黄八丈(きはちじょう)絹織物

黄八丈(きはちじょう)とは?八丈島の絹織物である黄八丈の歴史と染色技法について

黄八丈きはちじょうとは、主に草木染めで染められた黄色・樺色かばいろ・黒色の三色の糸を使って、さまざまな縞模様を織り出す絹織物のことです。

黄八丈きはちじょうは、広い意味で茶系統の鳶八丈とびはちじょうや黒系統の黒八丈くろはちじょうを含めた、八丈島で生産されたつむぎを総称しています。

全体的に渋く、味わいのある色合いであるため、絹織物らしい光沢感は抑えられます。

染色の工程で、乾燥のために長い日数を八丈島の強い直射日光にさらすため、堅牢度けんろうどが良く変色したり退色しづらい特徴があります。

黄八丈きはちじょうは、たくさん使われ、洗われることで、年を経るにつれて、より一層色合いが冴えてくるともいわれたりします。 続きを読む

藤がデザイン化された藤文(ふじもん)

デザインにおける藤文(ふじもん)

ふじ(学名Wisteria floribunda)は、日本の固有種で、マメ科フジ属のつる性落葉木本もくほんです。

藤の花が咲く時期は4月中旬~5月頃で、葉の展開からやや遅れて開花し、枝の先端に多数の蝶形花ちょうけいかを付けた花序かじょが垂れ下がります

藤棚ふじだなの伸びすぎた枝葉を剪定せんていした時に、その枝葉を染色に利用することもできます。 続きを読む

亀甲模様(亀甲文) 伊勢型紙

デザインにおける亀甲模様(きっこうもよう)・亀甲文(きっこうもん)

亀甲模様(亀甲文きっこうもん)は、正六角形の幾何学模様で、亀の甲羅こうらの形に似ていることから「亀甲きっこう」の名前があります。

中国では亀が瑞兆ずいちょう(良い事が起こる前兆)とされ、古代中国の経書である『礼記らいき』には、想像上の霊妙な四種の瑞獣を表し、「麟鳳亀竜りんぽうきりゅう」との記述があります。

麟鳳亀竜りんぽうきりゅうは、りん(麒麟)・ほう(鳳凰)・(霊亀)・りゅう(応竜)を表します。

日本にも中国からの思想が伝わり、亀のデザインが瑞祥の模様(瑞祥文ずいしょうもん)として好まれました。 続きを読む

江戸小紋

三纈(さんけち)とは?纐纈(こうけち)、夾纈(きょうけち)、臈纈(ろうけち)の染色技法について

古くから、「三纈さんけち」と呼ばれる染色技法があります。

上代じょうだい三纈さんけち」「天平てんぴょう三纈さんけち」などと称し、三纈さんけちの染色技法が、奈良時代には(710年〜794年)今の中国からすでに伝わっていました。 続きを読む

武士の服装と歴史|侍(サムライ)はどのような装いをしていたのか

武士や侍の装束は、平安時代中期の「承平天慶じょうへいてんぎょうの乱(931年〜947年)」から、明治維新直前の「大政奉還(1867年)」に至るまで、約1000年という長い歳月の中で独自の進化を遂げてきました。

それは単なるファッションの変遷ではなく、日本の統治構造が公家から武家へと移り変わる歴史そのものでした。

武士・侍はどのような衣服を着ていたのか?1000年にわたる服飾の歴史

型染めされた木綿の藍染布,唐草模様

唐草模様(からくさもよう)とは?文様の起源と特徴、意味を解説

人類が文明を築くようになると、エジプト、メソポタミア、中国、インドなどの各地で、数多くの模様(文様)が生み出されていきました。

エジプトのピラミッドに残る装飾壁画には、死後の再生や転生への祈りが込められ、広大な宇宙の循環を象徴する渦巻き模様や星形模様などが描かれています。

また西欧社会においても、模様(文様)は単なる装飾ではなく、ある種の呪術性じゅじゅつせいを帯びた存在として用いられてきました。

例えば、古代ギリシャの赤絵や黒絵に描かれたギリシャ神話のモチーフは、人間にとって畏怖と親近の両面を持つ神々の姿を視覚的に表現し、神々の世界における喜びや悲しみ、怒りといった感情を鮮やかに伝えています。

このように古代から世界各地で用いられてきた模様(文様)のひとつに、唐草模様(唐草文様からくさもんよう)があります。
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丹波布(たんばぬの)

丹波布(たんばぬの)とは?柳宗悦に見出され、木綿を主体に絹が緯糸に使われた交織布

丹波布たんばぬの(たんばふ)と呼ばれ、親しまれている織物があります。

丹波布たんばぬの(たんばふ)とは、現在の兵庫県氷上郡青垣町佐治ひかみぐんあおがきちょうさじ地方を中心に、幕末から明治中頃にかけてのみ盛んに織られました。

木綿を主体に、緯糸に絹糸を織り込んだもので、産地の佐治では「縞貫しまぬき」と呼ばれ、他の織物とは区別されながら発達していきました。 続きを読む

柿渋が塗られた渋紙に彫られた染め型紙

染色・草木染めにおける柿渋(かきしぶ)

染料として用いられるものに柿渋かきしぶがあります。

柿渋は古くから、防水・防虫・防腐の目的として、自給自足的な生活の中で広く活用されてきました。

製品としては、柿紙や伊勢形紙、紙衣、柿うちわ、合羽(カッパ)、和傘、漆器、酒袋など、さまざまな産業の中で必要不可欠な欠かせない素材でした。

また、漁網には、その網を強靭にするために柿渋による染色(渋染め)が行われていました。

柿渋は、未熟な柿を搾り、渋(シブ)だけを集めた濃厚な液体で、そのまま液体として販売されています。 続きを読む

『画本東都遊』より「紺屋の図」 浅草菴(編) 葛飾北斎(画) 享和2(1802)序刊

紺屋(こうや・こんや)とは?紺屋と諺(ことわざ)について

紺屋は、「こうや」や「こんや」と読みます。

「紺」という名前が登場するには非常に古く、大化たいか3年(647年)に制定された日本の冠位である「七色十三階の冠位ななしきじゅうさんかいかん」で、第五大小青冠の服色に「ふかはなだ」が当てられました。

日本の中世(平安時代後期(11世紀後半)から、戦国時代(16世紀後半)までの500年ほど)においては、「紺搔」「紺座」「紺灰座」「紺屋」など、藍染に関する文献における記載も多くみられます。 続きを読む