投稿者「iroai.jp」のアーカイブ

家紋(かもん)の起源と歴史。武家、公家、町人にとっての家紋の役割や意味について

もんというと、基本的に「家紋かもん」を表し、代々その家に伝わる家の印として、家系や個人を識別し、その地位を表すために使われてきました。

紋には、正式の紋と略式の紋があり、略式の紋は正式の紋の一部であったり、全く別の簡単な図柄を使うこともあります。

紋はもともと武家の男子に用いられていましたが、江戸時代中期以降に、武家の女子にも使い始められ、彼女たちの小袖の背中と両袖に1つずつ染め抜かれるようになりました。 続きを読む

不器用で下手な素人のものづくりには価値がある。ものづくりの本質は、心でつくること

初版が1993年に発行された岡本太郎(著)『自分の中に毒を持て』は、人生において大切だと思えるエッセンスがたくさん詰まった本です。

不器用で下手な素人のものづくりには価値がある

岡本太郎は芸術家でしたが、「ものづくり」に関しても、本書にて言及しています。

ものづくりに関わる人でも、そうでない人にとっても示唆に富むことが書かれています。


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千利休像(長谷川等伯画、春屋宗園賛、不審菴蔵、重要文化財)

侘(わび)、幽玄(ゆうげん)とは?和歌や、能、連歌における中世の美意識について

「わび茶」、「侘び寂びわびさび」などという言葉がありますが、わび(わび)という言葉はどのような意味なのでしょうか?

侘(わび)、幽玄(ゆうげん)とは?

芳賀幸四郎(著)『わび茶の研究』では、「わび」の美意識が形成された背景を、古代の歌論にさかのぼって詳しく論じています。

わび(侘)の美意識は、大きく二段階に分けて考えられ、「幽玄ゆうげん」という概念も、わびを理解する上では重要なキーワードとなっています。 続きを読む

江戸時代の男子の衣服における裃(かみしも)

江戸時代において男子の衣服として着用された裃(かみしも)は、古く直垂ひたたれ素襖すおうのように、上下同じ生地(共裂ともぎれ共布ともぬののものを意味しました。

後に肩衣かたぎぬ半袴はんばかまをつけること肩衣袴かたぎぬばかまの意となり、江戸時代にさらにその形を整えたものをかみしもと呼び、武士の公服、庶民の礼服として用いられました。 続きを読む

意義目標をチームとして設定すること

「何のためにものづくりをするのか」という意義目標を設定することの大切さ。

働くということにおいては、人と人のやりとりがまったく生じないというのは、ほとんどの場合でありません。

組織で働くということ、どうすれば人と人とがスムーズにやりとりできるのかなど、今も昔も変わらず話題になることです。

チームとしてうまく機能するための一つのポイントとして、皆の考えの方向性が同じ向きを向いている点が挙げれられます。 続きを読む

綿とポリエステルを混紡した黄金ブレンド。ポリエステル65%綿35%の素材的特徴、長所と短所について

綿(cotton)とポリエステル(polyester)は、さまざまな用途で使われています。

綿は、肌に触れる下着やインナー、タオルなど実用的に使える場面は数知れません。

綿は、その肌ざわりの良さは言うまでもありませんが、他の繊維と比較しても綿は万能な繊維として知られています。

綿の特徴としては、化学繊維のポリエステル(polyester)やナイロン(nylon)といった繊維よりは、糸そのものの強度は劣り、シワになりやすかったり縮みやすいという点もあります。

ポリエステルの特徴としては、シワになりにくく、水にれても乾きやすい点などが挙げられます。 続きを読む

江戸時代における江戸と上方(京都・大阪)との風俗比較。いき(粋)とはんなりについて

上方かみかたという言葉は、戦国時代頃には、九州方面から京都周辺を指す言葉だったようですが、江戸時代にはもっぱら江戸に対して「文化圏としての近畿圏(京都・大阪・奈良など)」を指すものとなります。

江戸と大阪、京都は当時から他の地域に比べると発展し、人が集まっていたため「三都」とも言われ、「上方かみかた」という言葉は大阪と京都の総称となっていました。 続きを読む

鎌倉時代の染織品について

鎌倉時代には、貨幣経済の成長とともに、染織品も商品として流通し始めます。

政治の実態が武家の手に移り、織物をつくる機業きぎょう官営かんえいから民営へと移っていき、染織品の生産形態が次第に変化していきます。

染料の販売や染色においても、それを独占する「座」が現れ、もっとも早く独立したのは紺屋こうや紺掻こうかでした。 続きを読む

藍染と唐草模様

日本における藍染の歴史。藍作・藍染が発展し、衰退していった背景について

藍染は、古くから世界中で行われてきました。

古代エジプトではミイラを包む布が藍染されており、紀元前2000年前には藍が利用されていたとされています。

藍の色素を持つ植物も多種多様で、それぞれの地域にあった植物を使用し、さまざまな方法で藍染が行われてきたのです。

藍の色素を持つ植物を科別にすると、マメ、アブラナ、キツネノマゴ、タデ、キョウトウチク、ガガイモ、マツムシソウ、モクセイ、クロウメモドキ、キク、ヒメハギ、ランなどが挙げられます。

インドにおける藍栽培の歴史は古く、古代ローマ時代にはインドで商品化されたインド藍がエジプトのアレクサンドリアを経由してローマへ輸入されていました。

アラビア商人によって、エジプトをはじめ地中海方面へと運ばれていましたが、ポルトガルのバスコダガマが南アフリカを周るインド洋航路を発見したことによって、インドにおける藍の生産はいっそう盛んになったのです。 続きを読む