京鹿の子絞りの匹田文(ひったもん)が型染めで表現された布

染織・色彩における奢侈禁止令(しゃしきんしれい)

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日本においては近世以降に、産業が発達して富の蓄積が増加すると、財力のある商人などが高価で手の込んだ衣服を着用し、その富を誇りました。

支配者層は、富を持った者の目にあまる振る舞いは、身分制による社会秩序を崩すものとして、贅沢を禁止する法令を出すのです。

染織・色彩における奢侈禁止令(しゃしきんしれい)

奢侈禁止令しゃしきんしれいとは、政治的、もしくは経済的な理由によって一定の贅沢な衣服の使用を禁止する法令を表します。

江戸時代には、衣服の地質(素材)や加工法、価格に関する禁令が多く出ました。

例えば、慶安けいあん2年(1649年)には、町人や召使いが絹布を使用するのを禁止され、天和てんな2年(1682年)には、百姓町人の衣服を、つむぎ・木綿・麻に限定し、翌年には金紗、刺繍、総鹿子の加工が施された衣服の禁令が公布されました。

その他にも、正徳しょうとく3年(1713年)、延享えんきょう2年(1745年)、寛政かんせい2年(1790年)、天保13年(1842年)などに禁令が公布されますが、いずれも士農工商の身分秩序を維持し、勤倹節約思想を浸透されることを目的として、支配者であった士(武家)を除いた農工商階級における贅沢な衣服を詳細に禁止していました。

町人の方が贅沢な衣服を身につける傾向が、武家の権威維持にとって好ましくなかったことが、禁令が出された理由の一つとしてあったのです。

天保3年(1832年)に発令された禁令には、女性が着用する金紗きんしゃなどの絹織物や、鹿の子絞りでこれ以上絞る余地をなくした「惣鹿子そうかのこ」模様を禁止したり、そもそも新しく仕立てたりするのを禁止したりしています。

女衣類禁之品々、金紗、縫、惣鹿子、右之品、向後女之衣類に制禁之、惣て珍敷織物めずらしきおりもの染物新規に仕出候事無用たるべし、小袖の表壱端に付け弐百目より高値に売買仕まじき者也」参照:高田倭男(著)『服装の歴史』

第二次世界大戦前の1940年7月7日に施行された七・七禁令しちしちきんれい奢侈品等製造販売制限規則しゃしひんとうせいぞうはんばいせいげんきそく)は、不急不用品・奢侈贅沢品・規格外品等の製造・加工・販売を禁止する省令でした。

七・七禁令しちしちきんれいが出された背景には、日中戦争の長期化によって国内では各種物資が不足してきていた一方で、戦争による特需によって、一部の人々の間では景気が良くなり、彼らを中心として高級品の売れ行きも好調だったことがあります。

この中で高まっていた庶民の反感を抑えると共に、贅沢品を規制することによって、戦時下の国内における雰囲気の引き締めを図る狙いがありました。

奢侈禁止令という制約から生まれた染色技術や装飾のアイデア

鹿子絞り柄の伊勢型紙,総鹿子,滋目結い,型染めによって鹿子絞りを代用する技術

鹿子絞り柄の伊勢型紙,総鹿子,滋目結い,型染めによって鹿子絞りを代用する技術

厳しい禁令がさまざま出ることで制約が生まれますが、金銀のはく置の代わりに金銀の糸をつかった刺繍ししゅうを採用したり、摺匹田すりひつたといった型染めによって鹿の子絞りを代用したりします。

また、羽織の裏地(表からは見えない部分)に工夫を凝らしたり、織物の縞柄にわからない程度に絹糸を打ち込んで光沢感を出したりと、制約をさまざまな工夫を凝らして乗り越えることで染織技術が発展・普及していった側面があります。

継続的に発令された奢侈禁止令しゃしきんしれいによって鮮やかな色は禁じられましたが、中間色や彩度を抑えた茶色・ねずみ・藍色などは粋で渋い色として庶民にも普及します。

江戸時代には茶染めの色から茶色という色名が生まれ、ねずみ色とともに四十八茶百鼠しじゅうはっちゃひゃくねずみ」と総称されるように「茶」や「鼠」のつく色名が大量に生み出されるのです。

奢侈禁止令しゃしきんしれいによって華麗な色を禁じられたことを逆手にとって、江戸を中心にいきな色として流行したのです。

世界における奢侈禁止令

日本における奢侈禁止令しゃしきんしれいのような法は、世界中の国々でも古くから行われていた事例があります。

中国におけるかん(紀元前206年~西暦220年)の時代の高祖こうそである初代皇帝の劉邦りゅうほうが被り物や高級な織物に関して、一定の身分以下の者の使用を禁止したようです。

古代ギリシャでは、贅沢な衣装や装飾品をもって嫁ぐことを禁止したソロン(紀元前640年頃〜紀元前560年頃)の改革があったり、ローマ時代には元老院で男子が絹素材の服を着用するのを禁じたものなどと、古くから数多くの事例があります。

13世紀後半ごろからヨーロッパの一部の国々では、商工業の発達によって市民階級の経済力が増していき、支配者階級によって服装上の階級差別を保持しようとする動きが出てきます。

絹織物や宝石などの装飾品、服飾における仕立ての制限など、厳しい罰を伴って数多くの規制が出されました。

外国製品の輸入を抑えて、自国産業の保護を図るために発令された規制も多く、ルイ14世時代のフランスにおけるイタリアやフランドル(現在のベルギーとフランス北部にまたがる地方)などで生産された絹織物やレースの輸入禁止や、イギリスがインドからの輸入される綿織物を規制した例などがあります。

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