投稿者「iroai.jp」のアーカイブ

デザインにおける禾稼文(かかもん)、穀物の模様(文様)

禾稼かか」、の「」は穀物こくもつの総称で、「稼」は実った穀物こくもつを表すため、禾稼かかとは穀物を意味します。

穀物の模様(文様もんよう)である禾稼文かかもんは、中国の殷代いんだい(紀元前17世紀頃〜紀元前1046年)の頃の銅器のデザインにみることができ、米や麦、あわきびなどがモチーフとなっています。

儒教の経典(十三経じゅうさんけい)の一つで、『礼記らいき』『儀礼ぎらい』とともに「三礼」を構成する書物である『周礼しゅらい』には、爵位しゃくいを授けられた者の穀壁に禾稼文かかもん浮彫うきぼりにすると規定されてました。

デザインにおける禾稼文(かかもん)、穀物の模様(文様)

日本における禾稼文かかもんには、稲の形を模様化(文様化)した稲文いねもんあわ(ぞく)を模様化(文様化)した粟文ぞくもんなどがあります。

稲文いねもんは、染織品や道具のデザインにあまり使われることは少なく、紋章として比較的使われました。

また、京都伏見の稲荷神社の「束稲たばね」にみれるように、神紋しんもんとしても歴史があります。

稲文いねもんの紋には、葉のついた稲を左右から丸く向かい合わせた形を描いた抱稲だきいねなども知られています。

蓮(はす)で染め色の例

染色・草木染めにおける蓮(はす)

はす(学名Nelumbo nucifera)は、ハス科ハス属の耐寒性たいかんせい落葉多年草らくようたねんそうの水生植物です。

インドやその周辺地域が原産地とされ、世界中の熱帯や温帯地域の蓮田はすだ、泥沼、池、水田で栽培されています。

蓮(はす),Nelumbo nucifera

蓮(はす),Nelumbo nucifera,Shin-改, Public domain, via Wikimedia Commons,Link

英名ではロータス(Lotus)と呼ばれ、大きな葉を乾燥させたものは漢方薬の「荷葉かよう」の原料となります。

地下茎ちかけいは、泥の中をうように延び、秋の終わりに地下茎ちかけいの先が太ってレンコン(蓮根れんこん)ができます。

花は、7月〜8月に咲き、多数の花弁が重なり合い、桃色や白色の花をつけます。

花が散ったあと、花床かしょうは大きくなり、蜂の巣のような穴の中に果実をつけます。 続きを読む

加賀友禅(かがゆうぜん)とは?加賀友禅の技法と京友禅との違いについて

加賀友禅かがゆうぜんが染められてきた石川県の金沢市は、周囲を美しい山々に囲まれ、犀川さいがわと浅野川が流れる、加賀百万石の城下町でした。

この地域における染色の歴史も非常に古く、1500年代頃にはすでに「梅炭うめずみ」といわれる無地染が発達し、布地を梅の皮やしぶで染め、黄色味がかった赤色に染め上げたのです。

江戸時代初期には、「御国染おくにぞめ加賀染かがぞめ)」や「兼房染かねふさぞめ(けんぼうぞめ)」と呼ばれる友禅染めのような模様染めが行われていました。

このように染色の土台があった加賀において、京都から宮崎友禅斎みやざきゆうぜんさいが移り住んできたのです。

のり置の防染法が導入された江戸時代中期以降は、臙脂えんじと藍、紫の三色を基調にぼかしを加えた形式の友禅染めを特色としていました。 続きを読む

白地紋尽文厚板 能装束(のうしょうぞく)

装束(しょうぞく)とは?一定の格式や慣習にかなった衣服、およびその装い

装束しょうぞくという言葉は、体の保護や威厳を示すために身にまとうものを意味しますが、特に一定の格式にかなった衣服、およびその装いを表します。

宝亀ほうき11年(780年)に書かれた『西大寺資材流記帳せいだいじしざいるきちょう』の780年の項には、「羅陵王装束・・・・」とあったり、平安時代中期の10世紀後半に成立した日本最古の長編物語である「うつほ物語(宇津保物語)」には、「夏冬のしゃうぞく・・・女のしゃうぞくきよげにしゃうぞく・・・」などとの記載があるなど、古くから「装束」という言葉が使用されていたことがわかります。 続きを読む

デザインにおける家屋文(かおくもん)

家屋文かおくもんとは、家屋を模様化(文様化)したもので、古くは弥生時代後期頃(1~3世紀)に製造されたとされる「袈裟襷文銅鐸けさだすきもんどうたく」に高床切妻の建物とされるものが描かれています。

