江戸時代において男子の衣服として着用された裃(かみしも)は、古く直垂や素襖のように、上下同じ生地(共裂)共布のものを意味しました。
後に肩衣に半袴をつけること肩衣袴の意となり、江戸時代にさらにその形を整えたものを裃と呼び、武士の公服、庶民の礼服として用いられました。
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江戸時代の男子の衣服における裃(かみしも)
肩衣は、もともとは下層民の用いた粗服でしたが、戦国の激動の時代に動きやすさを図って、素襖の袖がはずされて武士の略式礼装となり、江戸時代には、通常の礼装として用いられるようになりました。
素襖の流れをくんで麻でできたものを本式とし、肩衣と袴の組み合わせを裃と呼びました。
武家服飾の特徴と言えるものに、「形式昇格」があります。
形式昇格は服飾の歴史によくみられるもので、もともとは社会の下層にあったともいえる服飾形式が、身分が上とみられる人々に取り入れられることによって移行していく現象を表します。
裃(かみしも)の種類
裃は、格式によって長裃や半裃、継裃などの種類があります。
ハレの所用には、長袴を着用したものが長裃と称され、袴と肩衣の素材や色が異なる継裃は平服として区別されました。
古代に庶民がもっとも原始的な実用着として着用していた肩衣が、江戸時代に武家の正装となるという究極な形式昇格が成し遂げられます。
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誰しも一度は見たことがあるであろう織田信長像は、肩衣と袴(裃)を着用しています。
時代による裃(かみしも)の形の変化
肩衣は初めは袖が無い素襖の形でしたが、次第に前身の裾が細く、胸から肩にかけて扇状に開いた形になります。
時代によって裃には以下のような変化があったようです。
- 元禄(1688年〜1704年)頃には肩幅が一尺
- 元文(1736年〜1741年)頃にはクジラ(鯨)の髭を入れ一文字に仕立られる
- 寛延(1748年〜1751年)頃には役者の好みから鳥の羽を広げたようにイメージに
- 明和(1764年〜1772年)頃は糊を生地に強くつけて張らせた
- 江戸時代末期には肩を丸く作った鷗仕立てとする等
袴は初期は襞が少なかったですが、次第に大きな裾の広いものになります。
正徳(1711年〜1716年)頃から直襞(放射状に広がる)から寄襞(中央に寄る)の形に変わりました。
巣仕立が普通ですが、略式として江戸時代中期から裏付け裃もつくられました。
裃(かみしも)の素材と色合い
地質は麻を正式としますが、初期には金襴や緞子も用い、他には龍紋織、絹麻、琥珀などを使いました。
色は、初期は自由ですが、江戸時代中期から黒や藍、茶などの無地、または小紋が多く、肩衣の左右、背、袴の腰板に紋をつけました。
凶事には黒、または浅黄の無紋が用いられました。