古く、機織りは各家庭でおこなわれ、もっぱら女性の仕事でした。
海外から様々な縞織物が届いたことによって、それを真似するところから始まり、徐々に日本でも独自の縞織物が生産されるようになります。
上着や一枚着として着物に縞柄が見られるようになったのは、安土桃山時代(1573年〜1603年)以降のようです。
江戸時代後期には、町人の間で特に好まれたのが縞柄の織物でした。
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古く、機織りは各家庭でおこなわれ、もっぱら女性の仕事でした。
海外から様々な縞織物が届いたことによって、それを真似するところから始まり、徐々に日本でも独自の縞織物が生産されるようになります。
上着や一枚着として着物に縞柄が見られるようになったのは、安土桃山時代(1573年〜1603年)以降のようです。
江戸時代後期には、町人の間で特に好まれたのが縞柄の織物でした。
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植物は、降り注ぐ日光の光を、葉でふんだんに受け、光合成を行って二酸化炭素と水で有機化合物を生成しますが、過剰な紫外線は、かえって植物にとって有害となります。
つまり、植物の光合成のためには適度な紫外線は必要ですが、過度な紫外線は細胞を破壊する原因となります。
その紫外線保護のために、フラボノイドが存在し、適度に吸収する役目を果たしていると言えます。
したがって、フラボノイド類は、低地よりも紫外線の強い高地の植物に多く含まれ、樹木よりも草本(茎が木質でない植物)の方が圧倒的に多く含まれています。 続きを読む
黄八丈とは、主に草木染めで染められた黄色・樺色・黒色の三色の糸を使って、さまざまな縞模様を織り出す絹織物のことです。
黄八丈は、広い意味で茶系統の鳶八丈や黒系統の黒八丈を含めた、八丈島で生産された紬を総称しています。
全体的に渋く、味わいのある色合いであるため、絹織物らしい光沢感は抑えられます。
染色の工程で、乾燥のために長い日数を八丈島の強い直射日光にさらすため、堅牢度が良く変色したり退色しづらい特徴があります。
黄八丈は、たくさん使われ、洗われることで、年を経るにつれて、より一層色合いが冴えてくるともいわれたりします。 続きを読む
錨(碇)は、船などを水上の一定範囲に止めておくために、鎖やロープを付けて海底や湖底、川底へ沈めて使う道具です。
錨(碇)形を文様化した錨文は、デザインに用いられ、家紋としても表現されてきました。 続きを読む
亀甲模様(亀甲文)は、正六角形の幾何学模様で、亀の甲羅の形に似ていることから「亀甲」の名前があります。
中国では亀が瑞兆(良い事が起こる前兆)とされ、古代中国の経書である『礼記』には、想像上の霊妙な四種の瑞獣を表し、「麟鳳亀竜」との記述があります。
麟鳳亀竜は、麟(麒麟)・鳳(鳳凰)・亀(霊亀)・竜(応竜)を表します。
日本にも中国からの思想が伝わり、亀のデザインが瑞祥の模様(瑞祥文)として好まれました。 続きを読む
古くから、「三纈」と呼ばれる染色技法があります。
「上代の三纈」「天平の三纈」などと称し、三纈の染色技法が、奈良時代には(710年〜794年)今の中国からすでに伝わっていました。 続きを読む
武士や侍の装束は、平安時代中期の「承平天慶の乱(931年〜947年)」から、明治維新直前の「大政奉還(1867年)」に至るまで、約1000年という長い歳月の中で独自の進化を遂げてきました。
それは単なるファッションの変遷ではなく、日本の統治構造が公家から武家へと移り変わる歴史そのものでした。
人類が文明を築くようになると、エジプト、メソポタミア、中国、インドなどの各地で、数多くの模様(文様)が生み出されていきました。
エジプトのピラミッドに残る装飾壁画には、死後の再生や転生への祈りが込められ、広大な宇宙の循環を象徴する渦巻き模様や星形模様などが描かれています。
また西欧社会においても、模様(文様)は単なる装飾ではなく、ある種の呪術性を帯びた存在として用いられてきました。
例えば、古代ギリシャの赤絵や黒絵に描かれたギリシャ神話のモチーフは、人間にとって畏怖と親近の両面を持つ神々の姿を視覚的に表現し、神々の世界における喜びや悲しみ、怒りといった感情を鮮やかに伝えています。
このように古代から世界各地で用いられてきた模様(文様)のひとつに、唐草模様(唐草文様)があります。
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丹波布(たんばふ)と呼ばれ、親しまれている織物があります。
丹波布(たんばふ)とは、現在の兵庫県氷上郡青垣町佐治地方を中心に、幕末から明治中頃にかけてのみ盛んに織られました。
木綿を主体に、緯糸に絹糸を織り込んだもので、産地の佐治では「縞貫」と呼ばれ、他の織物とは区別されながら発達していきました。 続きを読む