古墳時代前期にあたる4世紀ごろに作られたとされる円鏡えんきょうの「家屋文鏡かおくもんきょう」にも建物の模様(文様)が描かれており、古代建築を知る上で重要な史料であるとされています。

デザインにおける家屋文(かおくもん)

佐味田宝塚古墳出土 家屋文鏡レプリカ

佐味田宝塚古墳出土 家屋文鏡レプリカ,Saigen Jiro, Public domain, via Wikimedia Commons,Link

染織品では、奈良県斑鳩町の中宮寺が所蔵する飛鳥時代(7世紀)に作られ、日本最古の刺繍遺品として知られる天寿国繡帳てんじゅこくしゅうちょう」(天寿国曼荼羅繍帳てんじゅこくまんだらしゅうちょうがあります。

天寿国繡帳てんじゅこくしゅうちょう」に表現されているデザインの中には家屋がみられ、7世紀中頃の染色技術や服装、仏教信仰などを知るうえで貴重な遺品とされています。

天寿国繡帳(てんじゅこくしゅうちょう)天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)Tenjyukoku embroidery

天寿国繡帳(てんじゅこくしゅうちょう)天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)Tenjyukoku embroidery,TOKYODO, Public domain, via Wikimedia Commons,Link

染織品である「屋形錦御衣やかたにしきみぞ」には、全面に家屋文かおくもんが描かれています。

江戸時代の小袖こそでには、藍の濃淡で染められた(茶屋染ちゃやぞめされた)帷子かたびらである茶屋辻ちゃやつじに見られる風景文(風景模様)や、『源氏物語』をテーマとした絵柄を小袖に表現されたものなど、数々のデザインのなかに家屋文かおくもんが表現されています。

沖縄の紅型染びんがたぞめにも家屋文かおくもんが多く題材とされたり、絵絣えがすりには大胆なデザインの家屋文かおくもんが用いられていました。

なぜ振袖は、袖が長いのか?振袖の装飾技法と模様について

振袖ふりそでとは広い意味で、身頃みごろ(体の前面と背面を覆う部分)とそでの縫い付け部分を短くして、「り」(袖つけより下の袖の部分)を作った袖のこと、もしくは「振り」をもち小袖形の衣類全般を指します。

振袖ふりそでの”ようなもの”は、室町時代(1336年〜1573年)から安土桃山時代(1573年〜1603年)にかけて、当時の文献や肖像画からみてとれます。

着用しているのは、もっぱら子供や若い女性ですが、当時はまだ「振袖ふりそで」とは呼ばれず、袖も現在のように長くはありませんでした。

機能面では袖の下の一部分を解くことで、空気が通りやすくして暑さを逃がすという実用的な面もありました。 続きを読む

紙で織られた紙布(しふ)。紙布(しふ)の製造方法や種類について

紙布しふは、江戸時代頃から、全国の紙の産地で織られていたようで、特に有名だったのが宮城県の白石しろいし市です。

白石しろいしは、仙台の仙台藩せんだいはん伊達藩だてはん)の統治下にあった城下町です。

この地方では、東北という寒い地域でもあったため木綿の栽培に適さず、藩の財政上の理由から綿の買い入れも禁止されていました。
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デザインにおける楓模様(かえでもよう)・楓文(かえでもん)

かえでを模様か(文様化)した楓文かえでもんは、掌状しょうじょう(指を開いた手のひらの形)の葉の美しさと、秋に見事に紅葉することから染織品のデザインに多く用いられてきました。

デザインにおける楓模様(かえでもよう)・楓文(かえでもん)

楓(かえで)の葉,Acer saccharum Rogów

楓(かえで)の葉,Crusier, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons,Link

鎌倉時代の絵巻物にもかエデがみられ、その後の各時代の染織品においてさまざまな楓模様が用いられました。

重要無形文化財の小袖こそでである「淡浅葱地葵紋付楓重文辻ケ花染小袖うすあさぎじあおいもんつきかえでがさねもんつじがはなぞめこそで」は、徳川家康の遺産である「駿府御分物すんぷおわけもの」として尾張家に譲られた家康着用衣類の一つです。

かえでを4~5枚重ねて一つの模様(文様)とし、藍の絞り染めで染められています。

参照:徳川美術館 「淡浅葱地葵紋付楓重文辻ケ花染小袖」

ちなみにかえでという名前は、葉の形が蛙(カエル)の手に似ていることから「かえるで(蛙手)」と呼ばれていたものが、後に「かえで」と呼ばれるようになったようです。