)」を祝うめでたい鳥としてや、夫婦和合(夫婦円満)の象徴とされました。
日本でもこの思想を受け、二羽の鳥が翼を並べること(男女の仲睦まじい様子)のめでたさや翼の美しさをモチーフに、「鴛鴦文(おしどりもん)」として模様化(文様化)しました。
車前草(学名:Plantago asiatica)は、日本各地の道端や野原などでよく見つけることができる多年草で、地面から葉を放射状に出して、真ん中から花穂をつけた茎が数本立ちます。
和名では「大葉子」とも表し、これは葉の大きいことに由来します。
漢名では「車前草(しゃぜんそう)」、種子を「車前子(しゃぜんし)」と言います。
種子は水気を帯びると体積が増え、粘着性を帯びて人間や車輪などに付着して広がっていき、車や人がよく通った跡(轍)に沿って自生することから、「車前草」と名づけられたという説があります。
しかし、経尊によって鎌倉時代に作られた語源辞書である『名語記』(1268年)には、古代インドの名医で釈迦の弟子の一人である耆婆が、良薬である車前草を車の前板に植え、出行の際に食べたことによると記されているようなので、由来ははっきりとはしていません。 続きを読む